The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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嘉数道彦
嘉数道彦(かかず・みちひこ)
1979年、沖縄県那覇市生まれ。4歳から琉球舞踊を初代宮城能造、宮城能里に師事。沖縄県立芸術大学大学院音楽学芸術研究科修士課程修了。在学中から新作組踊を発表するほか、国立劇場おきなわの開場記念公演などに出演。沖縄県立芸大非常勤講師を経て、2013年4月から公益財団法人国立劇場おきなわ運営財団芸術監督兼企画制作課長に就任。

国立劇場おきなわ
国の重要無形文化財である「組踊」をはじめとする沖縄伝統芸能の保存振興を図るとともに、伝統文化を通じたアジア・太平洋交流の拠点となることを目指して2004年1月に沖縄県浦添市に開場。大劇場(632席)、小劇場(255席)、稽古場を有す。また、組踊伝承者の育成を目的とした組踊研修(3年で6演目を習得)を実施。組踊研修修了者で構成された「子の会(しーのかい)」による独自の活動も行われている。
http://www.nt-okinawa.or.jp/

組踊
「琉球王国の国劇」といわれた歌舞劇。琉球国王を任命する中国皇帝の使者「冊封使」を歓待するために、踊奉行・玉城朝薫によって創作され、1719年、首里城前庭で初めて「二童敵討(にどうてきうち)」と『執心鐘入(しゅうしんかねいり)』が上演された。朝薫は他に『銘苅子』『女物狂』『孝行の巻』をつくり、これらを合わせて“朝薫の五番”と称している。
組踊は、琉球の古典音楽や古典舞踊を基に、日本の能や歌舞伎の要素を取り入れて創られ、士族の男性によって演じられた。1879年に日本政府が琉球王国を解体し強制的に日本の組み入れると、組踊を担った士族は離散した。第2次世界大戦の沖縄戦では多くの沖縄県民が犠牲なり、組踊の継承者も例外ではなかった。
これらの継承の危機を乗り越え、組踊は1972年、米国から沖縄が返還されると同時に、日本の国指定重要無形文化財になり、2010年にはユネスコの無形文化遺産リストに登録された。
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組踊『執心鐘入』
執心鐘入

組踊『女物狂』
女物狂
組踊版『スイミー』
組踊版『スイミー』
組踊版『スイミー』
組踊版『スイミー』
雑踊『鳩間節』
鳩間節
創作組踊『聞得大君誕生』
聞得大君誕生
聞得大君誕生
創作組踊『蓬莱島』
蓬莱島
蓬莱島
国立劇場おきなわ南米公演〜琉球の新風(みーかじ)・男性舞踊家の競演〜
◎ブラジル公演
2014年8月20日/テアトロ・ガゼータ(サンパウロ)
8月22日/シダージ・ダス・アルテス(リオデジャネイロ)
◎ボリビア公演
8月24日/オキナワ日ボ協会文化会館 (コロニア・オキナワ)
8月26日/サンタクルス中央日本人会・日ボ交流会館(サンタクルス)
8月29日/ラパス市立劇場(ラパス)
[立ち方]阿嘉修、新垣悟、石川直也、嘉数道彦、佐辺良和、宮城茂雄
[地謡]新垣俊道、高宮城実人、玉城和樹、仲村逸夫
[構成演出]嘉数道彦
[舞台監督]中村倫明
主催:独立行政法人国際交流基金
共催:公益財団法人国立劇場おきなわ運営財団、在ボリビア大使館、在サンタクルス出張駐在官事務所、在リオデジャネイロ総領事館、在サンパウロ総領事館
http://www.jpf.go.jp/j/culture/perform/oversea/1407/07-01.html
子の会(しーのかい)
国立劇場おきなわの組踊の後継者養成する「組踊研修」の修了者により2008年につくられた芸能集団。「子(しー)」は琉球王朝時代の士族が元服後叙位されるまでの無位の期間の称号。研修を終え、芸能の世界に踏み出した修了生が、技能の向上を願って命名した。創立の年が十二支の「子(ね)」年にあたること、発音がsea(海)にも通じることから、海に囲まれた沖縄の芸能を海を越えて広めたいという願いも込めたといわれる。
Artist Interview
2014.7.31
dance
National Theatre Okinawa   A new Artistic Director and his Kumiodori spirit  
国立劇場おきなわ 新芸術監督の組踊スピリット  
ユネスコ世界無形文化財リストにも登録されている「組踊(くみおどり)」は、琉球王朝時代に中国から訪れた使節団・冊封使を歓待するためにつくられた歌舞劇。2004年1月、その組踊や琉球舞踊、琉球音楽といった沖縄固有の芸能の継承を目的とした「国立劇場おきなわ」が沖縄県浦添市に開場した。10周年を前にした13年4月、30代の嘉数道彦が2代目芸術監督に就任した。4歳で琉球舞踊を始め、沖縄県立芸術大学で組踊を学んだ組踊伝承者であり、演出家としても活躍。絵本の『スイミー』を題材にした子どものための新作組踊や歌舞伎俳優・坂東玉三郎との創作にも挑む若き芸術監督に、組踊の精神と継承について聞いた。
聞き手:奈良部和美[ジャーナリスト]
写真提供:公益財団法人国立劇場おきなわ運営財団

