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藤原道山
藤原道山(ふじわら・どうざん)
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和の魅力発見シリーズ「Traditional + 」vol.4 現代に生きる日本の伝統楽器
(2013年12月8日/スパイラルホール)
主催:東京都、東京文化発信プロジェクト室(東京都歴史文化財団)、東京発・伝統WA感動実行委員会
Traditional +
藤原道山
藤原道山
Artist Interview
2014.3.13
music
Dozan Fujiwara, exploring the potential of the Shakuhachi, in the pioneering spirit of a great master  
師匠のパイオニア精神を受け継ぎ尺八の可能性を追求する藤原道山  
尺八は竹に5つの穴(手孔)を空けただけで、リードのない歌口に息を吹きつけて音を出す日本の伝統的な木管楽器。1960年代の第1次現代邦楽ブームで尺八の楽器としての新たな可能性を引き出したパイオニアが、今年2月10日に76歳で亡くなった尺八奏者の山本邦山(人間国宝)である。ゲイリー・ピーコックや山下洋輔など国内外のジャズプレーヤーと共演し、菊地トリオと共演した記念碑的作品『銀界』で西洋音楽と邦楽を融合した新しい音楽を創出した。その邦山に中学生の頃から師事し、卓抜した技量により90年代以降の邦楽ニューウェーブの一翼を担い、師匠の精神を受け継いだ幅広い活躍をしているのが藤原道山(1972年生まれ)である。東京藝術大学在学中からさまざまなコラボレーションを行い、2001年にデビューしてからも、古典ライブだけでなく、チェロ(古川展生)・ピアノ(妹尾武)とのユニット「KOBUDO─古武道─」、マリンバ(SINSKE)とのユニット、他分野の音楽家や国内外のオーケストラとの共演、現代音楽の作曲家との実験的なパフォーマンスなどを意欲的に行い、尺八の魅力を広く発信してきた。1月23日、師匠の訃報が届く1カ月前、忙しいスケジュールの合間を縫って、自身の活動や尺八の魅力についてインタビューを行った。
聞き手:花光潤子

尺八との出会い

──尺八との出会いからお話いただけますか。

 僕が尺八を始めたのは小学5年生からです。とにかくリコーダーが好きでずっと吹いていました。実家の祖母が箏の先生をしていて、それなら尺八をやってみないかと言われたのがきっかけでした。子ども用の尺八はないし、穴を指で塞ぐのがやっとで最初は全く音が出なかった。それまで音の出ない楽器に出会ったことがなかったから、衝撃でした。身体も小さい方だったので、周りの大人と同じだけの息を使えない。どうしたらうまく音がでるのか自分なりにいろいろ試しました。最初から音のでる楽器だったら、ここまでのめり込まなかったような気がします。その頃の試行錯誤があったから、今のように多様な吹き方をすることができるようになったのかもしれません。

──師匠の山本邦山さんとは、どのように出会われたのですか。
 最初の先生が高齢でお亡くなりになり、次の若い先生に一通り習ってから、中学2年生の時に紹介していただきました。その頃にはある程度の曲は吹いていたのですが、先生には教わるというより“音を聴いて盗む”という感じでした。

──邦山さんはジャズとコラボレーションするなど、1960年代の第一次現代邦楽ブームを牽引したパイオニアです。師匠からはどのような影響を受けていらっしゃいますか。
 先生の影響はとても大きいです。先生が開拓してくださったからこそ、今のように僕も活動できるのだと思っています。先生の背中を見て、先生がなさったことを追いかけているような気がします。

──師匠を含め、道山さんが影響を受けた音楽体験はありますか。
 祖母が箏を教えていたので、お稽古の音を聴きながら生活していましたし、父も母も音楽が好きだったので洋楽やクラシックなどいろいろな音楽を聴いて育ちました。また、叔父がジャズピアノをかじっていたので、ジャズの理論を教えてもらったり。まだ弟子になる前でしたが、先生がジャズピアニストの佐藤允彦さんと出されたアルバムを聴いて耳コピーしたりしました。中学時代から前衛的な活動をする先生の姿を目の当たりにできたことが本当に大きかったと思います。
 中高生の頃は、尺八なら何でも聴きたいと思い、新聞の番組欄やFM誌で尺八の文字を見つけると片っ端からエアチェックしていました。NHKの番組「現代の音楽」で現代作品の面白さに気付いて、関心を持つようになりました。また、演奏会にもよく行き、いつも開場の30分ぐらい前から並んで一番前の席で聴いていました。

