The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
スズキ拓朗
スズキ拓朗(すずき・たくろう)
撮影:雨田芳明
pdf
CHAiroiPLIN vol.7
『さくらんぼ』 噺体-HANASHI TAI-1

(2015年3月12日〜15日/「劇」小劇場)
『さくらんぼ』 噺体-HANASHI TAI-1
撮影:福井理文
神楽坂セッションハウス
民間が運営するアートとダンスのスタジオ。平日はバレエ、コンテンポラリーダンスのオープンクラスを開講し、週末はコンテンポラリーダンスを公演する小劇場として知られる。また、セッションハウス企画室の主催により未来を担う若手ダンサーの支援にも力を入れ、「シアター21フェス」「D-ZONE」、近藤良平による企画などさまざまなダンスプログラムを実施。付属カンパニーは伊藤直子(ダンス部門企画監修)が主宰するマドモアゼル・シネマ。レジデンス・アーティスト企画あり。
シアタートラム ネクスト・ジェネレーション vol.6
tamagoPLIN『さいあい〜シェイクスピア・レシピ〜』

(第3回世田谷区芸術アワード“飛翔”受賞者公演)
(2014年02月21日〜23日/シアタートラム)
さいあい〜シェイクスピア・レシピ〜
撮影:福井理文
CHAiroiPLIN vol.6 踊る戯曲2
『マッチ売りの少女』

(2014年11月6日〜9日/d-倉庫)
マッチ売りの少女
マッチ売りの少女
撮影:福井理文
トヨタ コレオグラフィー アワード 2014“ネクステージ”(最終審査会)
『〒〒〒〒〒〒〒〒〒〒』

(2014年8月3日/世田谷パブリックシアター)
〒〒〒〒〒〒〒〒〒〒
撮影:bozzo
Artist Interview
2016.5.9
play
Driven by “playful spirit,” the dance theater of Takuro Suzuki”  
“遊びゴコロ”が原動力 スズキ拓朗のダンス演劇  
2007年にダンスカンパニー「CHAiroiPLIN(チャイロイプリン)」を立ち上げて以来、振付家・演出家・ダンサーと多方面で活躍するスズキ拓朗(1985年生まれ)。2011年にユニット「tamagoPLIN(タマゴプリン)」で発表した『さいあい〜シェイクスピア・レシピ〜』で注目を集める。人間関係に悩む女子高生が、野菜たちと一緒にシェイクスピアのテキストを通して愛を学ぶ奇想天外な物語で、多くの賞を受賞。ダンサーとしては、2011年に学ランで踊るダンス集団「コンドルズ」に入団し、メンバーとして国内外で踊り続けている。近年では、CHAiroiPLIN作品で「踊る戯曲シリーズ」をスタートし、『FRIEND』(原作:安部公房)、『マッチ売りの少女』(原作:別役実)などを発表。生演奏やアイデアルなビジュアルにより、ダンスと演劇を融合させた大人から子どもまで楽しめる祝祭的な世界をつくりだし、人気を集めている。また、2015年度には文化庁による「東アジア文化交流使」に任命され、ソウルでワークショップを行うなど海外でも活動。ダンス、演劇、音楽、ビジュアルを巧みに融合させるクリエーションへの思いをインタビューした。
聞き手:川添史子

──舞台芸術との出合いから伺えますか。
 もともとは保育士になろうと思っていました。第一志望の大学を目指して受験勉強をしていた高校3年生の春に、たまたま地元・新潟上越市に来た「ふるさときゃらばん」という老舗劇団の公演を観に行きました。演劇を通して感受性を育て、社会を勉強する「教育演劇」という文言に惹かれて行ったんですが、人生についての物語を生演奏で見せるミュージカルで、それが格好良かったんですよね。踊りもあって、音楽ライブみたいで、ジャンベの生演奏に感動しました。それで「演劇ってなんだろう?」となって、急遽、進路変更して、受験が間に合う演劇学校を探しました。母はもともと演劇部だったらしく応援してくれましたが、父親はずっと反対していました。当たり前ですよね…(笑)。

──桐朋学園芸術短期大学を選ばれた理由は?
 とりあえず「演劇=シェイクスピア」だ、日本でシェイクスピアといえば蜷川幸雄さんらしい、蜷川さんが学長をやっているのは桐朋らしい…と、演劇の「え」の字も知らずに桐朋に入りました。卒業後は俳優を目指して、蜷川さん率いる彩の国さいたま芸術劇場付属の若者劇団「さいたまネクスト・シアター」の第1期生オーディションに合格し、入団しました。

