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谷 賢一
谷 賢一(たに・けんいち)
作家・演出家・翻訳家。1982年、福島県生まれ、千葉県柏市育ち。DULL-COLORED POP主宰。Theatre des Annales代表。
明治大学演劇学専攻、ならびにイギリスUniversity of Kent at Canterbury, Theatre and Drama Studyにて演劇学を学んだ後、劇団を旗揚げ。「斬新な手法と古典的な素養の幸せな合体」(永井愛)と評された、ポップでロックで文学的な創作スタイルで、脚本・演出ともに幅広く評価を受けている。
2013年には『最後の精神分析』の翻訳・演出を手掛け、第6回小田島雄志翻訳戯曲賞、ならびに文化庁芸術祭優秀賞を受賞した。また近年では海外演出家とのコラボレーション作品も多く手がけ、シディ・ラルビ・シェルカウイ『PLUTO』(シアターコクーン)、アンドリュー・ゴールドバーグ『マクベス』(PARCO劇場)、デヴィッド・ルヴォー演出『ETERNAL CHIKAMATSU』(梅田芸術劇場/シアターコクーン)などにそれぞれ翻訳・脚本・演出補などで参加している。
近年の代表作に、梅田芸術劇場/シアターコクーン『ETERNAL CHIKAMATSU』(脚本)、『オーファンズ』(翻訳)、あうるすぽっと『TUSK TUSK』(演出)、KAAT『ペール・ギュント』(翻訳・上演台本)、PARCO『マクベス』(演出補)、東宝『死と乙女』(演出)、シアターコクーン『PLUTO』(上演台本)、DULL-COLORED POP『夏目漱石とねこ』(座・高円寺)・『河童』(吉祥寺シアター)、Theatre des Annales『トーキョー・スラム・エンジェルス』(青山円形劇場)、東京グローブ座製作『ストレンジ・フルーツ』、『モリー・スウィーニー』(シアタートラム)などがある。
劇団DULL-COLORED POP
http://www.dcpop.org
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DULL-COLORED POP
『くろねこちゃんとベージュねこちゃん』

税理士の父が交通事故で亡くなり、専業主婦だった母のアイデンティティが崩壊し、家事をお手伝いさんにまかせて見えない猫を飼い始める。葬式に帰ってきた息子と娘との間でそれまで隠されてきた家族の確執が露わになっていく。
くろねこちゃんとベージュねこちゃん
くろねこちゃんとベージュねこちゃん
写真提供:DULL-COLORED POP
DULL-COLORED POP
『アクアリウム』

酒鬼薔薇聖斗や秋葉原通り魔事件の犯人と同じ1982年生まれの谷が、同世代の若者の空気感を描いた作品。シェアハウスで共同生活をしている若者達は、言葉をしゃべるワニと鳥をペットにして静かな生活を送っていたが、二人の刑事が殺人事件の犯人捜しに来たことから疑心暗鬼になり‥‥。

アクアリウム
アクアリウム
写真提供:DULL-COLORED POP
『モリー・スウィニー』
アイルランドを代表する現代劇作家ブライアン・フリールの作品。目の見えないモリーが天才眼科医の手術によって光を取り戻すまでと、光を得ることで多くのものを失っていく様を描く。世田谷パブリックシアターが2008年からスタートした「日本語を読む〜ドラマ・リーディング形式による上演」で発掘した若手演出家に、秀作海外戯曲の上演機会を提供するシリーズの第1弾として、谷賢一を翻訳・演出として起用。
『ETERNAL CHIKAMATSU〜近松門左衛門「心中天網島」より』
お金が必要で売春婦になった主婦のハルは足繁く通う妻子持ちのジロウと恋に落ちる。しかし、こんな恋は全うできないと悟り、ジロウに愛想をつかしたふりをして別れ、街をさまよう。ハルはかつて遊女の涙で溢れたという蜆川へと誘われ、身の上が似ている『心中天網島』の主人公である遊女小春と出会い、古の心中物語の世界に引き込まれていく。
テアトル・ド・アナール
『従軍中のウィトゲンシュタインが(略)』

