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菅原直樹
菅原直樹(すがわら・なおき)
1983年生まれ。俳優、介護福祉士。高校生のときに平田オリザのワークショップを体験したのをきっかけに、平田が教授として指導していた桜美林大学に進学。2010年から平田が主宰する青年団に所属し、特別養護老人ホームで介護福祉士として働きながら演劇活動を行う。東日本大震災を機に、2012年9月、岡山県和気町に移住。介護と演劇の相性のよさを実感し、OiBokkeShiを立ち上げて「老いと演劇のワークショップ」をスタート。ワークショップで出会った88歳の岡田忠雄さんを主役に、2015年、OiBokkeShi第1回公演として和気町駅前商店街を舞台にした認知症徘徊演劇『よみちにひはくれない』を発表。以来、「介護現場に演劇の知恵を、演劇の稽古場に介護の深みを」をコンセプトに掲げ、全国各地で「老いと演劇のワークショップ」を展開。これまでにOiBokkeShiで発表した作品は、『老人ハイスクール』(2015)、『BPSD:ぼくのパパはサムライだから』(2016)、『カメラマンの変態』(2017)。2016年に拠点を岡山県奈義町に移し、奈義町アート・デザイン・ディレクターとして町とともに演劇と介護を結びつけて地域課題に取り組む活動に着手。TVドキュメンタリー番組「よみちにひはくれない〜若き“俳優介護士”の挑戦〜」が第24回FNSドキュメンタリー大賞優秀賞受賞。
OiBokkeShi – 「老いと演劇」オイ・ボッケ・シ
http://oibokkeshi.net/
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新作公演『カメラマンの変態』(美作公演)
(2018年1月/特別養護老人ホーム蛍流荘)
カメラマンの変態
カメラマンの変態
カメラマンの変態
カメラマンの変態
カメラマンの変態
Photo: hi foo farm
* 三好春樹
1950年生まれ。生活とリハビリ研究所代表。介護、リハビリテーションの専門家。介護にあたる人たちに人間性を重視し、創造力を働かせる老人介護のあり方を伝える「生活リハビリ講座」を全国で開催。「おむつ外し学会」「チューブ外し学会」などを立ち上げ、介護福祉の新しい潮流を切り拓く。「介護のススメ!─希望と創造の老人ケア入門」(2016)など著書多数。
認知症徘徊演劇『よみちにひはくれない』
(2015年1月〜3月/和気町駅前商店街)
よみちにひはくれない よみちにひはくれない よみちにひはくれない
Photo: hi foo farm
Artist Interview
2018.2.8
play
The Power of Mitsunori Fukuhara, Changing reality with comic imagination  
老いと演劇”がテーマ OiBokkeShiの菅原直樹  
OiBokkeShi(オイボッケシ)を主宰する俳優で介護福祉士の菅原直樹。演劇の手法を活かして“老い”“ボケ”“死”に向き合い、高齢者の俳優との演劇活動を行うとともに、認知症のケアを行う介護者などを対象にしたワークショップを展開。青年団の俳優から岡山に移住して始めたOiBokkeShiの活動や奈義町での新たな取り組みなど、演劇の可能性を拓く菅原のアプローチをインタビューした。
聞き手:神山典士[ノンフィクション作家]

演劇との出会い

──菅原さんは“老いと演劇”をテーマにOiBokkeShiを立ち上げ、90歳を越える岡田忠雄さん(通称:おかじい)と一緒に演劇活動をされています。加えて、全国各地で認知症ケアに演劇手法を活かしたワークショップを行われています。コンセプトは、「介護現場に演劇の知恵を、演劇の稽古場に介護の深みを」です。現在の活動の状況から教えていただけますか。

