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宮田まゆみ
宮田まゆみ(みやた・まゆみ)
1954年東京生まれ。国立音楽大学ピアノ科卒業後、雅楽を学ぶ。雅楽の管楽器・笙を国際的に広めた演奏者。79年より国立劇場の雅楽公演に出演。83年から笙のリサイタルを行い、武満徹、ジョン・ケージ、ヘルムート・ラッへンマンらの現代作品を初演。国立音楽大学客員教授。
雅楽
5世紀以降に朝鮮半島や中国大陸を通じて日本に伝来したアジア大陸諸国の舞や器楽が源流。それらの諸芸と日本古来の音楽を融合し、平安時代の王朝貴族が自分たちの音楽として楽しむようになり、それが雅楽の基となった。日本固有の古楽に基づく国風歌舞(くにぶりのうたまい)、中国系の唐楽(とうがく)、朝鮮系の高麗楽(こまがく)、平安時代につくられた催馬楽(さいばら)・朗詠(ろうえい)などがあり、演奏形式には器楽合奏である管絃、舞が伴う舞楽、声楽を主とする歌謡がある。平安時代に宮廷社会で雅楽が盛んになると雅楽の教習や演奏を司る楽所が設けられ、やがて楽所が楽舞の中心的な機関となり、楽人を輩出する楽家(がっけ)が生まれ、以来、楽家の父子相伝により伝承されてきた。雅楽の器楽演奏に用いられる楽器には篳篥・笙・龍笛などの管楽器(吹物ふきもの)、琵琶・箏などの絃楽器(弾物ひきもの)、鞨鼓・大太鼓・鉦鼓などの打楽器(打物うちもの)がある。
*1 宮内庁楽部
宮中の雅楽を伝承している機関。「宮内庁式部職楽部」の略称。701年に雅楽を管掌する「雅楽寮」が設置された。明治維新後に雅楽局、雅楽課、雅楽部と改称し、1921年に「楽部」に改められた。宮中の儀式などの雅楽を担当し、55年に国の重要無形文化財に指定された。
楽師になるには中学卒業後、試験を受けて「楽生」として宮内庁楽部に入り、7年間実技と知識を学んだ後、正式に採用される。楽師は雅楽の継承が使命だが、西洋音楽も学び、皇室の晩餐会などで演奏するほか、雅楽の装束や楽器、面などの継承にも携わる。

*2 『秋庭歌(しゅうていが)』
1973年、武満徹作曲の17人編成の現代雅楽。国立劇場で初演。この演奏が好評を博し、79年に、29人編成の6楽章からなる『秋庭歌一具(しゅうていがいちぐ)』が生まれた。雅楽で「一具」は、多楽章形式の曲において、所定の楽章が全部揃っている形をいう。芝祐靖は国立劇場のインタビューで『秋庭歌一具』について、「雅楽の曲の作りではない音の構築で出来たもの」と述べ、この曲との出合いが「伶楽舎への布石になった」と語っている。

*3 唱歌(しょうが)
雅楽の管楽器は楽器を持たずに膝を叩いてリズムを取りながら歌い、旋律を覚える。唱歌は楽器ごとに異なり、例えば『越天楽』の初めは笙では「ボ〜オ〜、イイイチ、オツ〜〜」。篳篥は「チ〜ラ〜ロ〜ルロ、タ〜アルラ〜」。弦楽器に唱歌はない。
宮田まゆみ
*4 『One⁹』
1991年にジョン・ケージが笙のソロのために宮田まゆみとの共同作業で作曲した作品。作曲のための道具としてコンピュータにプログラムされた易を用い、易によって選び出された音と時間設定を組み合わせるチャンス・オペレーションによる偶然性によって生み出されたもので、10数分の小曲10曲で構成。
*5 『越天楽(えてんらく)』
雅楽の中で最も知られた曲目。舞は絶え、管絃で演奏される曲のみが伝わっている。
*6 楽家(がっけ)
代々、雅楽を継承して来た楽人を出した家。
伶楽舎雅楽演奏会 武満徹「秋庭歌一具」
(2016年11月30日/東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル)
秋庭歌一具
秋庭歌一具
撮影:JSouteyrat
Artist Interview
2018.5.16
music
The Japanese Sho mouth organ of Mayumi Miyata Giving voice to the natural world  
森羅万象を映す 宮田まゆみの笙  
千年以上の時を超えて伝えられてきた雅楽は、日本古来の音楽と渡来音楽が融合し、独自の発展を遂げた日本を代表する文化のひとつ。中でも宮中を中心に伝承されてきた宮内庁式部職楽部の雅楽は2009年に世界無形遺産にも登録された。その雅楽の音楽文化としての魅力を世界に伝えてきた草分けが、プロの笙演奏家である宮田まゆみだ。現代音楽、コンテンポラリーダンス、オペラとの共演など、「雅楽」の枠にとらわれず活動する宮田さんに、雅楽の魅力と音楽としての可能性を聞いた。
聞き手:奈良部和美[ジャーナリスト]