従軍中のウィトゲンシュタインが(略)
写真提供:テアトル・ド・アナール
Artist Interview
2016.3.24
play
Orthodox but radical, The theatrical power of Kenichi Tani  
オーソドックスでラディカル 谷賢一の演劇力  
劇作家、演出家、翻訳家として進境著しい谷賢一(1982年生まれ)。明治大学在学中の2005年に自ら主宰する学生劇団「DULL-COLORED POP」を旗揚げ。イギリス留学で身に付けた演劇力と語学力を買われてアメリカ現代劇の傑作であるデヴィッド・オバーン作『プルーフ/証明』(天才数学者が遺した“証明”を巡る愛のドラマ)で2007年に翻訳家としてデビュー。2011年、アイルランドを代表する現代劇作家ブライアン・フリール作『モリー・スウィーニー』で本格的な劇場プロデュース公演の翻訳・演出に起用され、注目を集める。以来、その活躍には目を見張るものがあり、『最後の精神分析 フロイトVSルイス』(第6回小田島雄志翻訳戯曲賞受賞)、『TUSK TUSK』など良質な戯曲を次々に翻訳・演出しているのに加え、シディ・ラルビ・シェルカウイやデヴィッド・ルヴォーなど国際的に活躍する演出家にも戯曲を提供。また、2012年に演劇ユニット「テアトル・ド・アナール」を立ち上げ、硬派なテーマの会話劇を書き下ろすなど、活躍の場を広げている。「スタンダードに発想して、タブーなく演出する」という谷のバックグラウンドと多岐にわたる活動について聞いた。
聞き手:野村政之[演劇制作者、ドラマトゥルク]

バイタリティ旺盛な高校時代

──翻訳家として、演出家として多方面から期待されています。まずは、どのような経緯で演劇の世界に足を踏み入れることになったのかからお聞かせください。

 中学生の頃、僕は“成績トップの不良”みたいな存在で、何かにつけて先生に反抗していた。とにかく学校が嫌いで、将来は自分が教師になってもっとおもしろい授業をやってやろうと思っていました。それで図書館にあった教育関係の本を片っ端から読んでいたら、「イギリスの学校の先生は演劇の授業を受ける」と書いてあった。「先生になるために」は演劇をやらなくちゃいけないという思いがあり、高校で演劇部に入りました。
 母は専業主婦で、父は機械系・工学系なので、親が演劇公演に連れて行ってくれるような家庭でもなく、ともかく先生になるために演劇をやらなくちゃという衝動ではじめたという感じです。

──「先生になるために」という動機は変わってますね(笑)。高校で演劇と出会ってどのように感じましたか。また、部活ではどのような演劇をやっていたのですか。
 高校に入って、新入生歓迎公演で行われたのが『ピルグリム』(作・鴻上尚史)でした。教科書や、それまで先生に勧められて読んだような本と違って、解釈し切れないものがあった。それで逆に演劇にとても興味をもちました。この出会いはとてもよかったと思います。
 高校の演劇部では、第三舞台やキャラメルボックスの作品をやっていて、当時のよくある高校演劇でした。演劇雑誌「せりふの時代」なんかは読んでいて、「『ハムレット』と『ゴドーを待ちながら』は読まなきゃダメなんだ」と思って読んでみたらつまらなくて、『ハムレット』を図書館の壁に叩きつけた!その後、シェイクスピアにハマるなんて、当時からは考えられない(笑)。19歳くらいまでは俳優になるつもりだったので、自分で脚本を書こうとは全く思わなかったし、演出もやりませんでした。

──高校時代、演劇以外で刺激になっていたことや、取り組んでいたことはありますか。
 高校では全部で6つくらいの課外活動をやっていました。演劇部、軽音楽部、落語研究会、JRC(募金活動をする部活)、社会研究部(政治や社会について論じて冊子を作る部活)、生徒会。だんだん演劇の比重が増えていったのですが、今振り返ると、全部繋がっているんだなと思います。
 軽音楽部では、音楽に関する知識と興味がバッと広まりました。基本的にはロックが好きで、日本のロックバンドではブランキー・ジェット・シティ。それからSOPHIA、ナンバーガールとか。海外はザ・ビートルズから入って、当時はレディオヘッドがすごく人気があったのでその辺りを聴いていました。
 落語はそれほどうまいわけではなく、演劇のために始めたようなものでした。それから中学までは文学に全く興味がなかったのですが、高校に入ってからいわゆる有名作家の作品は全部読みました。ヘルマン・ヘッセ、フランツ・カフカ、モーパッサン、芥川龍之介、村上龍とか好きでしたね。
 JRCは、日本赤十字社の下部組織みたいなもので、募金箱を持って、駅前でお願いするみたいなことをたまにやっていました。社会貢献、社会問題に対する興味を当時強く持っていました。社会研究部はまさにその社会の問題に取り組む部活で、国会で話題になったことや、部落や女性の差別問題などを皆で討論し、冊子をつくって校内で配付していました。
 それから生徒会。僕の通っていた高校は生徒の自治活動が盛んで、予算や校則など大体のことは生徒会が決めていた。制服が無く、卒業式で日の丸掲揚・君が代斉唱をしない学校でした。ちょうど当時、国旗・国歌に関する法律ができて教育現場に強制される時期だったので、文部省が出した省令に対して生徒なりの意見を書いて反論するなど、熱心にやっていました。本を借りてきて、法学者や教育者のインタビューを読んだりしながらディスカッションしていまいた。

