The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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歌舞伎
異様な振る舞いや風体を指す「傾く(かぶく)」が語源。江戸初期に出雲の阿国が京都で始めた「かぶき踊り」が始まりとされる。風俗取り締まりで女芸人の出演が禁止され、女形が生まれたことにより、様式性の濃い演劇として発展。江戸で1714年から幕府公認の劇場として興行を許されたのは、中村座・市村座・守田座の江戸三座だけであった。

新派
歌舞伎に対抗して発達した演劇ジャンル。明治中期に自由民権思想の宣伝のために行われた壮士芝居が始まり。次第に新聞ネタに題材をとった現代劇を上演するようになり、大正時代に入って『金色夜叉』『不如帰』で新派悲劇のスタイルを確立。

新劇
歌舞伎・新派劇に対抗してヨーロッパ近代劇の影響を受けて発達した演劇ジャンル。明治政府による歌舞伎の改良運動と翻訳劇の上演を目的に結成された自由劇場(1909〜19)が始まり。当初は歌舞伎役者が出演していたが、1924年にヨーロッパ近代劇の上演を行う常設劇場として築地小劇場がつくられ、リアリズム演劇ができる俳優の養成を始めたのが今日の新劇の基礎となった。代表的な劇団は俳優座(1944年創立)、文学座(37年)、民芸(50年)。

小劇場運動
新劇に対抗して、1960年代の安保闘争を背景に、反体制を掲げて生まれた演劇ジャンル。当時は貸ホールを借りて公演するのが普通だったが、小劇場の草分けである自由劇場が、「劇場をもち、劇場を維持することで新しい表現が生まれるのではないか」と六本木のガラス屋の地下に「アンダーグラウンド・シアター自由劇場」をオープン。早稲田小劇場、天井桟敷なども自前の小劇場をもったことから、彼らの演劇活動を指して「小劇場運動」と呼ぶようになる。60年代に劇団を結成した第1世代(唐十郎、鈴木忠志、蜷川幸雄、寺山修司、佐藤信ら)、70年代に第1世代の影響を受けて演劇活動を始めた全共闘世代の第2世代(つかこうへい、山崎哲ら)、80年代に学生劇団を母体として生まれ、若者文化としてもてはやされた第3世代(野田秀樹ら)に分かれる。

舞踏
1959年、当時31歳だった土方巽(ひじかた・たつみ)が、全日本芸術舞踊協会新人舞踊公演で『禁色』を発表したのが始まりとされる。三島由紀夫の同名小説をモチーフに、少年が股で鶏を絞め殺し、暗闇の中で男が少年を追いかけるというこの作品は、既成の舞踊が拠り所にしてきた一切の方法を捨てても踊りが成立することを示してセンセーションとなった。70年代には、土方を中心とした暗黒舞踏派、天才的舞踏手である大野一雄の即興舞踏派、笠井叡の天使館派の3派が軸となり、72年に麿赤兒が大駱駝艦(山海塾として国際的に活躍する天児牛大も所属)を結成するに至って、「白塗り、がに股、坊主、白眼」の異形の踊りが、舞踏の一般的なスタイルとして知られるようになる。国内よりも「BUTOH」として海外での評価のほうが高い。
An Overview
2010.6.9
Latest Trends by Genre: ShÔgekijÔ (Small Theater) Movement  
小劇場演劇の流れと最新動向─坪池栄子(文化科学研究所)  
小劇場演劇の流れ

 日本の演劇界は、明治以降の世の中全体がそうであったように、急速な近代化や欧米化の流れに乗って、歌舞伎に反発して新派が生まれ、歌舞伎・新派に反発して新劇が生まれ、新劇に反発して小劇場運動が生まれるといったように、それまであった演劇への反発を繰り返しながら、別の集団・表現をつくることで動いてきたところがある。

 こうした歴史的な経緯のため、日本では一口に演劇と言っても、古典から商業演劇、新劇、小劇場、舞踏、教育活動として行われている高校演劇など、さまざまなジャンルが併存しており、これらの領域の間の関係が希薄で、ほとんど相互交流がない状態が続いてきた(ただし、現在ではプロデュース公演の増加により、垣根が低くなってきている)。その中で現代演劇シーンを牽引しているのが、1960年代にスタートし、今も新しい才能を輩出し続けている「小劇場演劇」の領域である。

 1960年代、現代演劇を志す者は大手新劇団でリアリズム演劇をやるしかなかった時代に、既存の新劇に飽き足らなかった若い演劇人たちが劇団から飛び出し、また、当時、多彩な才能を擁していた学生劇団のリーダーたちが、自分たちの思想を表明し、表現を追求する場として次々に小劇団を旗揚げしていった。これが、現在に繋がる小劇場演劇の始まりである。

 小劇場演劇は一部の例外を除いて基本的にアマチュア活動であり、多くの場合、劇作家、演出家、俳優を強烈な個性と才能をもったリーダーが兼任している。こうした小劇場演劇の第一世代には、故・寺山修司、鈴木忠志(初代静岡県舞台芸術センター芸術総監督、SCOT主宰)、蜷川幸雄(現・桐朋学園芸術短期大学学長、現・彩の国さいたま芸術劇場芸術監督)、唐十郎(現・近畿大学客員教授、唐組主宰)、佐藤信(現・東京学芸大学教授)、故・太田省吾(残念なことに2007年7月に67歳で死去)、串田和美(現・まつもと市民芸術館芸術監督、日本大学芸術学部特任教授)など、錚々たるアーティストが顔を揃え、世界の前衛演劇をリードする勢いだった(この時代を代表する劇作家としては初期の鈴木忠志と組んだ不条理劇の別役実、蜷川幸雄と組んだ清水邦夫がいる)。