宮田まゆみの笙の世界

──宮田さんは雅楽と出合う前はピアノを学んでいたと伺っています。雅楽との出合いはどのようなきっかけですか。

 雅楽と出合ったのは大学を卒業してからです。大学ではピアノを専攻していて、在学中から音楽美学にも興味がありました。当時は、17〜18世紀から20世紀までのとても限られた時代の、しかもヨーロッパ中心の音楽だけをどうして毎日何時間も一生懸命練習しなきゃいけないのかと疑問に思うこともあり、もっと別の音楽があるんじゃないかと感じていました。
 子どもの頃からいろいろな国や時代の文化に興味があり、特に古代のエジプトとかギリシアとか中国の文化に興味がありました。大学の音楽美学の授業で音楽学者の国安洋先生に、古代ギリシアには「宇宙のハーモニー」という考え方があったと教えていただきました。プラトンの『国家』第10巻の『戦士エルの物語』で、戦争で亡くなったエルという若い兵士が生き返って臨死体験を語るというものがあります。その中で、女神アナンケの膝の中で回転しているはずみ車が出てきます。はずみ車には8つの輪があり、輪の上にセイレーンが乗っていてそれぞれひとつの声を発し、それが共鳴している。向こう側の世界ではこういう宇宙のハーモニーが聞こえてくるということを知りました。私も生きているうちにそういうハーモニーを聴いてみたいなと思いました。
 ピアノは好きでしたが、ピアノの鍵盤は押しても直ぐに音が減衰するのであまり宇宙のハーモニーと感じられない気がしました。もっと音楽美学を勉強すれば宇宙のハーモニーに少しは近づけるかなと思い、音楽美学に惹かれるようになり、大学院に進んで音楽美学を学ぼうかと思っているうちに、笙に捕まってしまった(笑)。

──捕まったというのはどういうことですか。
 雲をつかむような話になりますが、5月の新緑が美しい頃、1週間ぐらいずっと雨が降り続いてようやく上がった日があったんです。夕方5時頃、電車に乗ってドアの近くに立っていたら、自宅の近くの鶴見川の向こう側に日が傾いていて、雲の切れ間から筋のように光が注いでいた。まるで宗教画にあるみたいな光線を見たときに、周りの音が聞こえなくなって、その光線が響きに思えた。ドキドキ、ザワザワしたすごく不思議な感覚でした。その時に、何となく、これが聞きたかった音なのかなあと思いました。
 それが、今までに聞いたことのある笙の音と結び付いたんです。電車を降りて自宅まで歩いていたら、垣根の新緑がキラキラ輝いていて、途中にある神社の大きな樹から空に向かって水蒸気が立ち上っているのを感じた。その時に、笙の音だけじゃなくて、何となく雅楽全体のイメージが思い浮かびました。太鼓の音は、大地に根を張った、大地の中のひとつの秩序のような感じ。鉦鼓という小さい鐘のチチっという金属音はまるで向こうの世界と通信しているみたいな感じで、鞨鼓の音はトコトコトコと時間を運んでいる感じ。龍笛の音は、空と樹を結んで流れる気のように風を運んでいく感じ。そして私たちのような地にある生き物、例えば人間の声とか動物の声とかが篳篥で、空から注ぐ光がいろいろなものに反射している響きが笙…。
 本当にそうかなと思って、帰宅してから宮内庁楽部(*1)が演奏していた武満徹さん作曲の『秋庭歌』(*2)のレコードを聴いてみた。笙が4人で演奏するところがあるのですが、光から感じたのは本当にこんな音だったと思いました。それで、やっと自分のほしい音が聴けたとわかりました。その時は、別に自分で演奏したいと思ったわけではないのですが、大学の楽器資料室に笙があるとわかっていたので、見に行ったら大分傷んでいた。自分で吹いて変な音が出てイメージが壊れると嫌だったので、この時、ちゃんと習ってみようと思いました。リコーダーの鯉沼廣行先生が雅楽教室に通っていらしたので、信濃町の千日谷雅楽会を紹介していただいて習い始めました。
 習い始めたのが大学を卒業した翌々年の7月頃。その時に楽器を注文したのですが、出来るまで半年ぐらい待たなければいけませんでした。雅楽の最初は歌(唱歌 *3)で練習するのですが、楽器を待つ半年間に唱歌をたくさん練習して、先輩たちの稽古を聴いて、もうそれだけで幸せな感じでした。