──学校の先生を目指していたり、社会活動をやっていたり、正義感が強かったように感じます。
 そうですね。「正義が一番大事だよな」という考えは、今でも自分の中にあります。高校も大学みたいなところで、授業に出ないで部室棟に籠もって好きなことをやっているような学校でした。

──正義感が強く、教師になって学校を変えてやろうと思っていたのが、次第に演劇に傾倒していくわけですが、迷いはなかったのですか。
 高校の3年間で出会った文化の数々が衝撃的だったんだと思います。学校の試験は、論理的に考えたら結論が出るようなものだからあたり前すぎて嫌いだった。数式や公式に当てはまらないこと、非理性的なものを捉えようとした文学や芸術に出会って、それが僕にとっては宝の山に思えて、そっちの方が俄然面白くなったんです。


演劇史を学びつつバカをやる

──大学は明治大学の演劇学専攻に進まれます。谷さんの同年代だと、第一線で活躍していた演出家が指導者に就いて実技を学べる大学もあったと思いますが、大学はどのようにして選んだのですか。

 実は、僕は高校を卒業して、1年間フリーターをやっていました。「俳優に学歴は要らない!」みたいな変な信念があって、毎晩走り込みや発声練習をしながら、日中はアルバイトでお金を貯めて、都内にお芝居を観に行くという生活を送っていました。でも、半年程で、社会の風の冷たさに身も心も完全に冷え切りました。高卒ってこんなに辛いんだなぁ、と。時給も安いし、働くにも大卒以上という条件で採用されない職種も多い。「演劇をやりたい」と言うと、それだけで鼻白んだリアクションが返ってくる。それで、これはやっぱり大学に行かないとダメだと思って、親に頭を下げました。
 当時はまだ俳優を志していて、俳優の実技・演技は現場で学びたいから、大学は座学専門のところを目指し、明治大学演劇学専攻を選びました。

──大学の勉強はいかがでしたか。
 非常に勉強になりました。例えば西洋演劇史では、最初「来週までにアリストテレスの『詩学』を読んできてください」みたいな感じで、ギリシャ悲劇における戯曲の構造や、当時における芸術の定義や役割といったことを学ぶ。シェイクスピアやイプセンがどういう転換点だったのかといったことなども、すごく熱心に教えてくださった。知識に飢えていたので、根掘り葉掘り聞いて教えてもらいました。

──その頃学んだことで、今の活動に影響を及ぼしていることがありますか。
 ほぼ全てだと思います。演劇の歴史について学んだことは、今でも社会と演劇/観客と演劇の繋がりについて考える時の参考になりますし、戯曲の構造や上演形態に関しても、自分がやっていること、やりたいことを頭の中の引き出しと比較できる。
 「この本を演出するには、スタニスラフスキーっぽくやった方がいいのか…」「これはブレヒトの要素が入ってくる…」「いやいやメイエルホリドじゃないか?」みたいに、先人達がいるのは演出論としても参考になりました。
 日本の大学で教えていることなので、とても初歩的で基本的なことしか学んでいないと思いますが、芸術を志すものにとっての基礎なので、自分で劇作や演出をする前、劇団を旗揚げする前に、それをひと通り通過できてよかったと思っています。
 高校時代に壁に投げつけたシェイクスピアは、この頃から4年、5年越しぐらいでハマって、耽読しました(笑)。