──国立劇場おきなわの初代芸術監督は、革新的な「沖縄芝居実験劇場」の結成に関わるなど沖縄芸能の泰斗と言える幸喜良秀さん(1938年生まれ)です。70代から一気に若返ったバトンタッチで、2代目としてはプレッシャーが大きいのではありませんか。
 一昨年に県の担当者にお話をいただいたのですが、最初は信じられませんでした。芸術監督は劇場の企画制作課長も兼務するため多忙になります。ご高齢の幸喜先生の体調も考えると、これ以上先生お一人に無理をお願いできない、という思いも以前から強くありました。
 国立劇場おきなわには開場の時から出演者として関わっていましたし、自分の作品の公演や、近年では外部演出家として演出を引き受けるなど、これまでも繋がりがありました。しかし、僕はまだ修業中の身ですし、人脈もありません。大役過ぎると悩みましたが、先輩や同世代の仲間、後輩の後押しがあって、頑張っていこうと覚悟を決めました。
 国立劇場おきなわに芸術監督という位置づけができたのは、開場5周年にあたる2009年でした。それまでは主に、県の出向職員が企画制作課長を務めていましたが、5年目を迎え、やはり劇場を運営するには芸能をよくわかっている芸術監督が必要だということになったようです。それが元に戻るようなことになると、折角、幸喜先生が道筋をつけた芸術監督の地位が無になってしまうかもしれない。学生時代からいろいろご指導いただいた幸喜先生も、「よろしく。これからは君たちの世代でつくってもらわないといけない」とおっしゃってくださいましたが、一番心配されているのではないでしょうか。
 今日まで沖縄芸能の先導役として私たちを牽引していらっしゃった先輩方も高齢になっています。沖縄の伝統芸能に関わる方たちの「何とか継承の道筋をつけたい」という考えが、30代の僕の就任に繋がったのだと思っています。足元をしっかり見つめ、僕たち実演家が方向性を持って活動していける仕組みづくりを目指して、周囲の力を借りて精いっぱい務めていくつもりです。

──国立劇場おきなわが企画しているプログラムについて教えてください。
 国立劇場おきなわには、組踊や琉球舞踊・琉球音楽などを公開すること、組踊の演者「立方(たちかた)」や音楽を演奏する「地方(じかた)」の後継者の養成、芸能の調査・資料収集・公開、沖縄の芸能に影響を与えたアジア・太平洋地域の芸能や本土の芸能の紹介と交流という事業の4本柱があります。それに従ってプログラムを組み、年間30公演を行います。2014年度は、定期公演19、企画公演6、普及公演4、研究公演1です。定期公演では古典ばかりでなく、沖縄各地の民俗芸能や沖縄芝居(明治時代以降に作られた歌舞劇・せりふ劇)の公演も行っています。組踊の発展として、企画公演として復曲・新作の上演も行っています。

──企画制作課はどのような体制ですか。
 県職員、専門員、非常勤職員を含め全9人ですが、この人数で主催公演すべてを制作するのは大変なことで、外部制作委託が10公演ほどあります。
 国立劇場おきなわの職員は41人ですが、そのうち財団の正規職員は数人で、沖縄県や日本芸術文化振興会からの出向者、嘱託・非常勤職員が大半を占めています。出向職員は3年を基本に人事異動があるので、劇場の仕事に慣れた頃に変わってしまい、継続性が重要な劇場として今後の検討課題となっています。
 