──雅楽の管楽器は唱歌を覚えると、楽器を手にしたときにはもう吹ける、演奏できるといわれていますが。
 篳篥や笛は直ぐに音が出るかどうか難しいですが、笙の場合は唱歌を覚えて指遣いを覚えれば、音は出ます。でも人それぞれで、音大生で4年間学んでもおぼつかない人もいれば、直ぐちゃんとできる、直ぐ指の移り変わりも覚えられる人もいる。私はただ面白くて始めたので、最初の苦労はありませんでした。

──雅楽は長い間、男性を中心に演奏されてきたので、当時でも若い女性が笙をやるのは珍しがられたのではありませんか。
 自分で意識したことはありません。習っていた先生のところにも女性のお弟子さんがいましたし。でも、話としては、そうだったと思います。ただ、繰り返しになりますが、自分が演奏したいということはなくて、本当に聴いていられるだけでよかったんです。
 その頃、演出家の木戸敏郎さんが国立劇場でいろいろな企画をされていて、雅楽でも古典の大きな形式を復興して演奏したり、新しい作品を委嘱して演奏することがありました。習っていた時に先生に「あなた、五線譜読めるでしょ、出なさい」と言われて、何も考えず言われるがままに、という感じで舞台で演奏するようになりました。
 それが1979年4月でオーケストラとの演奏会でしたが、6月には笙ではなくて、「五節の舞(ごせちのまい)」と「白拍子(しらびょうし)の舞」を国立劇場とNHKホールで担当することになりました。五節の舞は皇族とか貴族の素人のお嬢さんたちが舞うので、日本舞踊が身に付いていない人で雅楽の素養がある程度あって、でも雅楽の舞のパターンもあまり身に付いていない人がよかったのだと思います。舞は多忠麿(おおの・ただまろ)先生に習っていましたが、五節の舞は多先生が教えていらした東邦学園の学生さんたちと一緒に舞いました。
 その年の10月頃には『秋庭歌』を演奏するはずだったのですが、その時も舞になって。多先生が振り付けた舞を藝大の楽理科の卒業生で舞を経験したことのない人と二人で舞いました。最初は舞のほうが多かったように思います。
 そうやって好きなことをさせてもらってるみたいな感じで続けているうちに、国立劇場の雅楽公演に定期的に出るようになりました。1983年には木戸さんに「リサイタルをしなさい」と言われて。でも雅楽は六調子なので曲が同じに聴こえるんじゃないかって、当時は心配しました。今は違いがわかるので、そんなことはありません(笑)。木戸さんには笙のファミリーの楽器を演奏するのも面白いのではと言われたので、中国笙もちょっと使いました。また、武満さんの『ディスタンス(オーボエと笙のための)』、一柳慧さんや三枝成彰さんに委嘱した新作でリサイタルを開きました。一柳先生は『星の輪』を書き下ろしてくださったのですが、それこそ千年来、初めて誕生した記念すべき笙の独奏曲だと思います。三枝さんの曲はシンセサイザーとパーカッションと笙という組み合わせで、割とポップな感じの曲でした。そういうリサイタルを続けましたが、自分としては相変わらず演奏家として自覚はありませんでしたね。

──錚々たる作曲家の方々で、自覚がなくてこれだけのことができるのかと思いますけど(笑)。
 そうですね(笑)。芝祐靖先生とも一緒に演奏させていただいたり、多先生、東儀兼彦先生ともご一緒させていただきました。本当に素晴らしいご縁に恵まれていたと思います。