──大学では俳優としての活動はしなかったのですか。
 騒動舎という大学の演劇サークルに入って、エログロ、ナンセンス、ひたすら脱ぐという芝居をずっとやっていました(笑)。学業で習っていることとは全く関係なかったけど、馬鹿馬鹿しくて面白かった。多分、当時、人気があった小劇場演劇の劇団の感覚に近かったと思います。ハイレグジーザスや動物電気、ジョビジョバなど、騒動舎の先輩が旗揚げした劇団が注目されている時期でした。
 まじめに勉強してシェイクスピア全集を持ち歩いているようなヤツなんだけど、直感ではこういう芝居が面白いと思って、ひたすら馬鹿をやり、ひたすら酒を飲み、ひたすら脱いで回るというのを2年間ぐらい並行していました。


イギリス留学を経て劇団旗揚げへ

──大学在学中にイギリスのケント大学に1年間留学されています。経緯を教えてください。

 大学入試のために折角英語を勉強したんだから、もうちょっと専門的に勉強して役に立つようにしたいと思うようになり、大学3年のときに1年留学しました。イギリスにしたのは、野田秀樹さんや鴻上尚史さんも海外研修で行かれているのでいいかなと。ケント大学は、イギリスの演劇分野の大学のトップ5に入っていて、カリキュラムが合いそうだったからです。

──自分でお金を貯めて行ったんですか。
 週7日アルバイトして、200万円ぐらい貯めました! 大学の授業はちゃんと出て、騒動舎で乱痴気騒ぎをやって、毎日アルバイトもして…当時の生活は異常でしたね(笑)。

──留学経験はいかがでしたか。
 本当に面白かったです。日本の大学でキッチリ勉強して「僕は詳しいぞ!」というつもりで行ったのですが、向こうではその程度のことは知っていて当たり前。圧倒的に落ちこぼれ状態からのスタートでした。語学もろくにできないし、周りとのギャップがすごくあったので必死で勉強した。それが今の土台になっていると思います。
 例えば、ある作家について調べようと図書館で検索すると、本、論文、研究誌のバックナンバー、映像…と膨大な資料が出て来て、どこまででも追跡調査ができる。そういう演劇文化の厚みの違いを感じ、衝撃を受けて帰国しました。ちなみに演出家、批評家、プロデューサーを育てるのがメインのコースだったので、1年の終わりに『マクベス』の近代上演史と、アルトナン・アルトーの演出論などについてレポートを提出しました。

──イギリスで観て印象に残っている作品がありますか。
 週末に安いバスでロンドンまで行って2,3本観て帰るという生活をしていました。一番印象に残っているのは、ナショナル・シアターで観たサイモン・マクバーニー演出の『Measure for Measure 尺には尺を』です。ぶっちぎりのベストでした。あとは、誰の演出かは覚えていないのですが、グローブ座で観た『ロミオとジュリエット』。黒人がジュリエットをやってちょっと話題になったのですが、観客にGパンの若者もいれば、白髪の老人もいて、皆でビール飲みながらワイワイ観ている。作品内容だけでなく、観客との関係も含めて印象に残っています。
 ともかく、演劇と観客の距離感が日本とイギリスではこんなに違うんだ、という洗礼を受け続けた1年でした。ケント大学での学業も今の役に立っていますが、イギリスで体験した、観客と劇場の関係、劇場が地域で果たす役割みたいなことはすごく勉強になりました。

──帰国後、演出や劇作の活動をスタートします。
 留学前に小作品を1、2本演出したことはありますが、実質的には帰国後に明治大学で『マクベス』を演出したのがスタートです。当時、僕が憧れていた人たち、鴻上尚史さん、ケラリーノ・サンドロヴィッチさん、松尾スズキさん、永井愛さん、長塚圭史さんなどがみんな作・演出家だったので、自分もいずれ劇作をやろうと思っていました。
 それで、2005年に騒動舎や『マクベス』に参加していた仲間を集めてDULL-COLORED POPを旗揚げしました。その後は大学とは関係なく、知り合った人に声をかけながら続けてきました。劇団をどう旗揚げして、どう人に観せていけばいいのかわからなかったので、手探りでしたね。

──「人間の最も暗くグロテスクな一面を、あくまでポップに描きたい」というのがDULL-COLORED POPのキャッチコピーですが、劇作家として拘ったことはありますか。
 はっきり書きたいことが見えていたわけではなく、衝動的に書いていたように思います。2001年に観た阿佐ヶ谷スパイダース公演『日本の女』(作・演出:長塚圭史)が衝撃的に面白くて、そこから長塚作品はほぼすべて観ていて、凄く影響を受けています。毒があり、笑いもあって、バイオレンスだけどエンターテイメントな現代劇──そういう作風に惹かれました。
 