──現場の負担は大きいですね。
 ですから、周囲の多くの方々の力を借りて運営しなければと思っています。劇場職員に限らず、幸喜先生はじめ先輩方にも関わっていただこうと思いますし、若手の企画、演出をしたい人に場を提供しようと思います。
 2014年度はプログラムが決まっていたので、芸術監督として本格的に取り組むのは15年度からです。基本はそのままに少しずつ新しい要素を加えていきたいと思っています。例えば、普及公演には「親子のための組踊鑑賞教室」や、社会人や中学高校生を対象にした「組踊鑑賞教室」がありますが、これを沖縄芝居や琉球舞踊に広げたいと考えています。
 また、県内外の地域のホールとの連携ももっと図っていく必要性も感じています。劇場だけでは1回公演で終わってしまいますが、地域のホールで上演することができれば出演者は舞台を踏む機会が増えますし、収入にもなります。年に1度の「発信公演」という県外での普及公演を始めて今年で4年目になりますが、国立劇場おきなわだけの予算だと少人数のレクチャー公演になりがちです。幸い、琉球舞踊や音楽、芝居を見たいというお話を県外のホールからかなり頂くようになっていますので、連携して経費を分担することで、きちんとした公演を持って行けるようになればと思っています。

──沖縄の芸能は高齢化が進んでいるというお話がありましたが、それは演者の問題でしょうか。
 演者の高齢化もありますが、観客の高齢化が大きな問題です。観客がいなければ、芸能は続きません。組踊は琉球王朝時代の言葉で演じるので、よくわからないから見に行かない、となる。初めての方にわかりやすいように、近づきやすいように、どういう入口を作っていくか。普及面が大きな課題です。

──組踊はゆっくりとした曲調が多いですし、せりふは独特の旋律で唱えるように歌われます。現代人とは違う時間の流れがあって、それがまた魅力だと思うのですが、そうした魅力に気づくまでが難しいわけですね。
 そうですね。いくらわかりやすいようにと言っても、失ってはいけないものがあります。それは、芸能に込められた根本、精神性です。組踊の言葉がわからないから、現代の日本語で演じればいいかというと、そうではないでしょう。組踊には日本語で表現できない感情、表現がある。それは残したい。動きも王国から受け継いで来た香りのする仕草や所作事は失いたくない。難しいことですが、わかりやすくすることと、失ってはいけないもののバランスをうまく取っていかなければなりません。

──嘉数さんは沖縄県立芸術大学在学中に子ども向けの組踊を創作されています。絵本作家のレオ・レオニさんの『スイミー』が原作です。
 初演は大学院1年の時、2002年です。舞台制作研究の授業で子どもたちにワークショップをすることになりました。組踊の名作をやっても子どもたちが本当に興味を持ってくれるか疑問でした。大人でも難しいのだから無理ではないかと。僕自身は古典で満足していたので新作をつくりたいという気持ちはなかったのですが、子どもたちが見やすいものは新しくつくるしかないと思いました。
 子どもの知っている内容で、組踊に合うものとして『スイミー』を思いつきました。主人公は魚です。親や兄弟をジンベエザメに食われたキビナゴが、仲間と敵を討つ。組踊のストーリーは勧善懲悪が多いですし、「仇討ちもの」のスタイルにはまります。絵本をヒントに10分ぐらいの作品をつくりました。ワークショップでは、最初に子どもたちがそれを演じて、組踊のルールがわかった後に、名作の『執心鐘入』を見てもらいました。自分で演じた後に組踊を見ることで、子どもたちがすんなりと組踊の世界に入る感じがわかりました。
 その後、再演の度に手を加え、45分ほどの組踊の入門作品として今も県立芸大のOBに演じてもらっています。最初のワークショップで『スイミー』を演じた子どもの中には組踊が好きになって県芸に進み、『スイミー』の出演者になっている人もいます。普及の大切さをとても感じますね。