──80年代初頭は、笙という楽器、あるいは雅楽の音楽で新しいことをやろうという潮流があったのでしょうか。国立劇場では、雅楽だけでなく仏教音楽の声明を紹介するなど、木戸さんが意欲的な企画をされていました。
 70年代から木戸さんが国立劇場で新しい活動をされていたことが大きいと思います。木戸さんは“伝統とは何か”ということをよく考えていらして、そもそもその音楽が生まれた時には伝統ではなく、その時にあった現代音楽でした。それが長い間に、もちろん大事な部分もありますが、人の手によって固められて余計なものがこびりついてしまった部分もある。そういうものを取り除いて、最初の新鮮な生きた芸術として復活させるということを木戸さんはずっと続けていらした。
 雅楽について少し説明しますと、今、雅楽には大きく3つのジャンルがあります。ひとつが日本古来の歌舞で、「国風歌舞(くにぶりのうたまい)」、また「上代歌舞(じょうだいかぶ)」とも言われる古代歌謡がそうです。それは歌と、和琴(わごん)という日本固有の6絃の琴が中心で、外来楽器である笙は入っていません。ただ、同じ外来楽器である龍笛や篳篥は声と合わせやすいので入っています。これが今も宮中や大きな神社で演奏されている日本古来の音楽です。
 2つ目は外国から伝わった渡来楽舞です。5世紀から6世紀半ばにかけて朝鮮半島から新羅楽(しらぎがく)、百済楽(くだらがく)などが渡来し、7世紀末から8世紀にかけて唐の音楽が渡来しました。唐の都、長安は当時大きな国際都市で、西域やインド、ペルシャなど世界各地の音楽が集まっていたようです。またその時代には、天竺(インド)、林邑(ベトナム)の僧によって日本にもたらされたといわれる渡来楽舞もあり、仏教が盛んになりつつある時代、その儀式の荘厳化のために雅楽は欠かせないものになっていきました。例えば、東大寺大仏開眼供養(752年)では国風歌舞とともに渡来楽舞も数多く上演されました。そういう音楽が段々貴族社会に浸透し、平安時代初期から中期にかけて貴族がプライベートな宴会などでも楽しむようになっていったのが3つ目のジャンルです。
 漢詩や和歌に渡来した楽器で伴奏を付けるという創作や舞の創作、管絃アンサンブルの創作などもされるようになり、詩歌管絃というようなジャンルも生まれました。
 別のまとめ方もありますが、時代的に言うと日本古来、渡来、その後発展したものの3つの雅楽に分けることができます。

──詩歌管絃という創作音楽があったので、現代の雅楽の世界で様々なチャレンジが行われるのは当たり前だということですか。
 詩歌管絃に限らず、雅楽が渡来したときは、私の若い頃に例えるとレコードの新譜が到着したみたいなフレッシュでワクワクした感覚があったと思います。唐の文化に憧れていた人たちが最先端の音楽を聴いてやがて自分たちで楽しむようになった。今の私たちの感覚では雅楽は雅やかな伝統音楽ですが、その頃の人たちにとっては当時の言葉で言うところの“今めく”、つまりモダンな、新しい音楽だった。
 今、その感覚をもう一度感じ直したいという気持ちがあります。それと私の場合は、伝統音楽としての笙の存在に加えて、一番最初に感じた理想の響きの手段としての笙の存在がとても重要なので、“古典”と“新しい音楽”という境界を感じたことはありません。一番思っているのは、いろいろな時代の古典雅楽の受け止め方を先入観をなくして感じてみたいのと同時に、最初に感じた森羅万象を映しているような音楽こそ理想的な古典ではないかということです。
 森羅万象を映している音楽というのは、人間の作為的なものや感情が入らないもので、そういう音楽を理想に思っています。例えば、ジョン・ケージさんに91年につくっていただいた笙のための音楽『One⁹』(*4)にはそれに近い感覚があります。コンピューターにプログラムされた易を使って、まるで筮竹(ぜいちく)をジャラジャラするみたいにしてつくられた作品です。ケージさんは自分は作曲家ではなく、聴く存在でありたいとおっしゃっていて、人の手があまりたくさん関わらない方法として易の仕組みを借りてつくられました。それが、私が理想にしている雅楽のあり方と共通していると思っています。

──雅楽にも即興演奏はありますか。
 即興的な性格をもつものがあります。『越天楽』(*5)などで行われる“残り楽(のこりがく)”という演奏様式です。楽曲を繰り返して演奏し、順次、演奏する楽器を減らして、最後に琵琶と篳篥と箏(曲によっては箏だけ)で旋律を抜いたり加えたりして変奏する。今では決まったパターンもあったりしますが、昔は即興的に演奏していたようです。

