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Performing Arts Network Japan
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倉持裕
倉持裕(くらもち・ゆたか)
1972年、神奈川県出身。学習院大学経済学部卒業。92年の大学在学中より俳優・劇作・演出家として学生劇団に参加。94年、劇作家・演出家・俳優の岩松了が、若手俳優を集めて行ったプロデュース公演『アイスクリームマン』に俳優として出演。以降、岩松に劇作・演出を師事する。96年に俳優・戸田昌宏、谷川昭一朗とともに演劇ユニット「プリセタ」を結成。2004年の退団まで劇作・演出を担当する。00年には自身の主宰劇団「ペンギンプルペイルパイルズ」を旗揚げ。以降、全作品の劇作・演出を手掛けている。物事を独自のシニカルな視点で切り取り、精妙な会話として紡ぐ高い筆力で、日常と背中合わせにある異世界が突如姿を現すような不条理な劇世界を巧みに構築する。独創的な舞台美術による大胆かつトリッキーな劇世界の創造と空間制御力にも定評がある。また小説や能楽、歌舞伎など古典を題材にした翻案、戯曲化にも手腕を発揮。近年はテレビのドラマ脚本やコントを執筆するなど、活躍の場を広げている。04年、劇団作品『ワンマン・ショー』にて第48回岸田國士戯曲賞を受賞。
ペンギンプルペイルパイルズ
http://www.penguinppp.com/
*1 『上を下へのジレッタ』
1968年に「漫画サンデー」で連載。マスメディアの世界を舞台に、膨れ上がる人間の欲望とそれに沿う文明社会を風刺した隠れた傑作。
*2 『こわれゆく男』
1993年初演。ウィンドサーフィンのイベントを企画した広告代理店の社員たちが、現地出張所として借りたマンションの一室で互いに愛憎を募らせていく様を描く。今作と『鳩を飼う姉妹』で岩松は紀伊國屋演劇賞個人賞受賞。
ペンギンプルペイルパイルズ
『ワンマン・ショー』
(2003年8月/シアタートップス)

ワンマン・ショー Play of the Month
M&OPlays 直人と倉持の会『磁場』
(2016年12月/本多劇場)

磁場
磁場
撮影:柴田和彦
世田谷パブリックシアター製作『お勢登場』
(2017年2月/シアタートラム)

お勢登場
お勢登場
撮影:小川峻毅
ペンギンプルペイルパイルズ
『審判員は来なかった』
(2008年7月/シアタートラム)

審判員は来なかった
撮影:引地信彦
埼玉県芸術文化振興財団・ホリプロ
『わたしを離さないで』
(2014年4月〜5月/彩の国さいたま芸術劇場 大ホール)

わたしを離さないで
わたしを離さないで
撮影:渡部孝弘
Play of the Month
M&OPlays『鎌塚氏、放り投げる』
(2011年5月/本多劇場)

鎌塚氏、放り投げる
鎌塚氏、放り投げる
撮影:引地信彦
Artist Interview
2017.5.15
play
The vision of Yutaka Kuramochi   A fascination with people and the world  
人と世間を面白がる倉持裕の視線  
商業演劇から小劇場まで作家、演出家として大活躍している劇団ペンギンプルペイルパイルズ主宰の倉持裕。書き下ろしによるシニカルなコメディから歌舞伎、能、小説、漫画を原作にした作品まで。フィクションの楽しさを満喫できる状況設定と人物造形により世界を見つめる倉持の仕事とは?
聞き手:大堀久美子

──倉持さんが演劇を始められたのは大学時代と聞いていますが、それ以前に何か原体験のようなものはあったのでしょうか。
 そう聞かれて思い当たるのは、中学に進学するくらいの頃に見た映画の『熱海殺人事件』と『蒲田行進曲』です。とても面白かったのですが、当時はそれがつかこうへいさんの演劇が元になったものだということは知りませんでした。よっぽど面白かったんでしょうね。中学の文化祭で『熱海殺人事件』を芝居でやりましたから。

──クラブ活動ですか?
 いえ、学級の演し物です。つかさんの映画は当時全盛の角川映画(1970年代後半に、当時角川書店社長だった角川春樹が自社発行の書籍をアイドルなどを登用し、映画化することで販売向上の戦略とした映画群)だったので同級生もみんな見ていて、結構、ウケていました。今思うと、あの頃の角川映画は演劇的なつくりの作品が多かったように思います。登場人物たちがよく喋るし、ワンシーンが長い。どこか実験的な香りがしていたように思います。それで文庫本になっていた映画のシナリオを元に芝居にしました。すでに戯曲があることも知らず、自分で舞台用に直して、演出して、木村伝兵衛部長刑事役で出演もしました。