──第1回公演『真田風雲録』(2009年)に出られたんですね。床に泥をひいた演出が話題になりました。
 はい。泥の中で格闘していました(笑)。

──ダンスへの興味はどこから?
 さいたまネクスト・シアターに入る前ですが、ピナ・バウシュの舞台を観たんです。何も喋らないのに、「そこに人間がいる」という強い存在感に、自分が桐朋で4年間勉強したことが覆されてしまいました。そのあたりから「アレ? 演劇じゃないかもしれない」と思い始めたんだと思います。

──ネクスト・シアターなどで俳優をやりつつ、ダンスへの興味も大きくなっていったということですか。
 はい。当時蜷川さんに「お前はオーディションでダンスやりたいって言ってなかったか?」って尋ねられると、「そうなんですけど、俳優も極めたいんです」と答えていました! 身の程知らずでしょ(笑)。でもやはりネクストは、俳優一筋の人が集まっているので、劇場の方にもご相談して、1年で辞めました。

──ダンスの経験はどう積まれたのでしょうか。
 そもそもは「ダンスを踊りたい」というより、言葉じゃなくて身体で表現してみたいという興味から始めたことでした。ジャズダンスのレッスンぐらいしか経験がなかったのに、桐朋祭という大学の内部イベントのために「CHAiroiPLIN」というユニットを立ち上げたのですが、それが今もやっているダンスカンパニーです(旗揚げ公演は2007年『さりげなくポトフ』)。
 その後、東野祥子さんのオーディションを受けたのをきっかけに彼女のカンパニーBABY-Qで継続的に踊らせてもらい(2008年『Matar o no matar』、2009年『[リゾーム的]なM』ほか)、山田うんさん(2009年『カエル』、2010年『ショーメン』)や矢内原美邦さん(2010年愛知トリエンナーレに参加したNibroll公演『THIS IS WEATHER NEWS』)の作品にもダンサーとして参加しました。
 神楽坂セッションハウス(*)が企画したピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団のダンサー、ジャン・サスポータスさんのワークショップ公演に参加したのがきっかけで、マドモアゼル・シネマに出演したり、セッションハウスでのオリジナル作品を継続的に発表するようになりました。

──2010年から近藤良平さんが率いるコンドルズに所属します。
 コンドルズの京都合宿ワークショップに参加したのをきっかけに、近藤さんが振付するセッションハウスのダンス企画に誘っていただいたんです(2010年『立体絵本』〜麗しき山羊〜)。たまたまですが、男性の振付家の作品に出演したのは近藤さんが初めてだったからかもしれませんが、結局、コンドルズにメンバーとして落ち着きました。入団してからは、オーディションを受けて他カンパニーに出ることはなくなりました。

──色々な振付家の作品にダンサーとして参加している時も、CHAiroiPLINの活動は続けていて、2010年には「tamagoPLIN」という演劇ユニットも結成しています。
 自分で作品を創ることに興味があったんだと思います。東野さんもうんさんも、振付を渡すだけではなく、「テーマを渡すから何か考えて」とダンサーにも提案させるタイプの方でしたし。そういうつくり方は、今の僕の仕事にも繋がっているところがあると思います。
 tamagoPLINは、桐朋の後輩「パフォーマンス集団・たまご」がせんがわ劇場演劇コンクールに出場したいからと相談されて、CHAiroiPLINと合体させた限定ユニットだったんです。この時につくったのが、水木しげるの漫画をモチーフにした『空想石』(2010年)で、第1回せんがわ演劇コンクールでオーディエンス賞を獲りました。翌年、受賞者公演として発表したのが『さいあい〜シェイクスピア・レシピ〜』です。

──この作品は、その後、タイニイアリスが主催した「ドラマツルギ×2011」(大賞&観客賞受賞)、「若手演出家コンクール2011」(優秀賞受賞)、「第9回杉並演劇祭」(優秀賞受賞)、「第3回世田谷区芸術アワード”飛翔”」と多くの賞を受賞し、繰り返し再演されました。高校演劇をやっている女子高生が人間関係に悩み、野菜たちと出会って、野菜たちとともにシェイクスピア作品から人間について学ぶという奇想天外な物語です。野菜とシェイクスピアというアイデアはどこから湧いてきたのでしょうか。
 この作品をつくる前に、中野にあるRAFTという劇場で子ども向けの作品をつくることになり、野菜の話にしました(2010年「子供と演劇『おかわりおやさい』」)。当時、僕自身が人間関係に嫌気がさしていて、「人間に関係ない素材はないかな?」と思いついたのが野菜でした。野菜って突き詰めて考えるとそれぞれにドラマがあるんです。剥いても剥いても中味がなくて、「僕なんか中味が無い」と泣くタマネギとか、嫌われ者のピーマンとか、「人間になりたいのになれない」と悩んでいる人参とか…。