──嘉数さんご自身はどのように沖縄の芸能と出合ったのですか。
 おじいちゃん、おばあちゃんが芸能を見るのが好きで孫を連れて行く、という沖縄によくあるパターンです。家の近くに常設の芝居小屋があって、そこでおばあちゃんとよく沖縄芝居を見ました。2、3歳の頃です。沖縄芝居は沖縄の方言「ウチナーグチ」で演じるので、子どもには何を言っているのかわからない。「何?」って聞くと、おばあちゃんが説明してくれる。私語厳禁の劇場ではうるさがられてできませんが、当時の芝居小屋では注意されるようなことはありませんでした。
 僕はすっかり舞台に憧れて、家に帰ると、見よう見まねでやっていました。あんまり夢中になっているので、両親が琉球舞踊を習わせようと入門させたのが4歳でした。それからずっと踊りをやってきました。中学・高校の部活動は剣道部だったのですが、週2日は踊りの稽古のため練習を早引きしなければならない。琉球舞踊を習っている男子は少なかったですし、いじめられるのではないかと思っていたのですが、先生も先輩も同級生も、とても理解があって、続けることができました。
 とにかく踊ることが好きで、沖縄県立芸術大学の音楽学部に琉球芸能専攻があるのを知って、大学に行くならここしかないと思いました。当時は、卒業後は普通の仕事に就いて、余暇に楽しく踊れればいいというぐらいの考えでした。しかし、芸大で学ぶうちに、入場料を頂いて踊る、舞台を務める、そのために芸を磨いた踊りがあると気づきました。
 組踊に出合ったのは大学1年です。組踊の実技は必修科目でしたから授業で取りました。組踊はゆったりとして動きも少ない。表情もさほど変えないで、メロディーに乗せて、抑制された動きで表現します。やっていて、地方と演者みんながひとつになる、演じる自分とフィットしていると感じる瞬間が何度かあり、組踊の魅力に嵌っていきました。男性が少なかったので舞台に立つ機会が多かったのも幸運でしたが、組踊が嫌いだったのは、何も知らなかったからだと、つくづく思いました。
 組踊は琉球の宮廷芸能として誕生しました。美しく、素晴らしいのですが、中国の冊封使を歓待するための芸能であり、この芸能を創り出した先人の苦悩が詰まったものでもあります。その苦しい思いが、芸能の魅力にもなっているのです。以前、道成寺を題材にした芸能を比較上演する機会がありました。そのとき気づいたのですが、能の『道成寺』は恨みつらみ、歌舞伎の「京鹿子娘(きょうがのこむすめ)道成寺」は激しい恋の思いがテーマです。しかし、組踊の『執心鐘入』は主人公の男が恋などせず、忠節を尽くすところがテーマです。すべては中国に琉球を良く思ってもらいたいという外交戦略が盛り込まれている。小さな国が生きていくために、明るく歌舞音曲で大国に向き合った先人の明るさとしたたかさが組踊の魅力です。これは先人からの未来へのエールだと思います。僕は、やっとそこに気づいたところです。

──組踊の精神がよくわかりました。嘉数さんは『スイミー』の他にも新作を発表されていますが、普及のためには必要と感じられたのですか。
 ええ。古典だけでは無理ではないか、と考えるようになりました。大学院では組踊に挿入されている「間の者(まのるむん)」(間狂言のように、物語をわかりやすく語る笑いの場面)を研究テーマにしていました。この息抜きの場面を生かした新作があれば、組踊を敬遠しがちな年配の人にも楽しんでもらえるのではないか。そう思って、大学院2年の時に、修士の学位審査演奏会のために創ったのが「宿納森(すくなむい)の獅子」です。
 僕は芸大の9期生で、それまでの修士演奏はみな古典の発表でしたから、新作はまだ早いと言われると思っていたのですが、担当教官だった宮城能鳳(のうほう)先生も応援してくださいました。