 2014年から行っている「老いと演劇のワークショップ」では、参加者の方が認知症役と介護者役を交互に演じ、ボケを正すのではなく、受け入れるコミュニケーションを体験してもらいます。介護の仕事には「3K=キツイ、汚い、給料安い」というマイナスのイメージがありますが、とてもクリエイティブでやり甲斐がある仕事だと考えています。僕は俳優をやりながら介護の現場で働いていたことがあるのですが、働き始めてすぐに介護と演劇は相性がいいのではないかと感じました。そういうクリエイティブな側面を、「老いと演劇のワークショップ」を通じて体験してもらえればと思っています。
 2016年からは岡山県奈義町からアート・デザイン・ディレクターを委嘱され、地域の課題に取り組む活動をはじめました。町にある地区サロンでおじいさん、おばあさんたちと演劇のワークショップをしていますが、実際に身体や頭を動かすことで介護予防にもなりますし、どのように老いや認知症を受け入れていくのかを考えることにもつながります。
 こうしたワークショップは介護と演劇の2つの分野で行っていて、介護のほうは介護施設だけでなく、病院や介護を学ぶ学生のいる学校、市民向け講座を主催する自治体などからの依頼です。演劇では、公立劇場から芸術文化を生活に活かす社会包摂活動として依頼されることが多いです。例えば、三重県文化会館では、会館がコーディネートし、県内の介護施設、老人ホーム、病院、認知症の家族の会などでワークショップを行っています。「介護と演劇」を結び付ける僕の活動は、お年寄りや介護現場で働く人、医療関係者など、普段なかなか劇場に足を運ばない方に届くプログラムなので、そうした人にアートの効用を伝える機会にできればと思っています。
 OiBokkeShiではこれまで3作品を発表していますが、演劇が好きな人だけでなく、介護や医療関係などそれまで演劇を観たことがないようなお客さんが来てくださいます。そういう意味では、介護と演劇の枠を取り払う役割も果たしているように思います。

──そもそもの演劇との出会いを聞かせてください。
 もともとは映画に興味があったのですが、高校に演劇部しかなくて入部したのがきっかけです。休み時間は一人で本を読んでいるようなタイプの人間で、みんなと話もしないし、どこか後ろめたさみたいなものがありました。人前で話すのは苦手だったから俳優になる気はありませんでしたが、台本を書いたり、演出をしたりすることには興味がありました。
 顧問の先生が書いた脚本に「引きこもりの少年」という一言も喋らない役があって、周りのみんなからそれはお前の役だと言われてはじめて舞台に立ちました。そうしたらお客さんが、「よかったよ」と褒めてくれた(笑)。それまで僕は、舞台に立つのは目立ちたがり屋で人と話すのが上手な、笑わせるのが上手な人だと思っていたのですが、僕みたいな人間にも舞台には居場所があった。演劇の入り口として、その経験がとてもよかった。その役がなかったら、多分、演劇をやってなかったと思います。それで3年生の頃にはセリフのある役を貰って、ああ、僕は演技なら喋れるんだ(笑)と思いました。セリフを喋ることが会話のリハビリになりました。台本に書かれたことを言っているのですが、人と喋るのってこんなに楽しいんだと疑似体験できた。人と話すのは面白いという感覚を、演劇を通じて知りました。
 進路を決められないでいたら、顧問の先生から平田オリザさんが演劇を教えていた桜美林大学を勧めてもらいました。それで3年生の夏に大学のオープンキャンパスに参加し、初めてオリザさんのワークショップを受けました。もう目からウロコでした!それで桜美林に入学し、以来、オリザさんには演劇についていろいろと教えてもらっています。2000年代からオリザさんは演劇のメソッドをもって教育現場でワークショップを行っていました。また、地域に芸術祭や公立劇場ができたのを契機に演劇人が東京から地域に移るケースもぼちぼちとでていました。なので、演劇と社会の結びつけ方や、どうしたら演劇で食べていけるかといったことを学生時代から考えていました。

──ちなみに目からウロコだったというオリザさんのワークショップとはどのようなものだったのですか。
 僕がオープンキャンパスで受けたのは、「電車の中で知らない人に話しかける」というシチュエーションのワークショップでした。簡単な台本があって、電車のボックス席でAさんとBさんという知り合いが座って会話しているところに、乗客のCさんがやってきて座る。その見知らぬCさんに「ご旅行ですか?」と話しかけるのですが、高校生の僕はこのセリフが上手く言えませんでした。
 オリザさんが、高校生たちに「実際にこういうシチュエーションで知らない人に話し掛けたことがある?」と質問すると、ほとんどの人は話しかけないという。でも、もし旅行バックを持っている赤ちゃん連れのお母さんが乗ってきて、赤ちゃんがこっちに興味を示したら、「ご旅行ですか?」と自然に話しかけられるのではないかと。これがプロの俳優だったら、演出家はセリフが言えないのは俳優の問題だと考えますが、オリザさんはセリフが言えないのは環境に問題があるのではないかと考えるわけです。そういう風に「環境を変えることで自然な演技を引き出すことができる」というオリザさんの考え方が、本当に目からウロコでした。僕のように恥ずかしくて電車の中で知らない人に声をかけられないような人間でも、環境を変えれば自然に演技ができる。演じにくいのは個人に問題があるのではなくて、環境に問題があるーーこの考え方は、演劇だけではなくて、コミュニケーションの問題などいろいろなことに関わってくる。演劇は深いなと思いました。こうしたワークショップの考え方は、今の僕に大きな影響を与えています。