──ジャズのような展開ですね。
 ええ。基本の旋律があって、それを隠して変奏していく。多分、昔は調子も即興的な要素があったのではないかと思います。


伶楽舎と笙の普及

──宮田さんは雅楽演奏グループ「伶楽舎」のメンバーです。雅楽は宮内庁楽部だけでなく、楽部の楽師を中心としたグループ、神社仏閣の伶人、専門家による雅楽団体、アマチュアの私的同好会などによっても演奏されています。伶楽舎は宮内庁楽部を退官された芝祐靖先生が音楽監督になられて、雅楽の合奏研究を目的に1985年に発足しました。雅楽の古典曲だけでなく、廃絶曲の復曲、正倉院楽器の復元演奏、現代作曲家に委嘱した現代作品の演奏に力を入れ、国内外で活動しています。伶楽舎が生まれたのは、雅楽を現代に繋げる意味で大きな出来事だったと思います。宮田さんはどのタイミングで参加されたのですか。

 芝先生はご自身が自由に音楽活動をしていきたいという気持ちで、84年に楽部の外に出られました。芝先生はとても大事にしている『秋庭歌』をきちんと演奏で伝えていきたいという強い思いをもっていらっしゃいます。国立劇場の雅楽公演もありましたし、私たちは芝先生を中心に、まずは古典の合奏をきちんと固めたい、学んでいきたいという気持ちで、練習会を始めました。伶楽舎はその流れの中でできました。
 今、メンバーはだいたい25名で、通常練習が月3回あります。「ここはこうしたら?」と、遠慮なくみんなで言い合える関係です。

──芝先生から一番学ばれたことは何ですか。
 雅楽を楽しむということでしょうね。伝統の中で生きてきた楽家(*6)の方たちは、本当に宝物のような音楽を持っていらっしゃいますが、反面、自由にできない部分もあるのかもしれません。宮内庁楽部を退官され、自由な活動をはじめられた芝先生からは、雅楽を「伝統」の中だけでなく、いろいろな形で楽しむことを学びました。伝統の途絶えた平安時代の楽曲の再現や敦煌で発見された楽譜の古代楽器による復元など、芝先生が手がけられた数々の復曲演奏に参加させていただいていることは、私の大きな宝です。

──音楽大学で雅楽を本格的に学ぶことはできるのですか。
 東京藝術大学には、今は専攻科があります。私が国立音楽大学を卒業し、雅楽を始めてから芝先生のアシスタントとして藝大で笙を担当していた頃は、週に1回だけの選択科目しかなく、楽理科の学生が主に学んでいました。国立音大の場合は週1回の選択科目で伝統音楽コースの中に雅楽コースがあり、初級・中級・上級(1年目)、上級(2年目)になっています。日頃から学生グループで練習し、その中から伶楽舎のメンバーになる人も大分出ています。

──伶楽舎は創立30周年を過ぎました。近頃は、子どものための雅楽など活動の幅が広がってきている気がします。
 文化庁の学校公演を2006年から行っています。芝先生が子どもたちに雅楽を伝えることをライフワークにされているので、その影響も大きい。芝先生ご自身も何度も参加していらっしゃいます。芝先生がつくられた、例えば『ポン太と神鳴りさま』とか、ストーリーがあってナレーションがあり、擬音みたいなものもたくさん使った面白い作品を伶楽舎のメンバーで全国各地の小学校・中学校などで演奏しています。
 雅楽はある長い期間、主に儀式音楽として存在していて、儀式を荘重にするためにものすごくゆっくり、いかつい感じで演奏してきました。本当の雅楽は跳ねるような拍子もありますし、子どもたちにはもっといろいろと楽しい音楽なんだよということを伝えたいと思っています。