──その後、東京藝術大学音楽部邦楽科に進学されます。
 中学生の時に藝大の学園祭に行ったのですが、いろいろな音楽があちこちから聞こえてきて非常に刺激的で、この学校に行きたいと思いました。現代音楽に傾倒していたので、作曲家志望の学生が選択するような授業もたくさん受けました。おかげで作曲家の一ノ瀬響さんや川島素晴さんなどの友達もできました。大学院に進み、その後、助手もしたので、結局大学には8年間通いました。
 大学在籍中からいろいろな人とライブを企画していたので、その延長線上でデビューした感じです。演奏家としての最初は箏の演奏家とアルバムを出したり、ライブハウスで演奏したり。僕は箏の曲をよく知っていたのでとても重宝され、いろいろなところに呼んでいただきました。

世界に広がる尺八

──現在の活動についてうかがう前に、尺八という楽器について紹介していただければと思います。日本人にとって尺八といえば、時代劇の中で虚無僧が吹いている姿が最初に思い浮かびますが、実際に演奏を聴いたことのある人はあまりいないように思います。

 奈良時代に雅楽と一緒に大陸から伝来したのが起源と言われていて、その「雅楽尺八」が正倉院に伝わっています。ところが平安時代に、国家公務員的な地位にあった演奏家が段々人員削減されていく中で雅楽のアンサンブルからリストラされてしまいます。鎌倉時代になって、細々と伝承されてきたのか、それとも改めて大陸から伝来したのかはわかりませんが、「最近見られなかった尺八が百年ぶりに復活した」と資料に記されているくらいですが、尺八が再登場します。ただし、これが現在の尺八と同じかというと疑問が残ります。また、戦国時代には一節切(ひとよぎり)という30センチくらいの長さの尺八に似た楽器も武家の嗜みとして流行します。織田信長が吹いて、豊臣秀吉、徳川家康、松平忠輝にわたったとされるものが諏訪の貞松院に伝わっています。
 そして、おおよそ江戸時代に尺八はみなさんがイメージされている現在の形になります。当時は、幕府によって普化宗に属する虚無僧だけが尺八を吹いて托鉢することが認められていました。実際には一般の人も吹いていたようで、虚無僧が生活のために教えたりもしていたようです。しかし、明治維新で普化宗が廃止され、尺八も存続の危機にさらされますが、当時の尺八演奏家が嘆願して何とか普通の演奏楽器として生き残りました。
 基本的に江戸時代から楽器の外観は変わっていませんが、明治以降、一般に普及していく過程で音量を増大させるために中に「地」という漆に砥の粉や石膏を混ぜたものを塗るようになりました。また新しい音楽との融合や合理的思考のもと、7つ9つと指孔を増やす人もいます。
 竹は1本、1本形が異なるので全部手作りで同じものがひとつとしてありません。一本一本職人がその竹の形にあった作りをしていきます。ちなみに僕は50本ぐらい持っていて、その内の14、5本をよく使っています。

──非常にシンプルな楽器ですが、道山さんの演奏を聴くと、想像できないほど多彩な音が出るので驚きます。
 尺八の最大の魅力は「音色」です。これだけ多彩な音色を楽しめる楽器は他にありません。西洋の楽器は旋律を美しく演奏するために、どんどん音色を均一化する方向に発展していきました。例えば、ヴァイオリンはガット弦からスチール弦になり、フルートもキーを付けることで均一なピッチを出しやすく、楽に転調できるようにしましたが、その分音色が均一になってしまった。一方、日本の尺八は音色の多様性を大切にして、それを残そうとしました。