──桜美林大学で演劇を学んだ後は、どうされたのですか。
 アルバイトをしながらフリーの俳優として小劇場に出演し、2010年に27歳でオリザさんが主宰する青年団に入団しました。その年にアルバイトの契約期間が切れて無職になってしまった。結婚もしたばかりだったのに、無職(苦笑)。日頃から俳優だけではなく、二足の草鞋で活動できたらいいなと思っていたこともあり、ハローワークに行き、介護の仕事をはじめました。
2011年に東日本大震災があり、その1年後に父が癌でなくなった。20代後半でアルバイトをしながら演劇をやっている自分が何者にもなれていない気がして、人生の転機を感じました。家族とのこれからの生活も考えて、東京ではないどこかで生活をしようと思い、岡山県和気町への移住を決めました。オリザさんには、介護の仕事が面白いので東京での演劇活動をちょっと休んで地方で介護に専念してみたい。ゆくゆくは介護と演劇を結びつける活動をしてみたいと話しました。介護の楽しさが演劇に何か通じていると思っていましたが、その「何か」を上手く言語化するための時間が必要でした。


OiBokkeShiの誕生

──和気町に移住されてから1年ほどして、2014年にOiBokkeShiを立ち上げます。

 介護の勉強をしていて、理学療法士の三好春樹さん(*)のセミナーを聞く機会がありました。それで改めて介護と演劇の相性の良さを感じました。介護の現場に演劇の知恵が活かされるし、介護の現場で得たものを演劇に持ち込んだらより深い演劇、今までにない演劇ができるのではないかと。それを多くの人に伝えるには演劇ワークショップが一番いいのではないかと思いました。
 どことなくイメージはあったのですが、実際にやろうと思っても和気町は小さな町ですし、僕は移住者のよそ者なので地域の人との繋がりもほとんどなかった。たまたま移住者の交流パーティーがあり、そこで知り合ったのが東京から移住してきたデザイナーの岡野雄一郎さんです。福武教育文化振興財団が助成金を公募しているから申請してみればと言われ、奥さんの牧子さんと一緒に手伝ってくれた。劇団名が必要だというので、「老いとボケと死なら“オイボッケシ”でいいんじゃない?」と岡野夫妻が付けてくれたのがOiBokkeShiです。そうしたら採択されて、背中を押された。
助成金の申請は無事に通ったのですが、役者やスタッフがいないと演劇はできない。我が家の建具を直してくれた地元の建具屋さんに相談すると面白そうだから手伝うよと。その人が和気町の商店街の人たちと繋げてくれた。その建具屋さんが今、OiBokkeShiの舞台監督をしてもらっている市川博明さんです。
でも演劇活動はまだ何もやってなかった。机の上であれこれ考えていても仕方がないので、ともかく市川さんにお願いして人を集めてもらい、夜の公民館で数回ワークショップのデモンストレーションをやりました。2カ月間試行錯誤して完成した「老いと演劇のワークショップ」の初回に参加してくれたのが、岡田忠雄さん、おかじいです。

──菅原さんの演劇活動にとってその出会いはとても重要なものになりました。
 はい。おかじいは認知症の奥さんを介護していて、その役に立つのではないかと参加してくれました。ずっとホテルマンの仕事をしていて、定年退職後は憧れの映画俳優を目指して数々のオーディションを受けてきた。今村昌平監督の『カンゾー先生』や『黒い雨』にもエキストラで出演されています。これほど「老いと演劇」にうってつけの人はいないと思い、ワークショップが終わった後にすぐに電話をかけました。そうしたら開口一番、「これはオーディションに受かったということですか?」って。「いやいや、違います(笑)」と。でもそういうことかなと思いました。それから岡田さんと一緒に芝居をつくるようになりました。
 最初はつくりたいという思いしかなかったので、どういう芝居をつくるかは全く考えていなかった。岡田さんの家に通って、戦争の話から介護の話までいろいろ聞きました。認知症の妻が徘徊をして困っていて、この間は明け方に新聞配達員と町内を探し回ったと。それを聞いて、徘徊をテーマに演劇をつくってみようと思いました。それで取り組んだのが、認知症徘徊演劇『よみちにひはくれない』です。
 このタイトルは、岡田さんの口癖から付けました。僕が岡田さんの家に遊びに行って日が暮れたから帰ろうとすると、「夜道に日は暮れないよ」と言うんです。もう日が暮れたんだから、もっとゆっくりしていけ、セカセカするなという意味です。それを聞いて、今の時代にとても大きな意味を持つ言葉だと思いました。
 この作品は、和気町の商店街を歩きながら行う「街歩き演劇」です。ストーリーは、20年ぶりに和気に帰省してきた青年が駅前で昔可愛がってくれた近所のおじいちゃんを見かける。声をかけたら、認知症の妻がいなくなったから探しているという。それで二人で一緒におばあさんを探して商店街を歩き回るというものです。商店街のお店の人にそれぞれ自分の役で出演してもらいましたが、演劇は素人でも自分の役はプロなのでみなさん堂々としたものでした。観客は青年の後をずっと付いて歩くのですが、何が現実で何がフィクションなのかわからなくなる。最初は認知症の人を探す介護者の気持ちになり、ストーリーが進むにつれて、実はおじいさんの奥さんは数年前になくなっていることがわかる。おじいさんは認知症になり、いないはずの奥さんを探し回っていることがわかり、そこでやっと観客は認知症の人の気持ちに気づくわけです。この演劇を通じて、介護者と認知症の人の体験をしてもらえればと思いました。商店街でやったことで、地域の人も楽しみながら認知症や徘徊について考えるきっかけになったのではないかと思います。


