The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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*1 ラ・ヴィレット
旧食肉市場跡を再開発した多目的公園。主な施設に展示やイベントなどを行うグランド・アール(Grande Halle、旧大市場)、科学産業都市(Cité des Sciences et de l'Industrie、科学産業博物館やドームシアターがある)、音楽都市(Cité de la Musique、国立音楽舞踊高等コンセルヴァトワール(音楽院)、音楽博物館、新たにつくられたコンサートホールのフィルハーモニー・ドゥ・パリがある)などが位置する。
*2 グラン・プロジェ
1980年代にミッテラン大統領の肝いりで実現したパリにおける一連の大規模施設整備計画。ルーヴル美術館中庭のガラスのピラミッド(建築:イオ・ミン・ペイ)、フランス国立図書館(建築:ドミニク・ペロー)、バスティーユの新オペラ座(建築:カルロス・オット)、新凱旋門とも呼ばれるグランド・アルシュ(建築:ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセン)、アラブ世界研究所(建築:ジャン・ヌーヴェル)、そしてラ・ヴィレットなどが含まれる。
*3 メゾン・フォリー
「リール2004」を機に整備された複合文化施設で、展示・上演・ワークショップのための設備を有し、カフェを併設し、ライヴ・コンサートや子ども向けの企画など親しみやすい演目を低廉な価格(無料ないし5〜15ユーロ)で幅広い市民に提供している。リール市内(ワゼンム、ムーランの2施設)、その近郊、さらには国境を挟んだベルギーのコルトレーク、モーブージュ、モンスにまで、規模も様々な10以上のメゾン・フォリーが存在している。
Presenter Interview
2018.7.20
Exploring the “Micro-Folie” concept   spearheaded by Le Villette 
ラ・ヴィレットが牽引するミクロ=フォリーとは? 
 日仏友好160周年を記念し、2018年7月から2019年2月にかけて、フランスのパリ市内外の 100近い会場で日本の多彩な文化を紹介する「ジャポニスム2018:響きあう魂」が開催される。その会場のひとつがラ・ヴィレット(*1)で、すでに5月からウルトラ・テクノロジスト集団チームラボ(teamLab)による「境界のない世界(Au delà des limites)」展がオープン。また、11月には宮城聰演出による『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険』も予定されている。そのラ・ヴィレットを率いるのが、2015年5月、オランド前大統領によって、ラ・ヴィレット公園・旧大市場公施設法人(Établissement public du Parc et de la Grande Halle de la Villette: EPPGHV)の理事長に任命されたディディエ・フュジリエ(Didier Fusillier)氏だ。彼は、1959年にフランス北部のノール(Nord)県に生まれ、1990年から2015年まで、ベルギー国境近くに位置する工業都市モーブージュの文化施設ル・マネージュ(Le Manège)のディレクターとして活躍。1993年から2015年までは、パリ近郊のクレテイユの文化施設メゾン・デ・ザール(Maison des Arts)のディレクターを兼務。また、「欧州文化首都リール2004」の芸術監督を務め、その後継プロジェクトである「リール3000」の芸術顧問も務めた実力者。フュジリエ氏が就任して以来、ますます活気づいているラ・ヴィレットについて、フュジリエ氏と広報担当のキャロル・ポロンスキ(Carole Polonsky)氏にインタビューした。
聞き手:藤井慎太郎[早稲田大学]

──まずは、「ジャポニスム2018」について聞かせてください。ラ・ヴィレットのグランド・アールでは、チームラボの展示のほか、アヴィニョン演劇祭でも極めて高い評価を得た宮城聰演出『マハーバーラタ ナラ王の冒険』、そして漫画に関する展示「Manga↔Tokyo」が行われます。