──倉持さんは口調も振る舞いも、あまり感情的にならない印象があるので、その行動力は意外な感じがします。
 人間はどんどん変わりますからね。当時は比較的目立ちたがりで、先生に逆らったりもしていましたね。当時は『ビーバップハイスクール』や『湘南爆走族』といった不良やヤンキーを題材にした作品が流行していた。漫画からアニメや映画になったり。その影響もあったかもしれませんね。もちろん僕はヤンキーにはなりませんでしたが(笑)。当時の話をすると、今の知人には「信じられない」と言われます。

──ちなみに、演劇を始めたことにご家族の影響はありましたか。
 いえ、両親は演劇や映画とはあまり縁はありませんでした。でも当時、恵比寿に住んでいた母方の叔母には映画などに連れて行ってもらいました。渋谷の映画館を二人でハシゴしたり、ちょっと大人向けの映画にも一緒に行ったり。今度、手塚治虫の漫画を原作にした音楽劇『上を下へのジレッタ』(*1)の上演台本・演出を手掛けますが、あの漫画も叔母の家で初めて読みました。
 そういえば、中学生くらいまでは漫画家になりたくて、漫画もよく書いていました。

──倉持さんの中学生時代といえば1990年代。「少年ジャンプ」など漫画雑誌の黄金期です。多感なときにサブカルチャーの息吹に触れていたんですね。
 そうですね。中学生になった頃、大友克洋の『AKIRA』が書店に並んでいた。外見だけ見ても洋書みたいでカッコよかったです。続編がなかなか出なくて、その前に出版された『童夢』を読んだりしていました。

──他に、演劇の原体験になったことはありますか。
 演劇に興味をもつ直接のきっかけになったのは、テレビでイッセー尾形さんの一人芝居を観たことです。世間はお笑いブームで、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンがテレビで活躍していた。そんなときに、フジテレビの深夜番組でイッセーさんのような尖ったアーティストも紹介されていた。イッセーさんの作品は台詞にも人間描写にも、かなりの「毒」が含まれています。そこに強く惹かれたんじゃないかと思います。つかさんの作品でも、描かれている人間たちの熱いドラマにも惹かれていましたが、台詞に仕込まれた毒、ブラックユーモアが格好よかった。高校生のときにはイッセーさんのライブを観に渋谷ジァンジァンにも行きました。もちろんナマで観たらテレビより何倍も格好よくて、大学の演劇サークルに入りました。

──演劇サークルではどのような活動をしていたのですか。
 イッセーさんに憧れて俳優をやったのですが、やってみて初めて「何て不自由なんだ」と気づいた。イッセーさんがひとりであの舞台をつくっていたわけではなく、演出家の森田雄三さんという人がいたことに気づいてなかったんですね。むしろ、自分が興味を持っていたのは森田さんのような演出家の仕事だったのだとわかり、そこから劇作や演出の方に興味が移りました。
 当時、演劇サークルで上演していたのは先輩たちが野田秀樹さんや鴻上尚史さんの影響を受けてつくった作品で、自分がやりたいことと毛色が違っていた。その頃は竹中直人さんも好きだったので、「竹中直人の会」の『こわれゆく男』(*2)を観に行きました。それが岩松了(1952年生まれの劇作家、演出家、俳優、映画監督。兵庫県立ピッコロ劇団代表)さんの作・演出作品でその世界に衝撃を受けました。

──運命の出会いですね。
 はい。冒頭、主人公の竹中さんがいきなり背中を向けて喋り出すんです。変なところから始まって変なところで終わってという断片的なエピソードが続き、まるでジム・ジャームッシュのロード・ムービーのようでした。その時もらったチラシの中に、岩松さんが若手俳優を集めて上演する作品のオーディション情報があり、受けました。それで大学3年生のときに俳優として演出を受けたのが1994年の『アイスクリームマン』(92年初演。自動車学校の免許取得のための合宿施設を舞台に、受講者たちの錯綜する人間関係を描く)でした。
 岩松さんの稽古場にいると、いろいろな俳優が見学に来ますし、一気に世界が広がっていきました。二十歳そこそこの若者には刺激的な環境で、「この人たちのいる世界に行きたい」とのぼせた。岩松さんの真似をして脚本を書き、演出し、大学内のアトリエで公演をするようになったのですが、岩松さんが観に来てくれるんです。いろいろとレベルの高いダメ出しをされて、そのときにはさっぱりわからないのですが、後から「ああ、こういうことだったのか」とボディーブローのように効いてくる。だいたい年長者のアドバイスはそういうものですが(笑)。