“老いと演劇”のワークショップ

──ワークショップでは具体的にどのようなことを行っているのですか。

 演劇では、優れた演技をするためには、普段自分がどのように喋っているのか、どのように身体を動かしているのかということに意識的になる必要があります。僕は、演劇ワークショップはそういうコミュニケーションに意識的になるツールではないかと考えています。ですから、認知症の人との関わり方がテーマの「老いと演劇のワークショップ」では、介護者が認知症のお年寄りとの関わり方に意識的になれるようなプログラムにしています。
 最初にアイスブレイクとして、介護現場で行なわれている「遊びリテーション」(リハビリ効果が期待できるレクリエーションのこと)を行います。「将軍ゲーム」というのがありますが、身体の部位に1、2、3‥‥と番号を振って将軍役のリーダーが言う番号の部位を指で指す。最初は自分の身体を指すのですが、次に他の人の身体を指すように変えると、結構、失敗する。遊びはできないから面白いし、できない人がいると盛り上がる。つまり、遊びではできないことが良いことになり得るんです。僕らが生きている社会は、できない人は反省して、学習してできるようにならなければいけない。でも遊びではそういったプレッシャーから解放され、できなくても人間味があって面白いということになります。
 認知症や障害をもったお年寄りは、段々できなくなっていく存在です。そういう自分を「こんな自分じゃダメだ」と拒絶するのか、人間なんてこんなもんだと笑って受け止めるのかによって、その人の老いの姿は随分変わってくると思います。もちろん、介護する側もどのような価値観でそのお年寄りに接するかで、介護の現場の雰囲気はだいぶ変わってくるのではないかと思います。最初のアイスブレイクでは、できる・できないにこだわるのではなく、とにかく今この瞬間を楽しむという遊びの価値観を体験してもらっています。
その後に、身体を使って他者とコミュニケーションするシアターゲームをやります。よく介護現場で遊びリテーションをしていると、ご家族から「ウチのおじいさんをあまり子ども扱いしないでください」と言われることもありますが、単調なゲームでもルールを変えて難易度を上げていくと結構盛り上がるんです。最初は「そんなのやらん」と言っていた人でもムキになってやったりする。つまり身体を使った遊びというのは、子どもだけの特権ではなく、大人にも楽しんでもらえるものなんです。演劇の原点は身体を使って楽しみ、他者とコミュニケーションすることなので、それを体験してもらいます。
 最後に「ボケと演技」について考えてもらいます。参加者のほとんどは演劇経験のない人ですが、みなさん日常生活の中で演技をしたことはあります。要は「嘘」です。高い買い物をして家に帰り、何でそんな物を買ったのかと非難されると「バーゲンで安かったから」と嘘をつく。これも演技です。また、警察官は警察官らしく、親は親らしくなど、社会的な立場が演技を強いることもあります。人は日常生活の中で様々な役を演じ分けているんです。
 では介護現場ではどうでしょう。老人ホームの廊下を歩いていると、認知症のおばあさんがすれ違いざまに僕を見て「あら、時計屋さん」と言う。普通は「いえいえ、時計屋さんではなくて介護職員です」と言います。でも、この時に、介護職員ではなくて俳優になり、おばあさんの言うことを否定せずに、「はい、時計屋さんです」と演技することも大切なのではないか、と僕は考えています。それで、介護職員役とお年寄り役のペアになってもらい、お年寄りが脈絡のない話をするのを否定しないで肯定し、介護職員役がどれだけ話しを合わせられるか(演技できるか)というワークショップをやってもらっています。