──その時発見した“野菜の擬人化”という手法に手応えがあり、『さいあい〜シェイクスピア・レシピ〜』が生まれたんですね。
 そうです。この作品を構想していた時期に読んでいた小田島雄志さんの本に「人間にもし心があるとしたら、それは愛するためにあるのです。シェイクスピアはそれを書きました」という言葉に触発されて、野菜たちが愛を学ぶ物語になりました。嫌われ者の野菜、愛を知らない野菜が、人間に好きになってもらうためにシェイクスピアをテキストにして愛を勉強するという作品です。

──どうやって内容を組み立てていったのでしょう。
 シェイクスピアの戯曲で「愛」と書いてあるところを探して、そこを核にしてエチュードで場面をつくっていきました。「恋」という言葉は多いのですが、「愛」は意外と少なくて、印を付けると1つの戯曲に4カ所しかなかったりする。シェイクスピアの台詞は長いですが、最初と最後に重要なことを言っていて、その間は想像を膨らませていく部分なんです。だから台詞としては、これさえ言えばお話は判るっていうところをピックアップして、その間の部分を身体的に掴んでダンスに置き換えていきました。また、話しの内容をお客さんにわかりやすく伝えるにはどうすればいいかと考えて、例えば『オセロ』だと、ハンカチが浮気を疑うキーアイテムとして出てくるので、「ハンカチといったらハンカチ落としだ」と(笑)。そうやって発想して、動きをつくっていく。つまり、遊びにしていきたいんです。

──“遊び”というのは、スズキ作品を語る上でキーワードかもしれません。CHAiroiPLINが戯曲に挑戦する「踊る戯曲」シリーズも、2016年3月に発表した青蛾館公演『くるみ割り人形』(作:寺山修司、演出:スズキ拓朗)も、話としてはダークな部分を含みますが、重苦しくならずに遊戯的に物語が展開しました。
 暗い場面を遊びで表現し、客観的にお客さんに考えてもらうのが好きなんでしょうね。

──群衆表現も特徴的かと思います。踊る戯曲シリーズの『マッチ売りの少女』には、少女が何人も登場していました。
 どうしてでしょう(笑)。一人で抱え込むと重くなるので分散させたいのかもしれません。基本的に「一人でいるよりみんなでいた方が楽しい」「人といれば何とかなる」というのが持論ですし。それと、僕にとっての群衆は“家族”なのかもしれません。社会の最小単位であるべき家族の大切さを、演劇やダンスを通して表現したいという気持ちはずっとあります。

──エチュードで場面をつくるそうですが、稽古を始めるにあたって演出家として戯曲の解釈を伝えたり、演出プランを伝えたりしますか。
 言わないです。飲み屋で話はしますが(笑)。出演者には「答えはここ(戯曲)にありますが、そのままやる気はありません。読んでおいてほしいけど覚える必要はなくて、稽古場で考えましょう」と伝えます。もちろん自分の中で戯曲解釈はしていますが、そういう入り口から稽古をやりたくないんです。それを言っちゃうと可能性が狭くなる。『マッチ売りの少女』だったら、「マッチを擦るダンスをつくりましょう」とだけ伝えて、どんなものをつくりたいか、なぜつくるかは言わない。その方が可能性が広がるし、そうやっていろいろなものが出来た中で、じゃあこういう解釈に当てはまるのはどれだ?と選ぶ。でも、つくったものは意外に全部当てはまるんですよね。

──ダンスや音楽は言葉よりもダイレクトに表現できて、意味を介さないでダイレクトにお客さんにぶつけられる気がします。
 本当にそう思います。言葉って基本はウソというか、本当の事を言っても、話せば話すほど伝わらないことがありますよね。言葉でわかりあおうというのは結構難しい。僕の場合、左脳が働いてないからだと思いますけど(笑)。解釈を組み立てていく、いわゆる演劇的なやり方がわからないんですよ。