──そういえば谷さんの作品もシリアスな会話が展開しますが、ファンタジーになっています。例えば、2012年にDULL-COLORED POPが初演した『くろねこちゃんとベージュねこちゃん』は、父の交通事故死をきっかけに家族の欺瞞が暴かれますが、母が見えないねこを飼っていて、実際に人間が猫耳を付けて登場します。また、若者が共同生活するシェアハウスを舞台にした『アクアリウム』でも言葉をしゃべるペットのワニと鳥が着ぐるみで登場します。どちらも非常にシンボリックな存在でありながら、観客との関係では楽しい存在です。
 そういうことが、僕にとっては重大なんです。演劇学に興味があって勉強してますという人がつくる芝居は大抵つまらなくて、イケテない。「これはブレヒトの何々の精神を受け継いで…」とか、お題目は立派でも面白くない。そういう芝居への反動から、「観客とどう繋がるかが大切だ」という勘のようなものがあって、それを大切にしてきました。
 外部公演に僕が作家・翻訳家・演出家として参加する場合は、依頼者側の意図がありますから、そこで何ができるかを考えますが、劇団公演では自分がやりたい演劇的な実験ができます。多少無謀な挑戦でも、「谷がやるならやろうか」と乗っかってきてくれる。劇団の公演の中で、ああでもないこうでもないとやってきたことが、今の自分の足場になっていると思います。
 実は対外試合でもっと力をつけるために、5月に行う『演劇』で劇団活動は一旦休止します。そうしながら、劇団活動を再開できる道を模索していくつもりです。

──ちなみに、2007年から2年ほど民間の小劇場タイニイアリス(2015年閉館)で小屋付きとして働き、また、2010年には青年団に入ってアトリエ春風舎の芸術監督もされています。こうした劇場経験から得たものはありますか。
 演出家には、自分の作品をどう立ち上げるかだけではなく、プロデューサー的なものの見方も必要だと思います。タイニイアリスやアトリエ春風舎でその方面から物事を考えられたのは良かったと思います。それと演劇に関わる仕事をしながら大きな額ではないけど給料がもらえたのもありがたかった。
 タイニイではじめて劇団公演をやったときに、オーナーの西村博子さんから、「もっとウチでやりなさい」「ウチで働きなさい」と言ってもらった。そうして、空いている日を劇団で使わせてもらった。ものを作る人間にとって空間的な場所があること、ホームグラウンドがあることが重要だというのがよくわかりました。タイニイアリスはオーナーの責任で自由なスペースを作り上げていましたが、一方、平田オリザさんが開いたアトリエ春風舎やこまばアゴラ劇場では劇場・演劇の社会性や公共性が考えられている。両方のあり方を見た上で、じゃあ自分のやりたいことはどこに繋がっているのかを考えることができたと思います。


翻訳家としての仕事と考え方

──どういうきっかけで戯曲翻訳をするようになったのですか。

 劇団時間堂の黒澤世莉さんが『プルーフ/証明』(2007年)を上演する際に、「谷くん、留学してたから訳せるんじゃない?」と言われて翻訳したのがきっかけです。評判が良くて、自分でも面白かったので、それから翻訳するようになりました。
 実は、それまでの翻訳戯曲の文体にちょっと疑問をもっていました。イギリスで英語の戯曲をたくさん読んで、少し古い戯曲でも生き生きと上演することができるという手応えを感じていました。ハロルド・ピンターも、こんなにナチュラルで面白い芝居だったんだと驚きました。でもそれが日本で翻訳されると、古臭い戯曲にみえたり、大仰な言い回しになっていたりする。そういう翻訳劇臭さのせいで観客に苦手意識を持たれてしまっているのではないかと感じていました。
 それで翻訳するときには、「表現でなく意図や感情を翻訳する」「演出意図を汲んで翻訳する」「現場で修正する」という方針でやっています。

──これまで何本ぐらい翻訳していますか。翻訳する作品はどのように探していますか。
 年に1,2本、今までに10本ぐらい翻訳しました。自分で面白い戯曲を探して翻訳できればいいのですが、時間がなくて、プロデューサーからの紹介で翻訳するケースが多いです。例えば、世田谷パブリックシアターの穂坂知恵子さんには、2011年に僕が翻訳・演出した『モリー・スウィーニー』で一緒に仕事をしてからいくつか戯曲を紹介してもらっています。