──宮城能鳳さんは、組踊立方の人間国宝ですね。
 そうです。沖縄の実演家は自ら創り、演じます。演出と演者が分業にはなっていません。能鳳先生は組踊や舞踊の実演はもちろん、創作もされます。そういう能鳳先生は僕の憧れです。
 僕が大学院で新作に取り組めたのは、9期以前の先輩方が若手の継承者として育ち、芸大の中で新作に目が行くような環境が生まれた幸運もありました。また、僕が大学院2年の時に国立劇場おきなわが開場し、芥川賞作家の大城立裕先生が新作組踊を次々に発表されるなど、新作組踊が新しいジャンルとして確立してきた時期でもありました。
 何を持って「組踊」とするか、何が「組踊」で、どこからが「新作組踊」なのか、その線引きは難しいところですが、『宿納森の獅子』では『美女と野獣』を沖縄に移し、古典の手法を用いながら、古典にはない女性の間狂言を入れた新しい試みをしました。その他、『十六夜朝顔(いざよいあさがお)』や子どものための組踊『ももたろう』など5つの組踊を創り、国立劇場おきなわなどで再演しているものもあります。新作は舞台に上げてみないとわからないところがありますし、お客さんの反応で気づかされることも多い。舞台を重ねるごとに進歩していくものですから、再演の機会があることはとても幸運です。
 ここ2、3年、新作組踊が発表されることが多くなり、芸大の修士演奏でも新作が増えています。普及のためだけでなく、今を生きている人が演じる、今を生きている人が共感できる新作は組踊の発展のために必要だと思います。

──新作をつくる時に、これをしては組踊ではなくなってしまうという、外せない決まり事はあるのでしょうか。
 組踊は王朝時代に生まれたものですから、基本的に忠孝をテーマにしています。また、歓待の芸能なので古典はハッピーエンドばかりです。しかし、新作には現代に通じるテーマがあってもいいし、感動を呼ぶ結末、現代の観客の共感を得る作品であれば、それぞれに応じた結末があってもいいと思います。いずれにしても、もてなしのために創った組踊の精神が通じる作品であればと思います。
 沖縄の芸能は、時代によって様々な形式を生み出してきました。舞踊を例にとると、王朝時代の古典舞踊に対して、明治時代以降には庶民の生活を題材にした雑踊(ぞうおどり)が出来ました。時代によってジャンルがあるように、組踊も古典に対して新作組踊というジャンルが出来ていいように思います。新作組踊はまだ10年ほどの歴史しかありませんから、これからですね。

──新作組踊で注目されるのは、歌舞伎俳優・坂東玉三郎さんの取り組みです。玉三郎さんの企画・演出、大城立裕さんの脚本で、玉三郎さんが沖縄の若い実演家と共演した『聞得大君(ちふぃじん)誕生』は、昨年の国立劇場おきなわと東京の国立劇場での初演に続き、今年は沖縄と京都で再演されました。今回は嘉数さんが演出に加わり、創作舞踊『蓬莱島(ほうらいぬしま)』が初演され、京都の南座では組踊では例がない8日間もの連続公演が行われました。
 玉三郎さんとの共演は、組踊の普及プラス発展の上で大きな収穫でした。玉三郎さんを見るために、普段の組踊公演では見かけない人たちが国立劇場おきなわに来てくださって、劇場の雰囲気が全然違いました。組踊という芸能を知ってほしかったので、これは収穫です。玉三郎さんが出演しない組踊も見たいという人がこの中から出てきていただければ嬉しく思います。
 また私たち実演家にとっては、あれだけの方と一緒に舞台に立てたことも大きな収穫でした。歌舞伎俳優として人間国宝になった方が、未知の芸能である組踊を学んで作品をつくる、そしていい舞台を見せようと日々の舞台に臨む姿勢に大きな刺激を受けました。玉三郎さんほどの方は、型をつくれば毎日同じことをするのは簡単だと思うのですが、決して妥協せず完成度を高めようと日々努力される。その姿を目の当たりに出来たことが、僕たち若い実演家にとっての一番の勉強になりました。
 玉三郎さんはとても気さくな方で、振りや動きで納得できないことは、僕たちに「なぜこうなの?」「どうして?」と聞かれます。僕たちが普通にやっていたことが、他のジャンルの人には普通に見えないことを知りましたし、どうしてこういう動きなのかと疑問に思わずに演じていたことに気づきました。教えられた通り演じ、疑う事をせずに、掘り下げ深めていくことを忘れていたのです。
 僕が演出に参加させていただいた今回の再演では、『聞得大君誕生』に間狂言を入れて、ストーリーをわかりやすく整理しました。玉三郎さんは、ご自身の見せ方を大変心得ている方ですので、その魅力を存分に披露してもらいたい半面、組踊としての演技に反する点は、こちらからはっきりお伝えすると、柔軟にそれを受け止めてくださいました。
 今年初演の『蓬莱島』は、昨年の楽屋で、次にやるならこんなことをと玉三郎さんから話が出ていたものです。一人で踊る古典舞踊の『柳(やなじ)』を基に華やかな群舞にしたもので、こういう発想は沖縄の芸能からはなかなか出て来なかったと思います。組踊の基本は外さず新しい発想を加える、伝統的なものと新しいものが共存した、琉球芸能の可能性を示した作品になったのではないでしょうか。