──よく「首ふり3年」と言いますが、そうした多様な音色を出すために、顎を上限させる「メリ」「カリ」や首を左右に振る「ユリ」と呼ばれる技法を用いるなど、非常に身体性の高い演奏であるように思います。
 そうですね。息を出す時にも、地面から息を吸い上げていくような感覚があって、身体から音楽が生まれているという感じです。奏法でいうと、大きく分けて「息」「指」「首」の3つの動作で構成されています。尺八らしい息と楽器音が混ざったファーッという「むら息」など、息の量や出し方によって強弱、音色などの変化を作っています。音程は穴(手孔)を指でどのように塞ぐかでコントロールします。そして首によってビブラートをかけたり、音程の幅を作ったりします。この3つの動作のコンビネーションによって、一音一音を作っているので、尺八の演奏はシンプルに見えて、かなり複雑なことをしています。

──尺八の楽譜はどのようになっていますか。
 尺八には、大きく分けると琴古流と僕が属している都山流がありますが、流儀毎にルール化した楽譜があります。元々は音楽が先にあり、身体から発された音を忘れないで残すためにメモしたようなもので、それを見ただけではわかりません。今は、指の塞ぎ方や首の使い方を組み合わせて記号化されています。1オクターブの中にその組み合わせが20近くあり、もちろん教則本もあります。でも、ピアノのように鍵盤をたたけば一定の音がでるという楽器ではなく、同じ組み合わせでも違う音がいくらでもつくれるので、実際に音を聞かないと記号だけではわかりません。記号になっていない間合いのようなものもありますし、聞いて覚え、その空気を常に感じながら体得するしかありません。

──音を無限につくれる可能性が尺八の最大の魅力ということなのですね。以前、「自分の中に無い音は出せない」と仰っていましたが、その音はどういうところから生まれてくるのですか。
 言葉にするのが難しいのですが…古典の場合は先生や先人たちの演奏を聞いて、その音にどう近づけていくか探していくなかで生まれてくる感じです。いきなり音が降ってくるわけではなく、吹いていて、あ、この音良いな、とか。それを直ぐに使うというよりは、こういう曲が来たらこんな雰囲気で吹けたらいいな、といった音に対する感覚を常に持っている中で生まれてきます。

──尺八は演奏家が常に作曲しているものだと聞いたことがあります。全部でどのぐらいの曲があるのですか。
 数えたことはないですが…。都山流だけでも本棚3個分ぐらい、新曲、古典ともに相当な数があります。それぞれの流儀に伝わる曲は習っていないとできないので、必然的にその流儀でしかやれない曲というのもあります。かつては流儀にいても先生の許しがないと演奏できない厳しいものだったようですが、今は楽譜と音源がありますので、自分でもある程度のことはできるようになりました。しかし、やはり習わないと判らないことが多いですね。

──日本ではどのくらいの人が尺八を習ったり、演奏したりしているのでしょうか。何かの資料には3万人と書いてありましたが…。
 習っていても流儀に属さない人も増えているので、尺八人口を把握するのは非常に難しいです。今では女性で習っている人もいますし、カルチャーセンターなどでも教えています。流儀の事務所に問い合わせてもらえれば、近くで開いている教室を教えてもらうこともできます。先生は全国至る所にいらっしゃいます。
 いま海外で尺八に親しむ人が増えているように思います。チェコのプラハでは、合宿しながら尺八を学ぶ「プラハ尺八フェスティバル」が毎年開催されていて、今年は僕もゲストで呼ばれています。国際尺八研修館(International Shakuhachi Kenshu-Kan)が主催する「国際尺八フェスティバル」も1998年から4年に1度、各国持ち回りで開催されています。武満徹さんがニューヨークフィルの委嘱で作曲した『ノヴェンバー・ステップス』の初演で尺八を演奏した故・横山勝也先生の働きかけで始まったものです。2012年の京都大会でコンクールの審査員をさせていただきましたが、欧米、アジア、アフリカなど世界中から応募があり、優秀な方が多かったです。
 僕は昨年から藝大邦楽科尺八コースで教えていますが、そこにも海外から留学生が来ています。僕の同期にもアメリカ、スウェーデン、オーストラリアの留学生がいました。意外かもしれませんが、邦楽科の中で留学生が一番多いのが尺八コースです。他の邦楽器に比べて楽器のメンテナンスの容易だからかもしれません。今では海外でも尺八をつくっている人がいます。