──日本では大学時代に学生劇団を立ち上げて劇作・演出をはじめるケースが多いです。既存の劇団に所属しているなら別ですが、岩松さんのような師匠と出逢う例はあまりないと思います。
 恵まれていると思います。岩松さんは、多少は僕のことを買ってくれたのだと思いますが、台本を送れと言われ、読むと喫茶店に呼ばれて直接アドバイスをくださいました。学生の間にそういう大人と付き合うようになり、自意識みたいなものをケチョンケチョンにされて我に返ったというか、自分が何者でもないことを自覚した。本当によかったと思います。そういう大人とはじめから一緒にやっていたので、プロデュース公演をやるようになっても違和感はありませんでしたね。

──戯曲は何を手がかりに書き始めるのですか。
 当初は、完全に岩松さんの模倣をしていました。岩松さんの“物事の面白がり方”とでも言えばいいのか……岩松さんが日常や人間関係のどこを面白がって戯曲にしているか、という観点で考えていました。
 書き出す時に「場所」のアイデアが先にあるケースが多いです。「地下室があり、出入り用のハッチがパカッと開く」という絵が浮かぶとか、「中2階って場所は面白いよな」とか。そこから「中2階と1階で会話するために、人物をどう置くか」と考える‥‥。そういうビジュアルを手掛かりにして、「そんな、妙な場所にいるのはどういった人間たちなのか」と考えていく傾向は今もあります。岩松さんはユーモアでドアがないトイレのように、1カ所だけ変なところをつくったりしますが、僕もそういうものを衝動的に入れたくなります。「襖を開けたら海が広がる」けど、その場の人は驚きもせず会話を続ける、みたいな状況が好きなんです。
 一時期は、穴の中とか、本当に地下ばかり書いていました(笑)。だから出来上がった作品が不条理劇っぽくなる。意図している訳ではなく、惹かれるものを書くと自然にそういう劇世界になってしまうんですよね。「この絵で始めたい、終わりたい」「その絵の中で起こることを書きたい」というのはありますが、「愛について、死について書こう」というところから創作に入ることはありません。
 岩松さんを上手く模倣することで満足していたのですが、『ドリルの上の兄妹』(2003年)を上演したときに、岩松さんに「やりたいことと文体がズレているんじゃないか」と指摘されました。どういう意味かは自分で解釈するしかなかったのですが、それをきっかけに自分のやっていることを考え直し、書き方も変えていきました。

──倉持さんは、1996年に俳優の戸田昌弘さんが谷川昭一朗さんと旗揚げしたプリセタに参加し、2000年から自らの作・演出作品をペンギンプルペイルパイルズ(PPPP)というユニット名で発表するようになります。『ドリルの上の兄妹』はその第5回公演です。
 ええ。それで意識して文体を変えてはじめて書いたのが、同じ年に上演した『ワンマン・ショー』(PPPP第6回公演)でした。

──『ワンマン・ショー』は、部屋に閉じ籠もって懸賞葉書を書き続けるひとりの男がつくりあげた架空の登場人物たちによるバラバラなエピソードがジグソーパズルのように組み合わさっていく作品です。クエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』やデビット・リンチ監督の『ロスト・ハイウェイ』、ポール・オースターの『幽霊たち』などから着想したと言われています。この作品で岸田戯曲賞を受賞されましたが、書き方の変化とは具体的にはどのようなことだったのでしょう。
 それまでは、会話はそれなりにリアルであるべきだと思い、疑いもせずに書いていました。そうすると会話の往復が相当量必要になり、進行が遅い。ひとりで一気に喋ったり、凄く省略したり、リアルな会話でなくともいいと開き直ったら、会話がしっくり回り始めた。それで、ようやく自分が描きたいところまで描き切る、辿り着くことができるようになりました。

──その「描きたいこと」とは何だったのですか。
 何なのかな……『ワンマン・ショー』は変な世界で、時間軸もズレまくっているし……。そんな複雑な世界観、複雑な劇構造で観客を楽しませることができるかどうかを試したかったんだと思います。そんなことが可能なのか、ずっとモヤモヤしていて、ようやく手応えを感じられたのがこの作品でした。