──能や歌舞伎など日本の伝統芸能はオペラのようなカーテンコールをしませんが、南座ではカーテンコールがあり、観客から盛んに拍手を受けていました。
 古典の公演ではない形で、ちょっと戸惑いましたが、誇らしい気持ちになりました。王朝時代から現在まで、琉球の古典芸能を継承して来た多くの先生方に見ていただきたいと思いました。先生方がいらしたから、僕たちがこうして舞台に立てたのですから。これから、玉三郎さんから学んだことを消化して、自分たちのものにしていければと思っています。
 今後もこうした公演活動は続けたいと思いますが、長期間のツアーは難しいかもしれませんね。多くの出演者が芸能だけで生活しているわけではなく、他の仕事をもって二足のわらじを履いています。南座の8日間は仕事を持っている者は休暇を取って参加しましたし、休みが取れずに参加を諦めた者もいました。

──沖縄は芸能の島といわれて、誰もが歌い、踊り、三線を弾くというイメージがありますから、プロフェッショナルも多いように思っていたのですが、芸能に専念できる環境ではないのですか。
 誰もが出来る、と思われていることが逆に問題で、お金を出して習おうとか、お金を出して芸能を見ようとは思わない。実演家の多くが教授業で生活して来たのですが、習う人は減っています。結婚式、祝い事があるので1曲だけ習いたいと、4、5カ月だけ稽古に通う人はいても、習い事として続ける人は少ないのです。芸能活動を続けるためには、大学の非常勤講師や自営業や、休みの取りやすい、動きやすい仕事に就いて、二足のわらじを履くしかないのが現状です。

──8月には国際交流基金と国立劇場おきなわの共催事業としてボリビア・ブラジル5都市ツアーに行かれま す。海外の観客に何を伝えますか。
 今回は舞台監督も入れて男性ばかり11人で、舞踊や民謡、音楽、沖縄芝居とバラエティーに富んだプログラムを持って行きます。沖縄の芸能を、誇りをもって伝えたいと思います。喜んでもらえるよう工夫はしますが、海外公演だからといって海外向けにすべてを作り替えることはしません。
 琉球芸能は日本や中国の影響を受けて生まれたといわれますが、決して真似で終わらせてはいない。そこには先人のしたたかさがあります。中国の使節のためにつくった組踊は、なぜ中国語で演じなかったのでしょう。使節は解説書を見ながら見たといいます。もし、中国に媚を売るつもりなら、中国語で演じた方がよかったでしょう。それをしなかったのは、美しい言葉を持っているという誇りであり、媚ないという芸能の精神のあり方だったと思います。先人の残したその精神を今後も伝えたいし、それを伝えることは海外でも日本でも、沖縄でも同じことだと思います。
 今、僕らは継承者として、最高に恵まれた環境にいると思います。県立芸大や国立劇場おきなわの養成機関・組踊研修で、流派を超えて学べるようになりましたし、男性の舞踊家が育ってきました。国立劇場の組踊研修の修了生有志でつくる「子の会(しーのかい)」も力をつけてきて、国立劇場を支える有力な実演家集団になっています。ユネスコの無形文化遺産リストに登録され、注目もされています。琉球芸能を残したい、発展させたいと志を一つにして話のできる環境があります。
 僕が子どもの頃に見たのは年配の演者の芝居や舞踊でしたが、今は若手や中堅が舞台の中心になって、子どもたちが憧れの目で見るようになりました。そうした舞踊好きの子どもたちを子役に出すと、本当に生き生きと演じます。ですから、後継者についてはやや楽観できるかもしれませんが、問題は観客です。
 来年度から観客づくりのために、離島巡りなども含めて、普及のための具体的な活動をします。国立劇場おきなわの芸術監督として、本格的な仕事が始まります。
 
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