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蜷川幸雄
撮影:大原狩行
蜷川幸雄(にながわ・ゆきお)
埼玉県出身。彩の国さいたま芸術劇場芸術監督。1955年に劇団青俳に入団し、67年に劇団現代人劇場を創立。69年に清水邦夫の『真情あふるる軽薄さ』で演出家デビュー。72年に清水邦夫らと共に櫻社を結成。2つの演劇集団を経て74年に日生劇場『ロミオとジュリエット』で商業演劇の演出家としての活動をスタート。以後、日本を代表する演出家として話題作を次々世に送り出している。2006年から彩の国さいたま芸術劇場芸術監督に就任し、55歳以上を対象とした「さいたまゴールド・シアター」を旗揚げし、新しい挑戦として社会的な話題となる。


さいたまネクスト・シアター
2008年に上演された『95kgと97kgのあいだ』で多くの若い俳優と出会ったことに触発されたのがきっかけ。今回の『真田風雲録』のキャストを選考する公募オーディションには1,200人を超える応募があり、最終的に男27名、女17名の44名が合格した。今後も継続的に若手俳優の育成を目的とした新作公演を行う。
さいたまネクスト・シアター『真田風雲録』
(2009年10月15日〜11月1日/彩の国さいたま芸術劇場 インサイド・シアター)
作:福田善之
演出:蜷川幸雄
真田風雲録
真田風雲録
真田風雲録
真田風雲録
撮影:宮川舞子
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an overview
Artist Interview
2009.10.28
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Yukio Ninagawa's new theatrical venture Confronting the realities the common people' history together with the elderly and young people  
高齢者と若者と共に民衆史のリアルに立ち向かう蜷川幸雄の新たな船出  
今日本で最も多忙を極める演出家の蜷川幸雄。今年から来年のプロジェクトだけを見ても、民間劇場のBunkamuraシアターコクーンと公共劇場の彩の国さいたま芸術劇場で芸術監督を務め、次々と話題作にチャレンジ。3月は笑いと博識で民衆劇をつくり続ける劇作家・井上ひさしとの仕事で新作『ムサシ』、5月は長年にわたってコンビを組んできた劇作家の清水邦夫作品の再演出で『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』、6月はシェイクスピアの歌舞伎版『NINAGAWA 十二夜』の再演とロンドン公演、9月はトム・ストッパードの9時間の大作『コースト・オブ・ユートピア』、11月は『12人の怒れる男』、来年1月は寺山修司が初めて書いた戯曲を初演出する『血は立ったまま眠っている』、来年3月はシェイクスピアの全作上演に取り組んでいる彩の国さいたま芸術劇場のシリーズ22作目『ヘンリー六世』(三部作を二部構成にした6時間の大作)と続く。
加えて、注目すべきが、2006年にさいたま芸術劇場の芸術監督に就任してから公立劇場の仕事として立ち上げた2つのプロジェクトだ。ひとつが55歳以上の無名の高齢者と共に「個人史をベースにした新しい演劇の形態を模索したい」とプロの舞台俳優の養成を目指して旗揚げした「さいたまゴールド・シアター」。そしてもうひとつが、次世代の若い俳優たちの養成を目的に立ち上げた「さいたまネクスト・シアター」だ。この10月、ネクスト・シアターは、学生たちの政治運動、新劇から小劇場演劇への演劇革新運動に日本が揺れた1960年代を代表する傑作、福田善之の『真田風雲録』で産声を上げた。全共闘世代の演劇人としてその時代を共に過ごした蜷川が、若い俳優と共に改めて時代を革新した演劇の再評価に挑み、自らの演劇哲学を伝えるネクスト・シアター。そして、高齢者と共に新たな演劇を目指すゴールド・シアター。2つのプロジェクトに掛ける思いを聞いた。

(聞き手:扇田昭彦/2009年9月28日 さいたま芸術劇場にて)



ノイズのない若い俳優たちと船出したネクスト・シアター

──蜷川さんが彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督になられたのが2006年。その年に中高年を対象にしたゴールド・シアターがスタートし、若い俳優を中心としたネクスト・シアターが今年からスタートしたわけですが、芸術監督になられた当初からそういう構想だったのでしょうか。
 ゴールド・シアターはありましたが、ネクスト・シアターはなかったですね。これまで若い俳優とは自分が主宰するニナガワ・スタジオでやってきたのですが、最近はあまり活動しなくなっていたので、それにたいするフラストレーションがあったのかもしれません。

──ニナガワ・スタジオはGEKI-SYA NINAGAWA STUDIOとして84年にスタートしましたが、現在はどのようになっていますか。
 スタジオの存在自体は残してあります。ただ稽古場として借りていたベニサン・ピットの建物が老朽化で取り壊しになったため、場所がなくなった。稽古場があるときはみんなでエチュードをやりながら、作品をつくって発表してきたけど、それができなくなった。エチュードをやらなくなるとダメなんですよね。それで、ニナガワ・スタジオは名前としては残しておいて、別にネクスト・シアターをつくるからオーディションを受けたい人は来ればいいと言いました。僕の中では、あくまでスタジオとネクストは別々の活動ということです。

──ゴールド・シアターは55歳以上の劇団としてメンバーを固定化していますが、ネクスト・シアターについてはどういう方針ですか。公演毎にオーディションを行うプロダクションで運営されるのですか。
 まだはっきりはしていませんが、やがて固定化してくるかもしれません。若い人の組織感覚というものも見てみたいという気持ちもあるので。作品をやると、役がそれぞれ付いていく、あるいは付かない人も出てくる。それでもなお、僕を中心とした集団に関心があるなら、維持できるだろうし、そうなったら何らかの方法を考えなくてはいけない。今はまだ無給ですが、作品がおもしろいと言われるようになったら、県から補助が出るようになるかもしれないし。そういう声が上がるまでに、3年はかかると思います。(高齢者は生活費の心配をしなくていいですが)ネクスト・シアターを集団化するには、俳優に固定給が出るようにならないと続かない。

──公演はどのぐらいやる予定ですか。
 年に2、3本やれればと思っています。ゴールド・シアターを入れたら年4本になるから、今の僕のスケジュールを考えるとかなり厳しい。最初は自分でやって、緩やかに若い新しい演出家にバトンタッチしていければ…。

──若い俳優たちをどういう基準で選んだのですか。今回のオーディションの参加者にはいろいろな大学で演劇を学んでいた人が多かったと聞いていますが。
 基本的には、台詞がきちんと喋れることと自然に動けること、もうひとつは「ノイズが多い」ことを基準にした。野生をもった、動物的な若者を探したかった。でも、スクエアな俳優が多いんです。姿勢は良い。皮膚はツルツル。清く正しく喋る。これがすべてでおもしろくない。一切、ノイズがない。台詞を明確に喋れるということも大事だけれど、意味もなく明晰というのは不愉快です。内的に何かを抱えこんでいて、それが言葉に表れなければ意味がないけど、そういう俳優は実に少ないですね。僕の関心としては、余計なことをしないで演技によって語らせたいと思っているんだけど、どうなるか、これからです。

──俳優たちの性質が以前と比べて違ってきているということですか。
 違いますね。ニナガワ・スタジオをつくった頃にはもっとノイズがある俳優がいた。かつての蟹江敬三や石橋蓮司がそうだったように、彼らは決して優等生じゃない。はみ出る、迷惑なことをする、僕(演出家)の邪魔をする(笑)。人と違うことをやりたいと思っている連中が多かった。でも、今の若者たちは本当にナイーブだし、穏やかですよ。
 
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