──尺八が世界に認知されたのは、『ノヴェンバー・ステップス』の影響が大きかったのでしょうか。
 はい、あの作品の影響は大きかったと思います。東西の文化の違いをあえて表現した作品だったので、西洋の人にとっては衝撃だったのではないでしょうか。最初はメディテーションとか、禅ミュージックという感じで捉える人が多かったと思いますが、今では演奏楽器として評価されています。外国人はYouTubeに積極的に自作の曲を投稿していて、とても面白いのでぜひ見てください。こうした尺八の現在を知らないのは、日本人の方なのかもしれませんね。

人との出会いが新しい音世界を生み出す

──現在はどのような演奏活動をされていますか。

 継続的に行っているのは、チェロの古川展生さん、ピアノの妹尾武さんと3人で組んだユニット「KOBUDO―古武道―」と、マリンバとの共演(藤原道山×SINSKE)の2つです。異なるジャンルの演奏家とコラボレーションすることで新しい刺激をもらえますし、洋楽しか聴いたことのないお客さんに邦楽を聴いてもらえるなど、お互いに良かったと思っています。それから、数年おきにウィーンフィルのフォルクハルト・シュトイデ・カルテットと共演していて、アルバムも発表しました。今年も日本でツアーをすることになっています。

──昨年は、私も企画に関わっているのですが、伝統芸能の新たな魅力を現代の視点から紹介するシリーズ「Traditional + 」に出演していただきました。スパイラルというフリースペースが会場でしたが、その中で作曲家の一ノ瀬さんの新曲を藝大の教え子4人のアンサンブルと一緒に発表していただきました。客席をサラウンドスピーカーで囲み、道山さんのソロや尺八アンサンブルの音を一ノ瀬さんがリアルタイムに音処理してスピーカーから流すという実験的なパフォーマンスでした。ただでさえ多彩な尺八の音色が重奏的になり、音の方向も自在に変化して、尺八の音色の多彩さを改めて実感しました。
 せっかくの機会なので、お客さんに特別な体験をして欲しいと思いました。僕は“音楽は人”だと思っているので、何かを目指しているというより、人に出会うことによって新しい音世界を発見していくことが喜びなんです。特別な楽器やジャンルが興味の対象というより、人となりというか、その人にしかつくれないサウンドに興味がある。良いものは良い、美味しいものは美味しい。中華でも和食でもフレンチでも何でも、美味しいものは美味しいものとしていただく。そういう感覚でコラボレーションしています。

──クラシックの編成の中に尺八が入るような場合は、どのような感覚なのですか。
 そこは難しいのですが、僕が他のアンサンブルに入る時は、服を着替えるような感じです。和服、洋服、カジュアル、正装で見え方や雰囲気は変わりますが、中身の自分は同じです。そんな風に服を変える感じで、色々な形の音楽を楽しんでいます。相手から何を要求されているかを考えるのではなく、それぞれに一番ふさわしい装いをしてその場の音楽に臨むことを心掛けています。

──先日、国際交流基金が主催した、日本とASEAN6カ国の打楽器がコラボレーションする「Drums & Voices」にゲスト出演されましたが、とても面白かったですね。
 一応譜面はあったのですが、音楽監督の大島ミチルさんからは自由にやってと言われていました。ただ何カ国もツアーしてすでにできあがったグループに後から参加したので、入り込むのがちょっと大変でした。リハーサルで予定外のセッションを何度かやらせてもらい、このグループの音楽に一番ふさわしい音はなんだろう?と考えながら参加させてもらいました。
 共通性を発見したり、違うところを発見したり、それが非常に面白かったですね。今世界の情報はインターネットで繋がっていて、音楽の感覚もそれほど違わなくて、何かしら分かり合える土壌があるように感じます。アジアのコラボレーションは、西洋のオーケストラとリズム感などが全く違うのですが、この辺が日本人の特性なのかもしれませんが、わりとスッと入っていける。どこの国に行ってもとりあえずそこで生活できて、こんな所にも日本人がいるんだ、みたいな感覚で演奏していました(笑)。