──実際にワークショップを拝見しましたが、お年寄りの話を肯定して芝居し続けるには相当な創造力がいりますし、本当に肯定していいのかと悩みます。
 実は高校生の頃に祖母と共同生活をしていた経験があり、僕もそのことで悩んだことがあります。祖父を亡くして7〜8年一人暮らしをしていたのですが、高齢になったので一緒に住むことになった。ある日、食卓の上のコロッケを僕が食べてしまったら、「箪笥の中にいる人にあげようと思ったのに」と言うんです。認知症状がでてきたわけです。僕は、「箪笥の中に人なんかいないでしょ?」と正すべきか、「ごめん、食べちゃったから箪笥の中の人には他のものをあげよう」と言うべきか、すごく悩みました。ボケを正せばしっかりとした祖母に戻ってくれるんじゃないか、ボケを受け入れたらどんどんおかしな世界に行っちゃうんじゃないか。悩んだ末にその時は正したのですが、それでよかったかどうかはわかりません。
 介護職員として働くようになり、多くのお年寄りと接して思ったのは、ボケは受け入れた方が良いんじゃないかということでした。ボケを正していては、介護する方もされる方も幸せになれないんじゃないか。言い負かそうとするとお互い気持ちがよくないけど、箪笥の中に人がいると言えば、じゃあ箪笥の中を見に行こうかという展開になります。祖母に明るい表情になってもらいたいと思うのであれば、周囲の関わり方をもう少し考える必要があったのではないか。今思えば、祖母にとっても「環境を変える」ことが必要だったような気がします。

──演技をするということは、彼女にとって住みやすい環境に変えていくということなんですね。
 そうかもしれません。認知症について勉強していくと、アルツハイマー型の認知症には避けられない中核症状(記憶障害、見当識障害、判断力低下)があり、おかしな言動や小さな失敗が増えていくことは仕方ないわけです。それをいちいち正したり、指摘していては、認知症の人の気持ちはかなり傷つく。論理とか理屈は通じなくても、感情はしっかりしているわけですから。
 だから認知症のお年寄りとの関わりにおいては、論理や理屈にこだわるのではなく、感情に寄りそう関わり方をした方が良いとよく言われます。そうなると、僕らの常識からすれば間違ったことでも受け入れなければいけないし、僕らには見えないものでも見えた振りをしなければいけない。その人が見ている世界を尊重した関わり方をすべきなんです。そうなると、どうしたって演技が必要になってくると思いました。

──「老いや認知症」というテーマと出合い、老人ホームで働いて世界の見え方が変わり、今、菅原さんは高齢者とどのような演劇をつくりたいと思っていますか。
 そのテーマと出合って一番感じたのは、「上り坂と下り坂」という価値観の変化です。これまでずっと学校も社会も人に成長を強いてきたように思います。昨日よりも今日、今日よりも明日、より成長しなければならないというプレッシャーの中でみんな生きてきた。でも老人ホームに身を置くと、そういう価値観から解放されている。お年寄りたちはどんどん老い衰えていきますが、それが当たり前なわけです。それでいいという、その価値観がまず新鮮でした。成長しなければいけないというプレッシャーのない老人ホームで働き始めて、なんか居心地良いなと思いました。
 介護職員は忙しく走り回っていますが、お年寄りはゆっくりのんびりしている。朝起きてご飯を食べて、お風呂に入って寝るという生活をずっと繰り返している。最初はこれでいいのかな、こんなに日々が過ぎていいのかなと思ったりしますが、でもすぐに良い面もあると気付きました。食事や入浴など生活のひとつひとつに喜びを見出し、今を楽しんでいる。東京で演劇をやっていた頃は、自炊する時間も惜しんでありあわせのものを食べて、生活の喜びとは無縁でした。でも老人ホームでは、食事をするだけでも人の手を借りなければいけない人たちがいる。そうなると、その食事をいかに楽しんでもらえるかが重要であり、ああ、生活をちゃんとするというのは大切だなというのを実感しました。こういった何気ない生活の喜びを舞台で表現できたらと考えています。
 オリザさんからは、環境を改善するとその個人の何かを引き出すことができるということを学びましたが、もうひとつ、「参加者の人生の履歴を大切にする」という言葉も大切にしています。これまで小さい声だった人を、演劇ワークショップを通じて大きな声にさせる必要は全くない。声が小さいまま生きてきたのであれば、その小ささを上手く生かすことを演劇的に考えればいい。参加者の人生の履歴を大切にするというのは、今の「老いと演劇」の活動においても大切なことだと思っています。次は、おかじいの人生の演劇をつくろうかなと思っています(笑)。
 
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