──伶楽舎では年複数曲の新曲をつくってこられたので、合わせると50曲以上になると思います。雅楽に触れる作曲家も増えました。新作委嘱で新しい世界観も生まれたのではないですか。
 例えばヘルムート・ラッヘンマンさんは、西洋の楽器に対しても「自分の楽器にする」というアプローチで作曲されている。ヴァイオリンだとしたら、ヴァイオリンのように演奏するのではなく、ヴァイオリンの弓を逆さにして擦ったり叩いたり、自分にしかつくれない音を生み出すことをいつもされています。そのラッヘンマンさんがつくったオペラの笙のパートは、雅楽の雅やかな雰囲気を出すというものではなく、マッチ売りの少女がおばあさんに連れられて昇天していくような、ちょっと天国に導かれるような音楽でした。
 作曲家の方によっては、昔は雅楽の何となく雅やかな「シャー」という感じを手軽に利用なさることもありましたが、今は割と音楽をつくるときに自分の響きとして使う、楽器を自分の言葉として使っているなという気がします。
 一昨年、国立音大創立90年を記念して、タイのチュラーロンコーン大学やドイツのカールスルーエ音楽大学などと交流したのですが、カールスルーエとは笙をテーマにして新曲をつくる作曲交換会を行いました。日本とカールスルーエの学生がそれぞれ曲をつくり、オーディションで選ばれた曲と国立音大の先生が作曲した曲を両大学で演奏したのですが、ソロだけではなく、洋楽器と組み合わせた曲もありました。そこでできた作品はどれも伝統に頼るというより、自分の言葉として笙を使っているという感じのものが多かったです。

──尺八はかなり海外でも知られていて習っている人もいますし、コンクールもありますが、笙の海外での認知度はどのくらいですか。また、楽器としてどのくらい普及しているのでしょう。
 あまり認知されていないと思います。ニューヨークにはコロンビア大学やUCLAに雅楽のグループがあり、ヨーロッパにはケルン大学を中心とした雅楽のグループがあります。コロンビア大学は、2006年から毎年、私と中村仁美さん、笹本武志さんの3人で集中ワークショップ、マスタークラス、コンサートを行っています。いつもは天理教で雅楽をされている方がコーチになって週1回2〜3時間練習していて、ケルン大学も天理教の方が指導されています。みんなすごくよく練習していて、その内の何人かで現代作品も演奏できるようになっています。
 篳篥と龍笛はプラスティック、樹脂製のもので良い楽器ができていますが、笙は管が竹のままなのでなかなか普及が難しい。楽器をつくれる人も少ないので苦労します。私が持っている一番古い楽器は78年、笙を習い始めた時に手に入れたものなのでまだ40年しかたっていませんが、笙は人の手が触れていれば平安時代の楽器でも使えます。一昨年開催された正倉院展に奈良時代の笙と竽(う。笙よりも管が長く、低い音を出す)が出展されてましたが、それは本当に綺麗でした。仕舞いっぱなしだから使えないと思いますが、ずっと触ってたら使えると思います。

──笙はオーケストラとの共演も行われていますが、『秋庭歌』の果たした役割が大きかったのでしょうか。
 武満さんの作品、オーケストラと笙のための『セレモニアル─秋の頌歌』は前奏と後奏を笙が担い、その間のオーケストラ部分に『秋庭歌』からのモチーフがちりばめられています。厳密にいえば笙とオーケストラが絡むところはほんの一瞬ですが、とても美しい作品です。一柳さん、石井眞木さんも笙と他の雅楽器も含んだ作品をつくられていますし、細川俊夫さんは笙コンチェルトをいくつかつくってくださいました。
 先ほど少し触れたコロンビア大学では、中世日本研究所のバーバラ・ルーシュ先生のように雅楽の楽器を使った音楽が衰退することに危機感を持ち、日本の楽器を学べる学校をつくりたいという大きな構想を持っている方もいらっしゃいます。それは直ぐには実現しないけれども、コロンビア大のマスタークラスでは、オーケストラの木管楽器奏者に雅楽の楽器を学んでもらったり、また、マスタークラス受講者が数人ずつ来日して受ける1カ月半ぐらいの夏休み研修も毎年実施しています。

──コロンビア大学でのワークショップはどのような内容ですか。
 学生たちには、基本から、つまり唱歌を歌って、それができたら楽器の指遣いに進むという方法にしたいのですが、最初から楽器に触る人も多いです。それは日本の音楽大学も同じで、本当は唱歌だけを3年ぐらい勉強してもらいたいのですが、今は最初から楽器を持たせます。限られた時間なのでなかなか理想通りにはいきませんが、本気で習いたい人はまた最初からやり直しています。

──少しだけ体験するようなワークショップではどのようなことをやるのですか。
 笙は本当は楽器をちゃんと温めるところから始めなければいけないのですが、それをしてたらワークショップの時間を全部使っても足りないくらいなので、楽器を予め温めておいて、それをもって指を押さえることから教えます。音が出ただけですごく喜んでくれるので、それも良いかなと思っています。それから、『越天楽』の最初の部分は割と簡単なので、さわりだけ少し体験してもらいます。勘のいい人はできますね。