──『モリー・スウィーニー』は、40年間、目の見えない世界で生きてきた女性モリー・スウィーニーをめぐる濃密な物語です。これは、プロの俳優、スタッフと谷さんがはじめて一緒に仕事をしたターニングポイントになった舞台です。
 僕にとっては初めてのプロの現場だったので、いろんな発見や勉強ができました。それまでは僕が俳優に逐一指示していましたが、とりあえず俳優にやってもらって対話しながらつくりあげていくこともできた。専門性が機能しているプロの現場というのがどういうものかわかりました。

──谷さんの翻訳劇の出世作といえるのが、2013年にDULL-COLORED POP プロデュース公演として演出も手がけた『最後の精神分析 -フロイトVSルイス-』(作:マーク・セント・ジャーメイン)です。無神論者のフロイトと熱烈なクリスチャンであるルイス・キャロルという全く異なる立場の二人が意見を闘わせる、まさに対話の火花が散るような作品でした。この作品で文化庁芸術祭優秀賞受賞、この翻訳で第6回小田島雄志翻訳戯曲賞を受賞されています。
 翻訳に関しては演出意図に合わせて変えてもいいという意識がすごくあります。この戯曲は20世紀前半の設定で、当時の空気感を変えずに演出したいと思っていたので、台詞の口調もちょっと文語寄りの表現にして、精神科医と文学者の対話なのであえて堅く訳しました。
 最近の現場では、例えば白井晃さんが演出した『ペール・ギュント』や宮田慶子さんが演出した『オーファンズ』がありますが、この翻訳では、まず演出家から演出意図をしっかり聞いて、日常的な口語がいいのか、古風な言い回しにしたいのか、どのぐらいの文体にしたいかという要望を踏まえて訳すようにしています。

──決定版にするというより、演出意図を汲んだ上演台本として訳すということですね。
 決定版にするのだったら研究者が翻訳して、注釈をつけて、いろいろな解釈が可能な定訳として出せばいいと思います。でも、人物の属性や台詞の文体、翻訳のチョイスも演出の一環だと考えれば、演出家がやりたいイメージに対して翻訳家としていろいろ提案できます。照明家がいろいろな種類の明かりを提案するのと同じで、翻訳家として、これぐらい堅いものかな、これぐらい柔らかいものかな、と提案をするのが仕事だと思っています。
 翻訳に関しては、村上春樹と三島由紀夫の大きく2つのスタンスがあると言われます。村上は「とにかく原文に忠実に訳せ」という人で、三島は「翻訳は必ず自分のフィルターが入る再創造だ」と言う。僕の考え方は後者で、どうしても自分のカラーがでてくる。考えてみると、演劇を一緒につくっていく過程で、現場を汲み取らずにやることが多いのは翻訳家ぐらいですよね。現場で何をつくりたいのか、どういう方向に持っていきたいのかということを汲みながら、じゃあ美術プランはこうしましょう、衣裳はこうしましょう、とつくっていく方がいいし、本当は翻訳家も稽古場に立ち会って、その場その場で生まれた悩みに対して一緒に考えるべきだと思います。

──翻訳することで作品理解が深まるということはありますか。
 去年、イプセンの『ペールギュント』を英語訳から一語ずつ当たっていったんですが、発見がすごく沢山あって、もちろん作品理解も深まったし、触発・刺激されることも沢山ありました。やっぱり作家は手癖が出てしまうので、自分の手癖じゃない物語や文章と長い時間かけて向き合わざるを得ない翻訳はすごく勉強になります。それを日本語に落とす時には、まさにイプセンと対話しているような感覚になります。本当に発見が沢山あるので、是非1年に1本は翻訳したいと思っています。


外国人演出家との協働など広がる活動

──この数年は翻訳だけではなく、外国人演出家の作品の演出補や上演台本の執筆という仕事をされています。2015年の『PLUTO』(手塚治虫の漫画「鉄腕アトム〜地上最大のロボット」をリメイクした浦沢直樹の漫画『PLUTO』が原作)はシディ・ラルビ・シェルカウイが演出、谷さんが上演台本を担当されました。また、デヴィッド・ルヴォーが演出し、歌舞伎俳優の中村七之助と現代劇の俳優が共演する『ETERNAL CHIKAMATSU〜近松門左衛門「心中天網島」より』に戯曲を提供されています。