フュジリエ(以下、D・F):ラ・ヴィレットで実施される公演や展示は、どれも私の目で選んだものです。2年前にはじめて出会ったチームラボは、グランド・アールでの展示が始まったところですが、幸いにもすでに大きな話題になり、来場者が詰めかけています。宮城聰の『マハーバーラタ』は、まさに素晴らしいとしかいえない作品です。漫画の展示も、大勢の人々の関心に応えるものであり、たいへん楽しみにしています。こうした企画が実現できたのも国際交流基金というパートナーがあったからこそで、大変感謝しています。
 「ジャポニスム2018」は非常によく考えられ、練られたプログラムで、極めてよく設計された日本庭園のように繊細なものだと思います。私自身、ほかの作品や展示を発見できるのを心待ちにしているところです。

──今回のジャポニスムだけでなく、ディディエさんは勅使川原三郎、ダムタイプ、梅田宏明といった日本のアーティストを定期的にフランスに招聘されてきました。最初の日本との出会いはどんなものだったのでしょうか。

D・F:最初に日本を訪れたのは1991年か92年だったか、横浜駅を出たところにある伊東豊雄設計の「風の塔」(1986年竣工)を見に出かけたときでした。どうしても見に行きたかったのです。以前にクレテイユまで私を訪ねて来てくれたプロデューサーの佐藤まいみさんが、当時、神奈川芸術文化財団のプロデューサーをされていたので、彼女を劇場に訪ねました。そして、京都でダムタイプのメンバーにも会いました。このときは、横浜から京都に直接行ったので、なんと東京に寄らなかった。それはそれでちょっとした欲求不満になり、次こそは東京を訪ねようという原動力になりましたね(笑)。
 まあ、私の海外出張は3、4泊がせいぜいなので、どうしてもそういう駆け足のスケジュールになるのですが、たいていは友人たちが一人では行けないようなところに案内してくれます。ダムタイプのメンバーが京都をいろいろ案内してくれ、さらに私の誕生日を祝ってくれたのは今でもいい思い出になっています。

──今回のジャポニスムの会場になっているラ・ヴィレットは広大な公園の中に文化施設が点在しています。詳しく教えていただけますでしょうか。

ポロンスキ(以下、C・P):ラ・ヴィレットは、公営の屠殺場と市場(註:1867年にナポレオン3世の命でつくられ、1974年に営業を停止した)があった場所に位置しています。現在、メインの建物として使用されているグランド・アールでは、かつては生きた牛の売買がなされていました。全体で55ヘクタールの広さを誇り、うち33ヘクタールが緑地化されており、パリ市内で最大の公園になっています。夜間も閉鎖されることがなく、24時間訪れることができるのも特徴です。
 公園の開発計画自体はジスカール・デスタン大統領の時代に遡りますが、ミッテラン大統領が展開したグラン・プロジェ(Grands projets *2)の一環として設計コンペが行われ、スイスとフランスの二重国籍を持つスイス出身の建築家ベルナール・チュミ(Bernard Tschumi)が設計し、1983年にオープンしました。今年はオープンから35周年の記念の年にあたります。
 2015年にオープンしたばかりのジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)の設計によるフィルハーモニー・ドゥ・パリ(Cité de la Musique-Philharmonie de Paris)も公園内にあります。それに隣接して国立音楽舞踊高等コンセルヴァトワール(Conservatoire national supérieur de musique et de danse de Paris: CNSMDP)も立地しています。科学産業博物館などのある科学産業都市(Cité des Sciences et de l'Industrie)もこの公園内に位置していますが、これらはそれぞれ、私たちとは別の公施設法人(établissement public、日本の独立行政法人に相当するといえる法人格)が運営しています。このほかにも、コンセッション(営業権譲渡)方式によって、敷地内で営業している施設もあります。パリ市のパリ=ヴィレット劇場(Théâtre Paris-Villette)もあります。
 私たちの法人は、公園全体の管理、中心施設であるグランド・アール、サーカスの公演に使われるエスパス・シャピトー(Espace Chapiteau)、キャバレー・ソヴァージュ(Cabaret sauvage)という名前の円形の空間、そして広大な野外空間全体において開催される各種の公演やイベントを企画運営しています。ほかにも、ロックやポップスのコンサート会場として知られるル・ゼニット(Le Zénith)がありますが、こちらが先ほど言ったコンセッション方式をとっていて、来年、運営業者の契約が満了となるので、これから業者を選定するところです。