──俳優に当て書きする劇作家もいらっしゃいますが、倉持さんが劇作するときの俳優との関係はいかがですか。プリセタでは戸田昌宏さんと、岩松さんも長年所属されていた東京乾電池(76年に柄本明、ベンガル、綾田俊樹によって結成された劇団。代表は柄本)の俳優・谷川昭一朗さんと組まれています。倉持さんはまだ24歳でした。竹中さんも個性的な俳優として既に知られていて、2013年には「直人と倉持の会」も始められています。
 そうですね。プリセタでは完全に戸田さんと谷川さんにどんな役をやってもらうかから発想していたように思います。竹中さんが俳優の生瀬勝久さんと組む「竹生企画」で作・演出をやるときも同じ感覚で、二人がどういう関係だったら面白いか、どういう風景の中に置くと面白いかを考えます。PPPPでは、俳優からの発想というより劇作でやりたいことをやっている感じです。

──『ワンマン・ショー』を発表した頃から、小劇場だけでなく大劇場など、いわゆる外部のプロデュース公演への書き下ろしや演出の依頼が増えました。
 自分がこれをやりたいというのではなく、依頼を受ける場合は、お題をもらうほうがやりやすい。「全く自由にやっていい」ということになると、向かうべき選択肢ばかり増えて踏み出せないけれど、ある程度の条件を提示されると、行く先が絞り込めて早めに踏み出せます。何かしらの目標、向かう先が見えている方が、やるべきことを具体的に考えやすいんです。

──そうした倉持さんの仕事の中で、注目されるのが原作ものです。国内外の小説、漫画、古典、現代ものなど話題作がたくさんあります。はじめての原作ものが、もう10年以上前になりますが、挑発的な内容、高速な文体でカリスマ的な人気をもつ覆面作家、舞城王太郎の短編小説を元にした『バット男』(2004年)です。金属バットを持ち歩いているのに反撃されてしまうような、弱くて、髪ボウボウで、汚いホームレスの通称「バット男」が殺害された事件をきっかけにしたミステリーですが、どのように向き合ったのですか。
 最初は少し悩んだというか、怯えたというか。それは、原作ファンを裏切りたくないという気持ちからくるものだったと思います。でも原作を読めば読むほど、「自分はこう読んだ」と示すほかないと腹を括り、それで書き進められました。

──その後、歌舞伎の『女殺油地獄』を元にした『ネジと紙幣』(2009年)、世田谷パブリックシアターがプロデュースしている現代能楽集シリーズで能「葵上」・狂言「花子」・近代能楽集「班女」をオムニバスにした『花子について』(2014年)、江戸川乱歩の8本の短編を原作にした最新作『お勢登場』(17年2月にシアタートラムで上演。出演は黒木華、片桐はいり他)など、本当に幅広いです。
 特別、僕が古典や日本文学に造詣が深いわけではありません。せいぜい日本文学だと夏目漱石が好きかな、というぐらいです。原作ものではそれをどう面白がるかということなのですが、能や歌舞伎などの古典と乱歩ではちょっと面白がり方が違っていると思います。古典の謡曲などは、物語がとても単純で太く、余白も多くて、脚色しがいがあり、やっていてとても楽しい。どんな
脱線しても原作自体に引き戻される力があるので、目一杯ふざけられるんです。
 それに対して乱歩は、作品のセピアな印象と、彼のユーモアを楽しんでいる感じでした。学生時代に乱歩が好きでよく読んでいたのですが、世間ではエログロ小説だと思われているけど、僕は彼の作品にユーモアを感じるんですよね。何てことないことや物に色々な修飾を足して、一生懸命グロテスクにしようとしていて、やり過ぎなところもあって。そういうところに凄く共感できた。僕自身、結構なペースで戯曲を書いているので、ワンアイデアしかなくて、「とりあえずこれで押し通すしかない」みたいに思って書くこともあり、乱歩の気持ちがわかるというか(笑)。
 演劇を2時間保たせるために最低限必要なアイデアの数はやはりあると思うんです。その目途がたたないのに書き出して、書き続けている時はやっぱり苦しい。無いものを有るかのように見せる努力、保たせる努力をしているので。そういうところに乱歩のユーモアを感じて、『お勢登場』ではそこを楽しもうと思いました。