舞楽としての可能性

──雅楽には舞もあり、舞楽として新たな可能性があるように思います。2016年には舞のある『秋庭歌一具』に勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんが出演されました。この5月には、『笙とダンスによる調べ』で宮田さん、勅使川原さん、佐東さんのコラボレーションが行われます。10月にはパリで開催される「ジャポニスム2018」のプログラムとして伶楽舎と森山開次さんとのコラボレーションも行われます。単純には言えませんが、コンテンポラリーダンスと一緒にやるのは舞楽の可能性を試されているのかなと思ったりもします。

 それも誰と一緒にするかによっていろいろかもしれませんが、ダンスの可能性を試すというのはすごく面白いことだと思います。雅楽の中の舞楽は、とても抽象的な動きが多い。もちろんひとりの舞もあるし、2人の舞もあるし、4人で舞うものもありますが、4人が舞うものは特に幾何学的な美しさがあると思います。4人によって構成された空間がそのまま動いていくという面白さがあり、そういうものを現代のダンスで展開していく面白さがあります。人間が動いているのではなく、抽象的な形を作っていくという…。音楽とピッタリ合うわけでもなくて、音楽と拮抗してもいいし。そういういろいろな可能性があるかと思います。

──ちなみに新作の舞楽では振付家や演出家といったパフォーマンスとして創り上げる人が必要だと思いますが、どういう方が担当されているのですか。
 雅楽の舞としてつくる人は何人かいます。芝先生、豊英秋先生をはじめいろいろな方が新作雅楽に振り付けをしています。私も古典のパターンを基本にして1曲だけ巫女舞をつくったことがあります。1979年の『秋庭歌一具』の時に多先生がつくられた舞も古典舞楽風の動きでした。80年代には新作雅楽にバレエの方が振り付けしたり、また雅楽器が含まれた現代音楽にモダンバレエやダンスの方が振り付けたりということも多く行われるようになってきました。

──ぜひ、舞楽として新しい実験が行われるといいですね。
 それは本当に面白いと思います。雅楽の舞は太極拳や中国の武道、拳法の要素が随分入っていて、足の動かし方、手の動かし方など共通した動きがあります。共通のジャンルや異なるジャンルと触れ合って、新しいものが生まれるといいですよね。

──異なる分野の方と共演すると、ご自身の演奏にも影響がありますか。
 あります。そこは即興的な要素だと思いますが、反応はしますね。「これ」と「これ」を合わせて単に「これ」だけになるよりも、全然別の方向から合うといったことにより、別のものが同時に同じ空間にあることですごく面白いものが生まれる可能性があると思います。

──雅楽は抽象性の高い音楽であるだけに、他の芸術とのコラボレーションの可能性は無限にあるように思います。
 そうですね。日本の伝統音楽には雅楽、歌舞伎、箏曲などさまざまなジャンルがありますが、雅楽が最も抽象的かもしれません。歌舞伎で使われる三味線などは割と人間的な要素が大きくなりますから、そこで使われている楽器も鳴らしただけですごく人間的な感覚があり、楽器の性格が勝ってしまう。より抽象的な雅楽は他のものとコラボレーションしやすいと思いますが、それも作曲家の使い方次第だと思います。

──最後に今後のご予定をお聞かせください。
 5月に伶楽舎の定期演奏会(伶楽舎雅楽コンサートno.34 祝賀の雅楽 5月25日)、9月は国内外の若い作曲家・演奏家が集まる福井県の武生音楽祭に参加します。10月には「ジャポニスム2018」でパリに行きます。12月にはサントリー小ホールで笙リサイタルを予定していて、鎌倉時代の楽譜から復元した笙独奏曲『調子』を全曲演奏します。ちなみに、3月はニュージーランドをツアーしていました(Distances: Miyata-Yoshimura-Suzuki Trio ニュージーランド・ツアー 2018年3月4日〜16日)。ニュージーランドの若い作曲家3人が新作をつくり、リコーダーの鈴木俊哉さん、箏の吉村七重さんとドイツのアンサンブル・ムジークファブリックと一緒に演奏しました。若い作曲家の方たちがとても意欲的でした。コロンビア大学でのワークショップなどもありました(3月26日〜31日)。

──お忙しいスケジュールですね。雅楽が音楽表現としてもっと世界に認知されるよう、ご活躍を祈念しております。今日はどうもありがとうございました。
 
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