──ディディエさんが理事長になられてから舞台公演のプログラムがとても充実したように思います。

C・P:はい、舞台公演のプログラムが充実しましたし、加えて、子どもと家族向けのリトル・ヴィレット(Little Villette)ができたのも大きな変化です。以前も舞台公演はありましたが、公演数がとても増えましたし、そのおかげで来場者も増えています。リトル・ヴィレットでは乳幼児向け、子ども向けの公演やワークショップを水・土・日曜日に開いています(註:フランスの学校教育制度では水曜日を休日ないし半休日とすることが多い)。公演やワークショップの中には有料のものもありますが、原則として無料です。
 ベルナール・チュミは、ラ・ヴィレット公園の設計の際に、フォリー(註:folieはもともと主に17〜19世紀のフランスの貴族が、イタリア貴族の夏の離宮にならって、別邸の庭園の中に自らの楽しみと客人のもてなしのためにつくらせた建物のことをいう)と呼ばれる小規模な構築物を120メートルおきに設置しました。一部はカフェ、レストラン、救護室のために使われていますが、用途を定めていないものもあります。ラ・ヴィレットは、この公園にもともと存在していたこれらのフォリーと、ディディエが「欧州文化首都 リール2004」において創設した文化施設メゾン・フォリー(Maisons Folie *3)をモデルにした「ミクロ=フォリー」(Micro-Folie 後述)という小規模な文化施設を提案しています。

──ディディエさんは、ラ・ヴィレットの理事長に就任される前、モーブージュのル・マネージュ、クレテイユのメゾン・デ・ザール、リールの欧州文化首都とその後継事業の責任者を兼務されていた時期があります。

D・F:自然に任せた結果です。複数の役職を兼務するのはたいへんといえばたいへんでしたが、ダムタイプやレザ・アブドー(Reza Abdoh)のような、アンダーグラウンドで活動していて充分な公的助成を受けていなかったアーティストを招聘するには、非常に役立ちました。例えば、クレテイユで公演する前に、モーブージュで作品づくりのためのレジデンスをするといった使い方が可能だったので、フランス側で全面的に旅費や滞在費を負担して招聘することができました。長い間、国内で共同制作できる相手があまりいなかったので、兼務していることで複数の施設を使うことができたのは重要でした。今でこそ揺るぎない地位を獲得しているイヴォ・ヴァン・ホーヴェ(Ivo Van Hove)さえ、15年ほどの間、私のほかには誰もフランスで彼の作品を上演しようとせず、ツアーを組みたくても組めなかったんですから。

──ラ・ヴィレットの理事長は公募だったそうですが、なぜ応募されたのですか。

D・F:ラ・ヴィレットに移るまでは、一度も他の劇場のディレクターの公募に手を挙げたことはありませんでした。リール2004のディレクターになったときにも任命されたので、自分から応募するのはラ・ヴィレットが初めてでした。そもそもどの組織からも辞めるように言われたことがありませんでしたし(笑)。
 クレテイユも世界的に知られる舞台芸術の拠点になり、リールもうまくいっていたところにラ・ヴィレットの理事長ポストの公募があるという連絡が入り、応募を薦められました。リールでメゾン・フォリーという文化施設を展開したときも、ラ・ヴィレットのフォリーのことが念頭にありましたし、モーブージュで開催していたフェスティバルもレ・フォリー(Les Folies de Maubeuge)と名づけていたのですから、ラ・ヴィレットのことはずっと頭にあったと言ってもいいわけです。やれることはやった気がしていましたし、ひとつのところに一生ずっと居続けるものでもないだろうと思い、決断しました。
 理事長就任に際して、新しいスタッフを連れてくることはしませんでした。これまでもいつもそうしてきました。簡単なことではありませんが、一人ですべてをやれるわけではない以上、チームで働くことの重要性を認識し、他者に任せること、100%自分の思い通りにはならないことを受け入れることができなければなりません。
 ラ・ヴィレットのシーズン・プログラムは、アーティスティック・ディレクターのフレデリック・マゼリ(Frédéric Mazelly)と組んでいます。私が着任するよりもずっと前からラ・ヴィレットにいて、昔からの知り合いでもあります。プログラムしたいアーティストや作品のことを説明しても話が容易に通じますし、観客を驚かせることやリスクを負うことの重要性についても、ときにほかのみんなを一緒に説得するなど、二人でうまくやっています。
 スタッフにもそれぞれ個性があり、年齢も生活や仕事のリズムも違いますから、誰とでもうまくやるのは簡単なことではありませんし、全員が同じ考えを持つ必要もありません。それでも、全員が一体となって、同じ野心を共有し、同じエネルギーの流れの中で、同じ方向を目指して、ともに「遊ぶ」ことができる状態をつくり出すことは重要です。

