The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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ヴァンサン・ボードリエ
ルイーズ・ジェフリース
バービカン・センター演劇部長
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1982年開館。バービカン・センターは、世界の金融機関が一同に集まるロンドン東部のザ・シティ・オブ・ロンドン地区にあるヨーロッパ最大の総合文化センター兼コンファレンス会場。文化施設としては、2つのギャラリー(約1400平方メートルのアート・ギャラリーと約800平方メートルの馬蹄形をしたザ・カーブ・ギャラリー)、コンサートホール(約2000席のバービカンホール)、2つの劇場(1166席のバービカンシアターと200席のピット・シアター)、3つの映画館、図書館をもつ。コンサートホールは、イギリスを代表するロンドン交響楽団の拠点、バービカンシアターはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの拠点(2002年5月まで)として知られる。
ディレクターはジョン・チュサ、芸術監督はグラハム・シェフィールド。
http://www.barbican.org.uk/


An Overview
Presenter Interview
2005.3.16
Three years since the Royal Shakespeare Company, moved to new premises, the Barbican Centre adopts new strategies  
ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが移転して3年バービカン・シアターの新戦略  
年間を通じて海外作品をプログラムするBITE(バービカン・インターナショナル・シアター・イベンツ)の他、海外との共同プロデュースに力を入れはじめたバービカン・シアター。その取り組みを演劇部長ルイーズ・ジェフリース氏(Louise Jeffreys)に聞く。
(インタヴュー&文:菅 伸子)


――バービカン・センターが開設された経緯は?
バービカン・センターは、約14万平方メートルの敷地に現代的な高層住宅ビルが立ち並ぶバービカン・エステートの真ん中にあります。かつてこのあたりは路地や倉庫が迷路のようでしたが、1940年12月の第二次世界大戦の空襲でほぼ全焼しました。1955年にこの地域一帯の再開発計画案が提出され、その中で大規模な文化センターが計画されました。バービカン・センターが立地しているのは、ザ・シティ・オブ・ロンドン(ザ・シティとも呼ぶ)という1世紀からある英国でも最も古い町の中で、ここは独自の名誉市長と警察がいる特別自治地区になっています。ザ・シティ地区の独立自治体は、コーポレーション・オブ・ロンドンという法人です。バービカン・センターは、今日の4〜5億ポンド(80〜100億円)に匹敵する1億6,100万ポンドという莫大な総工費をかけて「ザ・シティが国民へのプレゼント」として建てたもので、コーポレーション・オブ・ロンドンはアーツ・カウンシル・オブ・イングランド、BBCについで英国で3番目に多く芸術を援助しているスポンサーです。

──BITEとはどのようなプログラムなのですか。
1998年からバービカンシアターは、BITEプログラムを通じて英国で最も重要な国際演劇のプロモーターへと変貌しました。BITEというのは、バービカン・インターナショナル・シアター・イベンツの略称で、 当初は5月から10月までの半年だけBITEのシーズンにしていましたが、2002年の夏から年間を通じてBITEを実施することになりました。もちろん、バービカンシアターでは、多方面から選んだ英国の演劇も上演していますが、今では英国で最も多く国際的なプログラムを上演する劇場として、海外のパートナーと組んで、演劇、ダンス、ミュージック・シアターの招聘や、共同プロデュースに力を入れています。最近では、プログラムには、ローリー・アンダーソン、ピナ・バウシュ、コンプリシテ、マース・カニンガム、フィリップ・グラス、Heiner Goebbels、蜷川幸雄、スティーブ・ライヒ、トワイラ・サープ、トム・ウェィツ、ロバート・ウィルソンといった人たちの公演を行ないました。

──今シーズンはどのようなプログラムを予定していますか?
2005年1月から6カ月の新シーズンでは、アイルランドのアビー・シアターの現代劇『鋤と星(The Plough and the Stars)』、ピーター・ブルック演出でチェーホフと女優のオルガの愛を描いた『Ta Main Dans La Mienne』などをすでに公演しました。4月にはイギリス注目の女性演出家デボラ・ウォーナーの『ジュリアス・シーザー』、5月にはアメリカのパフォーマンス・アーティスト、ローリー・アンダーソンの『The End of the Moon』とロシアのサンクトペテルブルグのマーリー・ドラマ・シアターの『ワーニャ伯父さん』、6月にはアメリカのマース・カニンガム・ダンス・カンパニーの公演など12作品の公演を予定しています。

──かつてバービカンは、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの拠点として知られていましたが、なぜ離れたのですか。
元々バービカンシアターは、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(以下、RSC)のロンドンの拠点として作られたのですが、彼らの活動方針変わり、ロンドンのショービジネス街、ウェストエンドなどに拠点を移して公演を行なうことにしたため、バービカンから出ていってしまいました。まず、96年にRSCからバービカン劇場での公演を年間6カ月に削減したいとの申し入れがあり、98年から暫定的に劇団とBITEが半年ずつ公演することになりました。これを契機に、国際的な演劇公演ができるよう劇場の施設を大幅に改善しました。RSCは2002年5月に正式にバービカンを離れました。
(現在、RSCはウェストエンドのオルベリー・シアターでシェークスピア劇、プレーハウス・シアターで外国の古典劇などを上演している)

──バービカン・センターの運営について教えてください。
バービカン・センターは、コーポレーション・オブ・ロンドンが所有し、その資金援助を得て、運営が行われています。2003年度のコーポレーション・オブ・ロンドンの年間援助予算は、総額2053万ポンドで、そのうち演劇部門の事業予算として200万ポンド弱(約4億円)が割り当てられています。これと入場料収入をあわせて2つの劇場の運営を行なっていて、私が演劇部長として、この2つの劇場のプログラムまかされています。

──いつからバービカン劇場で仕事をしていますか。それ以前の経歴は?
99年1月からです。マンチェスター大学で演劇を専攻した後、英国のレパートリー公演を行う劇場の舞台マネジャーを皮切りに、ドイツのミュンヘンにあるバイエルン国立歌劇場で創作チームと劇場の間に立つ制作コーディネーター、ロンドンのイングリッシュ・ナショナル・オペラの技術部長、英国中部のノッティンガム・プレイハウスの業務部長を経て、バービカン劇場の現職に付きました。オペラと演劇の両方、しかも技術面・業務面・創作面など幅広い分野で仕事をしてきました。

──日本に行ったことはありますか。
2001年に彩の国さいたま芸術劇場で上演された蜷川幸雄演出の『近代能楽集』を見るために一度だけ行ったことがあります。残念ながら日本の演劇はあまり知らないので、これから観たいと思っています。
 
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