──『お勢登場』では、妻・お勢の不貞に耐えている肺結核で余命いくばくもない夫・格太郎が、最後はお勢に長持ちに閉じ込められて殺されます。悪女になったお勢の若い頃のエピソード、押し絵に描かれた少女に恋をして絵の中に入ってしまった男のエピソードなどが並行して描かれます。どのようなアイデアで戯曲化したのですか。
 あの作品は8本の短編をまとめたもので、その中の1本が『お勢登場』で、文字面も格好よかったので芝居のタイトルにしました。乱歩は自身の代表作である「探偵・明智小五郎のシリーズ」でお勢をゆくゆくは明智のライバルにしようと考え、『お勢登場』というタイトルまで付けて書いたのですが、結局、その構想は実現しませんでした。人とは違う倫理観で悪を楽しんでいるようなお勢がとても魅力的だったのと、その裏設定にもすごく惹かれて、「乱歩ができなかたのなら、僕が活躍させてやろう」と。それで、登場人物の置き換えができる短編を探し、それらを繋ぐ役割をお勢に担わせて構成しました。
 ただ、他の短編の役をお勢に置き換えただけでは一貫性がなくなる。一貫性のある人物像をつくるためにどうするか。そこで少女時代のお勢を出そうと考え、その少女をどういうキャラクターにするかでお勢と関わる他の登場人物たちのリアクションも変わり、物語が膨らんでいって凄く楽しかった。お勢という人物の輪郭が自分の中でどんどん濃くなって、強い主人公が生まれるのが実感できました。

──今回の舞台美術は2階建て構造でした。2階の中央にはお勢の少女時代や乱歩の迷宮世界を象徴するような回転木馬、1階は3部屋で、それぞれが前後に動く可動式舞台になっていた。並行して進むいくつものストーリーがこのテンポ良く変わる装置で見事に表現されていました。
 同時進行で複数の話が進み、場面がテンポ良く変わっていく芝居は何作もつくってきたので、自分の中ではひとつのジャンルのようになっています。これまでは廻り舞台(盆)を使って処理してきたのですが、『お勢登場』ではそうじゃない方法を試したかったので、プランの段階から美術と相談しました。そうして出てきたのが、舞台を分割して前後に動かす「引き枠」のプランでした。前後に動くことで、何ものかが闇から出てまた闇に去っていくという、乱歩の世界観に似合う構造が生まれた。役者はひとり何役も演じ分けていますし、可動式の舞台の中で動き回らなければならなかったので、凄く大変でしたが(笑)。

──倉持さんの盆を使った作品では、PPPPの『審判員は来なかった』(08年)が記憶に残っています。『お勢登場』と同じ小劇場のシアタートラムでした。独立したばかりの架空の小国パリエロが舞台で、みんながいろいろ混乱する中で国技にするための新しいスポーツを開発するという設定でした。ここでも7人の役者が22役をこなしていました。
 それが、初めて盆を使った作品です。僕には演出の手数を、引き出しを増やしたいという欲求が強くある。だから、スタッフと打ち合わせをしていてやり方を幾つか提案されたら、その中で今までにやったことのないものを選ぶことが多いんです。『審判員は来なかった』では、「盆を使ったことがないから使いたい」というわがままから始まって、そのために戯曲も書いた(笑)。盆を廻しながら架空のスポーツの試合を見せましたが、はじめてだったので装置をうまく使いこなせていないところがありました。
 この作品を観たプロデューサーに「この方向の作品をつくって欲しい」と言われて、やはり盆を使ってつくったのが2011年の『鎌塚氏、放り投げる』(“完璧な執事”をめざす鎌塚アカシが、毎回様々なトラブルに巻き込まれながらも機転と豪腕で切り抜けるコメディ。後にシリーズ化される)でこれが上手くいきました。『鎌塚氏』は「コメディをやる」と表明してつくった初めての公演で、笑わせますと宣言して笑わせることのプレッシャーとやり甲斐をはじめて知りました。あの作品から一緒に仕事をしたいと声をかけてもらうことが増えましたね。

──原作ものとしては、2014年に蜷川幸雄さんが演出したカズオ・イシグロの小説『わたしを離さないで』の脚本も手掛けられています。臓器移植をするために育てられたクローンたちを主人公にした一人称で語られている世界的名作です。国も人種も変わっているのに、元の世界観が全く壊れていなくて、画期的な舞台になりました。
 僕も大好きな小説で、お話をいただいた時は一も二も無くお引き受けしました。イシグロさんが違う国の話として脚本化してもいいと言ってくださいました。ならば日本にしようと。臓器移植の素材となるクローンたちの生育施設なら、少なくとも先進国にはどこにでもあるだろうと。それと、全編キャシーという少女の一人称で書かれていますが、それをそのままやることは止めようと思いました。キャシーの視点で書かれているので、小説ではもうひとりの少女ルースが嫌な人物になっていますが、そこを第三者の視点で見たらどうなるだろう、ということも盛り込みました。意地悪されるキャシーにも、それなりの理由があったのでは? と。語り部をつくらず、そこを補填する会話を想像しながら脚本を書いていきました。