──「踊る戯曲」シリーズはどういった意図から始められたのですか。
 俳優出身なので、好きな戯曲がたくさんあるんです。それをやりたいと思ったのですが、普通にやる劇団はいろいろあるし、僕が演劇でやっても仕方ないなと。それなら、単純な発想なんですけれど、戯曲で踊らせてみると面白いんじゃないかと思いました。安部公房の『友達』も何度か舞台を観たことがあるんですが、僕には後半が魅力的に映らなかった。それなら、僕にとって面白いと感じられる身体的要素やダンスの演出を加えることに可能性を感じました。このシリーズは『三文オペラ』で一度締めくくりましたが、“ストーリー性のあるダンス”にはまだまだ興味があります。戯曲、絵本、落語などを使って、これからも作品をつくり続けようと思っています。

──完全オリジナルの作品には、今はあまり興味がないのでしょうか。
 『さいあい〜シェイクスピア・レシピ』やセッションハウスで上演した『あずき〜乙な味弐〜』(2012年)などオリジナルな台本もやっていますが、基本的には優れた作家が書いたものをやった方がいいと思っています。「今は自分がこういうことを考えている」というのを自画像的につくっても、僕の人生ドラマなんかたいしたことないので(笑)。俳優出身だからかもしれませんが、やっぱり“何か”にならないと舞台には立てないというか、自分として立つという考えが僕の中にはないんです。例えばコンドルズは常に学ランを着てますよね。そうすると、学生に戻るみたいな感じがあるんです。だから、いつもよりちょっと若い身体でいられるし、若い気持ちで舞台に立てるんです。

──自分に向き合うと遊びがなくなりますからね。
 そう、何かおもちゃが必要というか、自分じゃなくて外にあるもので遊ぶことによって自分がわかる。そういう振付の仕方しかできないんですよ。ある意味、舞踏の考え方に近いと勝手に思ってるんですが…。舞踏は自分から動くことじゃなくて、タバコの煙のように、周りの空気に動かされる動きだと言うでしょ。

──人に振付ける時も、役が必要なのでしょうか。
 そうですね。枷というか、制限をかけていくのが役を演じるということだと思うんですね。たとえば、「風船を膨らませるというテーマで、今から振付します」となると、要は、“膨らませる人”とか“風船”とか、そこで「自分じゃない」という設定になる。「自分をどう見せるか」という振付を考えたことはなくて、こういう何らかの役のようなものが必ずあります。

──コンドルズの舞台づくりで学んだ部分も多いですか。
 やっぱり多いですよ。コンドルズはメンバーそれぞれに役割があるんです。良平さんが振付けを考えている時に、映像や小道具をつくるとか、こういう時はこれをするという役割を自分で勝手に考えていて、動いてる。今は僕は休む時間みたいな人もいるし(笑)、良平さんとプロデューサーの勝山康晴さんが話している時間は、俺らは何も言わない方がいいとか。集団が20年も続くというのはこういうことなんだと思います。人の集まりで表現したい、自分じゃなく周囲との関係で自分をわかっていきたいということを、良平さんは天才的に自然体でできる人なので、非常に参考になります。

──みんなでものをつくっていきたいということに関しては、スズキさんにもコンドルズ・スピリットがあるということですよね。
 あります。そういうのじゃないと、僕は作品をつくれない。小道具も全部自分たちでつくるし、仕込みもやろう、バラシもやろう、衣裳もやろう、洗濯も自分でやってください、みたいな(笑)。

──生演奏の音楽を使うことも多いです。音楽はやはり重要ですか。
 重要ですね。音楽はリズムをつくってくれるので、感情の変化も生まれてくる。「僕はどうして振付の仕事が好きなんだろう?」と考えると、音楽を聴きながら色々想像することが好きだからなんだと思います。普通に喋るより、音楽を通した方が早く伝えられるし、何て言うか、面倒臭くない(笑)。だから、僕の場合は作品をつくることになったら、まず音楽を聴きまくります。お茶の水によく行く古いレコード屋があるのですが、そこには変なレコードがたくさんあるので、“音楽を聴く日”を4日間ぐらいつくって、そこでずーっと聴いています。そうしている間に、パッと何か思いつく。まず脳味噌を音楽で膨らませて、右脳が広がった状態のところに左脳を働かせなきゃいけないパズルのようなものをポンと入れる。そうすると、それが遊びに変化するんです。今の言い方はかなり抽象的ですが、創作するときの順番はそんな感じです。
 音楽って無条件で楽しめるじゃないですか。そういう舞台がつくりたいんだと思います。音楽みたいなダンス、音楽みたいな演劇。それって無条件のエンターテインメントですよね。中身がすごく複雑で硬い戯曲でも、大枠を音楽に彩られた楽しい世界で先に覆ってしまえば柔らかくなっていくんです。硬い麺にお湯を注いであげるとフワーッとなるカップラーメンみたいに(笑)。でもフワーッとしたって味は一緒なんです。