──徹底的に楽曲分析を行うクラシックと尺八では思想もアプローチも全く異なるように思いますが、いかがですか。
 僕は高校時代にはブラスバンドで指揮棒を振っていましたので、オケと共演するときも、耳でスコアを追って楽曲を理解しながら一番ふさわしい音は何かを常に考えているだけです。今は昔と違って西洋音楽の基礎のある邦楽演奏家がたくさんいます。邦・洋どっちも理解できる音楽的バイリンガル、トリリンガルのような感覚を持った人が増えていますし、自分もそうありたいと思っています。日本語で喋る時はこうだけど英語の時はこうなる、といった感覚で違和感なく切り替えができる。オンビートの時とフリーリズムの和の世界、気合いや緊張感での音づくりなど、両方ともわかります。

──バイリンガルになったことで失うものはあるのでしょうか。それが伝統文化の突き当たる壁のようにも思うのですが。
 それはちょっと極論だと思います。歌舞伎だって、いつまでもロウソクでやっているわけではなく、照明も緞帳の上げ下げも現代のテクノロジーを使っています。そういう変化は仕様がないし、伝統も変わっていくものだと思います。一方、伝統の形を復活させようとする人も出てくるかもしれません。色々なことを試行錯誤していこうとする人がたくさん出てくることの方が、僕は重要だと思っています。伝統芸能を現代に伝えるからにはパワーがないと伝わらない。博物館に展示してあるような音楽にはしたくないと常々思っています。

──尺八の音楽は、虚無僧が念仏を唱える替わりに演奏したもので言葉が深く関わっています。
 その通りで、尺八は日本語から発している音楽です。日本語は、「あ・い・う・え・お」「こ・ん・に・ち・は」など短音の発音が一つひとつ強く出る言語で、一つの音に対する意識がすごく強い。それが音楽に繋がっているのではないかと思います。言葉のイントネーションや訛りなどの地域性もあります。尺八の曲も、例えば東北の伝承のものは東北独特の節回しがあり、京都のものはわりとサラッとしている。ユリや音運びによって、訛りのような音色を表現することもあります。伝承されるうちに同じ曲でも吹き方や使う技が地域ごとに変わっていくのです。「東北の曲をやるには東北の竹じゃないと」など、こだわる人はそこまでこだわります。米をその土地の水で炊くと美味しいというのと同じですが、僕は、あえてここの水でこの米を炊いてみようとコラボレートする方ですね。

──作曲活動もされていますが、どのように位置づけていますか。
 こんな曲を書くのは僕ぐらいかな?みたいな(笑)、僕にしか書けない曲ができるといいと思っています。作曲家というより、演奏家としての作曲という感じで、できることはそんなに多くないのですが、何か僕のやっていることにすごく引っ掛かってくれる方がいてくださると嬉しいです。

伝統音楽を大学教育で学ぶ新たな時代へ

──日本の伝統音楽は師匠と弟子という関係で学ぶものでしたが、今では大学教育の中で伝承が行われています。特に、近年は、東京藝術大学邦楽科出身の演奏家の活躍が目覚ましいように思います。昨年から専任講師として母校で指導されていますが、今、藝大で尺八を選考している学生は何人くらいいらっしゃいますか。

 藝大には附属高校があって、そこでも指導していますが、高校が3人、大学と大学院が全流儀合わせて18人います。僕が教えているのはその中の12人です。昔から比べると技術のレベルは上がってきているように思えます。
選択授業には西洋音楽もあります。僕の授業では尺八のアンサンブルも行っています。アンサンブルの曲自体はあるのですが、これまではきちんと教わらず感覚で演奏していました。授業ではそれをもう少し掘り下げて、ある意味西洋的なアプローチも含めて、さまざまな音楽的要素を追求していきます。