 『PLUTO』では、最初にラルビと打ち合わせをして、マンガは8巻あるから、絶対使いたいシーンにまず付箋を貼っていこうと。それで、スカイプで喋りながら付箋を貼っていったら、全部付いちゃった(笑)。そこから一度僕が2時間程度にまとめて彼に提案したんですが、やっぱりいろいろとやりたいシーンが増えていって‥‥。そういうキャッチボールをしながら整えていきました。これは人間とロボットについての話なのか、信頼関係についての話なのか、テクノロジーに関する話なのか、現代批判なのか、文明批判なのか。そういう議論をしました。それで、これは憎しみの連鎖の話だ!3人の父親と3人の息子たちの解決しない感情の話だ!みたいな感じになり、3人のエピソードをピックアップしていきました。
 ラルビは素晴らしい人で、作品に対する愛と情熱がまず凄まじくあって、しかも人の話をよく聞く。信頼して任せるところと、自分のヴィジョンで決めるところがすごくハッキリしていて、演出家のもとに全員の知性を合わせるという意味では、とても良いコラボレーションだったと思います。そういう作業だったので、僕のクレジットに関して、“脚本”や“作”ではなく、“上演台本”にして欲しいと、僕から要望しました。

──もう一つ、谷さんが主宰しているユニットとして、2012年に始められたテアトル・ド・アナールがあります。僕もドラマトゥルクとして参加していますが、ここではかなり硬派な題材を取り上げています。
 テアトル・ド・アナールは、2011年の夏くらいにゴーチ・ブラザーズ代表の伊藤達哉さんから「伊藤達哉、谷賢一、野村政之で何かやろうか?」という声掛けがあってはじめたんですよね。当初、伊藤さんは、マイケル・フレインの『コペンハーゲン』(第二次大戦中に原爆開発に携わったドイツの理論物理学者ハイゼンベルクがボーア夫妻を訪ねた謎の1日を題材にしたヒューマンドラマ)のような作品が日本でつくれないだろうかと。西洋の戯曲を漁っていると、知的な題材を取り上げて、演劇としての完成度を求めていくスタイルはずっとありますから。
 それで、互いに興味がある題材を出し合って、第1回公演は、僕が提案した「脳科学」で『ヌード・マウス』をつくりました。そこから、「先端的、あるいは今、知的な刺激に満ちた題材を使って演劇をつくろう」というユニットの方向性が定まった。第2回公演の『従軍中のウィトゲンシュタインが、(タイトルが長いので省略)』は「哲学」、第3回公演『トーキョー・スラム・エンジェルス』は「資本主義」がテーマでした。毎回、一見演劇の題材にならなそうな硬派なテーマをどうやって観客と共有できるか、というのを探しながらつくっています。
 
──谷さんの舞台は、台詞の論理的な掛け合い、組み立てによって戯曲が展開し、台詞のダイナミズムがとてもストレートに客席に伝わってきます。
 僕は常に「言葉の格闘技」みたいになるといいなと思っていて、逆にそうならないと自分がワクワクしない。だから、演出しながらたたき直していきます。
 今こうして喋っている時でも、「この瞬間に相槌打った」とか、「いま喋り出したから、暫く様子を見ている」とか、相手の言葉を聞いた上で、実はとてもアクティブでアクチュアルなことをやっているじゃないですか。会話というのはそういうものだと思うんです。
 もちろん、西洋の対話劇だと、スタンスの違う人間同士の意志と意志がぶつかり合うような対立構造が多いから、お互いの生命や存在をかけて言葉を喋るシーンが増えて、まさに言葉の殴り合いみたいなことになる。一方で、もっと落ち着いた、デリケートに静かに喋るような会話劇でも、対立構造が明確な戯曲の場合は、お互い静かなトーンで喋っていても「どう相手を追い詰めるか」を考えながら動いている場合が多い。そういうところに注目して書いていくと、どうしてもダイナミックというか、荒っぽいというか、積極的にぶつかり合うシーンが増えるんだと思います。対話の火花が散る──そういうのが、僕は好きなんだと思います。

──最後に、今後の展望をお聞かせください。
 中長期の目標としては、中劇場、大劇場クラスをちゃんと演出できる腕力を手に入れたいと思っています。翻訳や外国の演出家との仕事は、そこを見据えたシミュレーションという意識でやっています。そのためにはもちろん、エンターテインメント性も考えなければいけないし、スター俳優を起用して自分のやりたいことを貫くバランスの取り方も知りたい。そういう方向に向けて穴を掘り続けていきたいと思っています。
 
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