──スズキさんの在学中、2008年に桐朋学園のすぐ近くに調布市がオープンしたせんがわ劇場(121席)は大学との縁が深く、いろいろな企画に関わられています。
 開館当時、せんがわ劇場の芸術監督をされていたペーター・ゲスナーさんは大学の指導教官のひとりでした。その縁で、ペーターさんが演出した『愛ってなに?』(せんがわ劇場アンサンブル)に役者として参加したのが最初です。

──せんがわ劇場は隣が保育園になっていて、子どもの事業にも力を入れていますし、市民が参加する事業もあるなど地域に密着した劇場です。劇場がプロデュースする演劇公演ではよく振付も担当されています。自分の芝居をしているだけだと出会えないようなアーティストや観客との出会いがありますね。
 せんがわ劇場が対象にしているのは、子どもからおじいちゃん、おばあちゃんまでで客層も幅広く、ジャンルもクラシック音楽、ジャズ、演劇、ダンスといろいろやっています。客席を見ていると、反応が多彩で面白いし、自分のやったことに様々な答えが返ってきます。

──それがスズキ作品の間口の広さにも繋がっているのかなと思います。
 そうですね、色んな演出家の方と一緒にお仕事させていただきますし、求められることも違います。それが自分のつくる作品の作風に反映されるかというと、そういうことではないのですが、引き出しは増えます。今、外部で振付を頼まれても困らないのは、せんがわ劇場での蓄積があるからだと思います。

──今でも2カ月に一度ぐらいのペースで何かやってらっしゃるみたいですね。
 僕は、常にエンジンを吹かしておくことが大事だと思っているんです。自分のカンパニーの作品をいつもつくっていられるわけではないので、それ以外の時にもいろいろな人と関わって常にアンテナを張り続けることが大事。それと、アーティストはジャンルに関係なく、いろんなことをやる方が良いとも思っています。演劇だけ、ダンスだけをやるのではなくて、子どもたちと遊んだり、旅行にも行った方がいいし、絵も描いた方がいい。そういう中で自分のやりたいことがわかってくる。
 最近、青山健一さん(映像・宣伝美術)とよく一緒に仕事をさせていただくんですが、彼が面白いことを言っていて、「自分の自画像を描くのは割とすぐ終わっちゃう。でも、自分の周りのものを描くのは永遠に終わらない」と。僕も、周りを描くことによって自分を表現するという絵の描き方が好きなんだと思います。いろんな演出家と一緒にやって、その人が面白いと思うことと、それに触発されて僕が面白いと思うことを提示して、いろいろな人と描いていく。他の人と触れ合わないと、自分のやりたいことは見えてこないと思っているんです。

──文化庁の東アジア文化交流使に任命され、ソウルでワークショップをされました。また、『FRIEND』は2015年に韓国ツアーも行われています
 はい。韓国の方には僕の作品がなんかすごく合うみたいで、楽しんでいただけました。東アジア文化交流使では『三文オペラ』を題材とした3日間のワークショップを開催したのですが、相当高いクオリティーのものが出来ました。30分で6シーンぐらいつくったのですが、短期間でこれだけやるのはかなり難しい。でも参加した俳優に実力があって、ダンスもできるし、覚えるのも1日でできたし、衣裳もつくってもらったのですがこれも1日で出来上がってきた。僕のやり方に戸惑いもなかったみたいで、言葉が通じない弊害もあまり感じませんでした。遊びを基本にしたつくり方というのは、国籍に関係なく有効だと思いました。

──本当に様々な仕事があって、忙しいですね。
 ありがたいことです。継続的にいろんな所でやるのが僕の趣味というか、「関わったらずっとやる」と決めているんです。椿組の振付もずっとやらせていただいていますし、コンドルズとも、せんがわ劇場ともずっとやっていきたい。止めるのは簡単ですから。とにかく続けていくことを考えたいなと思っています。
 
TOP