──原作ものを扱うときに留意していることはありますか。
 それは、元のプロットを絶対に変えないということです。作者や原作ファンへの敬意をはらう意味もありますが、そもそもプロットをいじったら原作から創作する意味がなくなる。というか、プロットを組むというのは本当に苦しい作業で、原作ものには折角素晴らしいプロットがあるのにそこを変えて一から考えて苦しむなんてありえない(笑)。原作ものでそこを変えようとする人もいますが、僕はそれはもったいないと思ってしまう。そこを変えなければ、脚本を書くのも演出するのも本当に楽しいんです。戻る場所(原作)がしっかりあるから、どこまでも遠くに行ける。

──今年は5月に手塚治虫さんの漫画を原作にした『上を下へのジレッタ』があります。漫画という絵があるものを扱うときに留意していることはありますか。
 漫画が原作でもプロットを拝借するところは忠実にやっています。ただし、原作を尊敬しているからこそ「絵」を立体として再現しようとしてはいけない、そこに手を出しちゃいけないと思っています。そんなことをしたって原作の絵より良くなるはずがない。絵で何を伝えたかったのかという部分をとにかく考えて、そこを手掛かりにすれば裏切ることにはならないと思っています。
 例えば『ジレッタ』だと、登場人物のひとりである山辺音彦があやつる妄想世界を公共放送として試験的に全国に放送し、それがあまりにエロチックで国民の反感を買うという展開があります。そこは凄くエロチックな絵が描いてあるのですが、僕はそのビジュアルに拘る必要はなく、「やったことが反感を買う」という展開になればいいと解釈して考えていきます。

──また8月には、完璧なる執事・鎌塚アカシが様々な困難や謎に挑むシリーズ第4弾のコメディ『鎌塚氏、腹におさめる』が予定されています。倉持作品では、笑いやユーモアも重要な要素になっています。
 はい。何をつくっていても、僕はどこかでふざけていたいんだと思います。意図的にというより直観的に、「この芝居はここで少しふざけておかないと先に進めない」みたいなところが絶対にあるんです。どこかで「これはつくり物なんだ、虚構なんだ」ということを、つくり手も受け手も1回我に返って自覚しておこう、みたいな時間を持たないと次にいけないという感覚が凄くある。だから笑いが好きというのとは少し違うかもしれませんが、「なんでここでそんなことを言うの」みたいな感じで芝居を壊してしまうような笑いが好きなんです。だからナンセンスとか不条理とか言われるのかもしれませんが。

──芝居は虚構なんですよ、という前提を共有しておきたい。そのための笑いであると…。
 そうですね。現実にあるものをそのまま舞台に移植したいわけじゃないので。移植するからには「これはニセモノだよ」という自覚をもってやらないと、演劇は面白くも何ともない。俺たちは虚構をやっているんだよ、ということを自覚できるぶっ飛んだシーンを入れておくと、俳優も思い切った表現をやれるようになりますし。ここはこういう感情の流れだからこうはできないみたいな、悪い意味で神経質なつくり方にならなくてすむ。別に現実じゃないんだから、AからBに移らずに飛んでもいいじゃないとやってみる。そうすれば役者も観ている側も、演劇って楽しいなって感じになれるんじゃないでしょうか。

──岩松さんから学んだ「人と世間の面白がり方」から20年が過ぎました。その創作の指針は今、倉持さんの中でどういうものに変化していると思いますか。
 何か事件が起きた時、まず誰かを悪役に決め、そのどちらかの側で語るというやり方はしたくないと常に思っています。僕は、何か起きた時に、悪いことをした人間、それに文句を言う人間、擁護する人間など、人がどう動くのかに興味があって。だから人間は描くけど、ちょっと俯瞰して見ているというか、その人たちが蠢いているのが社会であり、そういう社会を見ることに興味があるんだと思います。そこはずーっと変わらない。逆に社会と人はグニャグニャと変わり続けるもので、そこを面白がっているところもあって、きっと飽きることはありませんね。
 
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