──かつて邦楽の世界では、見て盗めといった指導法が多かったと思うのですが、今は変わってきているのですか。
 やはり、今はそれだけでは難しいです。ただ、経験のない若者には、なぜそのような音楽になったのかわからない部分もあるので、ある程度そうした先達の背中を追うようなことも必要だと思っています。自分が、自分がという自己表現だけで終わったら、その人だけの音楽になってしまう。古典というのは、背後にものすごい大勢の人たちがいて、その人たちのバックアップを貰い、今やらせていただいている。時代遅れだからと先人から学ばなくなってしまうのは、本当にもったいない。そういう先人たちから応援されていることを知っておくべきだと思います。

──学校では異なる流儀を学ぶこともできるのですか。
 はい、普段できないことがいっぱいできます。視野が広がっていくことによって、自分の所に戻った時に自分の音楽が見えてくる。メディア系も含め多岐にわたる音楽経験をしたいと思えばいくらでもできる環境になっています。

──後輩には何を一番伝えたいですか。
 まず先人たちの演奏をたくさん聴いてほしい。良いものがいっぱいあります。音のエッセンスを自分で選んでいくときに、良い音楽体験が少ないとそこまで到達できません。年を取るとアウトプットばかりになるので、一番時間のある10代、20代のうちになるべくたくさんの音をインプットしてもらいたいです。
 今は過去の名演奏がインターネットで簡単に検索できるのに、逆に聴かなくなっています。いつでも聴けるというお手軽感がものごとの本質を遠ざけてしまっているような気がします。学生時代、大学の資料室は僕からみれば宝の山で、そこで色んな音源を聴きました。昔は資料が無かったから、足を使ってやっと見つけて発見する喜びもあった。そういう喜びを体験していくことはすごく重要なことだと思います。今の子たちは、自分の手に届くところに色んなものがありすぎて、遠くまで行かない。便利というのはある意味かわいそうで、飢餓感や達成感が少ないのではないかと思います。

──尺八のもつ一音の凝縮感や間の感覚は、時代や世代によって変わってきたと思われますか?
 二十歳ぐらいの頃は、曲の重さはテンポをゆっくりさせることで表していました。でも段々年を取ってきたら、音の密度というか、意味の深さを込められるようになり、テンポでなくても重さを表現できるようになってきた。それが経験の差なのだと思います。間に関しては、僕は昔からゆっくり、長すぎるぐらい取っていました。多分、重さや緊張感をそうした形で作っていたんだと思います。
 それに対して、若い子の演奏は、次から次へと流れてしまっているように感じます。僕は日本家屋の畳とちゃぶ台で育ったので、昔の音楽環境との違いはあまり感じないですが、生活環境が変わって感覚が変わってきているところはあると思います。でも音というのは、気付かないと気付けないものなので、僕自身が常にそうした音を発信していかなければと考えています。常に耳にしていればそれがスタンダードになっていくので、古典だったら古典のしっかりした音を皆にもどんどん発信して欲しいです。自分たちの聴いてきた音は、次の世代に聴いてもらいたいですから。

──今では邦楽が小中学校で義務教育化され、学校でのアウトリーチも増えてきました。邦楽を聴く人を拡げるのにも良いチャンスだと思います。
 僕もアウトリーチに行きますが、若い人たちにはもっといろいろな形で子どもたちや観客に触れる機会を積極的に持ってもらいたいと思います。メディアを通じて広げる取り組みも必要とされていて、NHKのテレビ番組「にほんごであそぼ」に4月からレギュラー出演が決まりました。客層を広げるには、今までと同じことだけではない工夫も必要ですが、いいものは必ず伝わると信じています。

──最後に、今後の抱負をお聞かせください。
 もう少し大きな形での音世界を試みたいので、大きな和楽器のアンサンブルを継続してやってみたいと思っています。今はその準備段階という感じです。そう思ってアンテナを張っていると何かでご縁が生まれるのではないかと期待しています。先日の「Traditional + 」もそうですが、常に何かの発見ができるようなことや、次の世代の人たちに面白いと思ってもらえるようなことを、これからも発信し続けたい。僕もコンサートを聴きに行って、ああいうことができたらいいなと憧れを抱いたところから今の自分があります。そうした新しい興味や発見がなければ続きません。それなりの年齢になってきましたが、これからも若い後輩に刺激を与えられるようなことをどんどんやっていかなければと思っています。
 
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