 現在、彼らの多くは、(いまだに前衛として大がかりな野外舞台での公演を続けている松本雄吉率いる維新派など例外はあるが)カンパニーのリーダーとしての活動に終止符を打ち、演出家として独立した活動を行う一方、公立劇場の芸術監督や大学の指導者という、これまで日本では第一線の演劇人が携ったことのない新しいポジションの開拓者としての重責を担っている。こうした第一世代がつくりだす新しい環境が、次世代の現代演劇シーンにどのような影響を与えるか、注目されるところだ。

 第一世代の小劇場演劇は、反体制運動、反新劇運動、前衛運動といった思想性・実践性の強いもので、観客もこうした考えに賛同する同士だった。しかし、70年代に登場したつかこうへい(小劇場演劇第二世代)が“誇りがあればどんな人間の欲望も肯定できる”という自虐的なコメディによりセンセーションを巻き起こし、小劇場演劇を娯楽として楽しむ若い観客層を開拓するとともに、次世代の劇作家たちに多大な影響を与える。これをターニングポイントにして、小劇場演劇はその時代の若者の感性に訴えるエンターテインメントへと大きく方向を変えることになる。

 80年代には、学生劇団を母体として、饒舌な言葉遊びと時間と空間が飛躍する劇構造で時代の寵児となった野田秀樹鴻上尚史ら第三世代のリーダーが続々登場。破天荒な物語と個性豊かな演技スタイルで若い観客の支持を集め、「小劇場ブーム」としてマスコミの話題となる。

 しかし、90年代にはこうした劇団の多くが解散。文化庁の芸術フェローシップの門戸が小劇場演劇のアーティストにも開かれたことから、海外留学を経て再出発を図る新しい動きも生まれ、また、活躍の場は商業劇場やマスコミへと移っていく。加えて、それまでの小劇場演劇の特徴ともなっていた非日常的なスタイルへの行き詰まりから、日常生活に設定を求めた「静かな演劇」と呼ばれる会話劇を掲げた平田オリザ(青年団主宰、現大阪大学コミュニケーション・デザインセンター教授)が登場。演劇書を多数執筆し、若くして公立劇場の芸術監督となり、大学でも教鞭をとる平田は、新世代の演劇人たちのオピニオンリーダーとなる。

 90年代後半には、小劇場演劇出身のアーティストが、商業演劇や映画、テレビで活躍するのが当たり前の状況となる。その筆頭とも言えるのが、日本大学芸術学部時代に結成した東京サンシャインボーイズを振り出しに、今やテレビドラマ、舞台、映画のヒットメーカーとして引っ張りだこのシチュエーションコメディの作家・演出家の三谷幸喜である。その他、劇画タッチのSF時代活劇をシアトリカルに展開し、商業劇場にも進出した劇団☆新感線率いる演出家いのうえひでのりと劇作家中島かずき、劇団をショービジネスとして成功させた演劇集団キャラメルボックスの成井豊などである。

 いずれにしても、現在は、小劇場演劇と他メディアの交流が活発になり、小劇場演劇から作家や俳優などの人材が台頭する、一種の円熟期を迎えている。

第五世代の台頭と最新動向

 90年代をリードした第四世代の中で、平田オリザと並び、次世代に大きな影響を与えたのが、さまざまな題材をとりあげながらシリアスコメディを展開しているNYLON100℃のケラリーノ・サンドロヴィッチと、コンプレックスを抱えた自意識過剰の業の深い主人公たちが活躍するデフォルメされた喜劇で高く評価されている大人計画の松尾スズキである(大人計画にはもうひとり、テレビ・映画の人気脚本家としても活躍している宮藤官九郎も所属している)。そのため、現在の小劇場演劇シーンの担い手として活躍している60年代後半から70年代生まれの第五世代(長塚圭史本谷有希子、村上大樹など)の多くは、松尾チルドレン、ケラチルドレンと呼ばれている。

 こうした第五世代に共通しているのが、これまで小劇場演劇のスタイルをつくってきた集団性が極めて低いことだ。日本の小劇場演劇の特徴は、個々の劇団が排他的な集団活動の中で固有のスタイルを模索し、小劇場演劇シーン全体として舞台芸術の表現の可能性を広げてきたところにあったが、逆に言えばその集団性ゆえに、例外はあるものの、ほとんどの劇団はアマチュアから脱皮するために解散せざるをえないという宿命を背負っていた。

 しかし、集団活動を苦手とする若者が増え、こうした集団性に依拠しない劇団も多くなり、演技スタイルに格段の差もなくなったことから、現在では劇団の枠にとらわれない活動(プロデュース公演、気の合ったアーティスト同士によるユニット活動)が多く行われるようになっている。こうした背景としては、80年代末から90年代にかけて、東京都内に数多くオープンした劇場のプログラムとして若い観客に人気のある小劇場演劇の人材を起用したプロデュース公演が多数行われるようになったこと、小劇場演劇出身の制作者やプロデューサーが劇団を解散して設立した演劇の企画・制作会社が、そうした公演の制作を担い、俳優たちのマネージメントを行なうようになったことが挙げられる。
 
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