──ラ・ヴィレットはかねてから現代サーカスの充実したプログラムで知られていましたし、ヒップホップ・ダンスなどのアーバン・カルチャーの紹介にも力を入れていたと思います。加えて、ディディエさんが就任されて以来、現代演劇やダンスのプログラムも飛躍的に充実してきました。2017年シーズンにはヤン・ファーブル、ロベール・ルパージュ、バルタバス、ピーター・セラーズ、アンジュラン・プレルジョカージュら、また、発表されたばかりの2018年シーズンにもアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ、シディ・ラルビ・シェルカウィらのフランダース勢に加えて、サーシャ・ワルツ、ディミトリス・パパイオアヌーらのビッグ・ネームが名を連ねています。ディディエさんは、ニュー・テクノロジーを用いたアーティストを多く起用してきた印象を受けますが、アーティストと作品を選ぶ際の基準について教えてください。

D・F:私が着任する前から、ラ・ヴィレットではフレデリック・マゼリが中心となって、ヒップホップ・ダンスに限らず、演劇とダンスの重要なアーティストを紹介してきました。ヴィレット・ジャズ・フェスティヴァル(Festival Jazz à la Villette)、ヴィレット・ソニック(Villette Sonique)など、以前から続いている企画は引き継いでいます。私がしたことといえば、変更すべきところを変更し、ちょっとした爆発物をそこにつけ加えたことでしょうか。
 必ずしもニュー・テクノロジーを使っていなければいけないということはありません。私の気に入ったアーティスト、好きな作品をプログラムしているというわけでもありません。イヴォ・ヴァン・ホーヴェ、レザ・アブドー、レ・シアン・ドゥ・ナヴァール(Les Chiens de Navarre、「ナヴァールの犬」という名前の演劇集団)なども、特にテクノロジーを重視したわけではなく、演劇といえば演劇なのですが、一種の「ヒステリー」、「狂気」の状態を引き起こすような演劇といえるのではないでしょうか。作品を見た後で、観客を動揺させ、居心地の悪さを、ときには怒りさえも感じさせるような作品です。ヴァン・ホーヴェにしても、はじめから私が彼の作品を「好き」であったかというと、微妙なところです。それくらい狂気に満ちていたのです。ヴァン・ホーヴェの『カルメン』をクレテイユで上演したときには、観客のほとんどが途中で席を立ってしまいました。『カルメン』ですよ。けれど、それはそれで美しいと思うのです。舞台の上で何が起きているのか分からずに多くの観客は戸惑います。簡単なことではありませんが、慣れていくしかないのです。
 観客を挑発したり、二分したりする以上に、驚きを与えることが重要だと思っています。そしてそのときには必ずしも理由が説明できなくても、議論にならなくてもいいのです。私がある作品に感動したときに、決して理路整然とその理由を説明できるわけではありません。私の隣の観客は私と同じように感動するわけでもなく、全然好きにならないかもしれませんが、そういうものなのです。
 若い頃、1980年代に見た、ジャック・ラングのナンシー演劇祭(Festival mondial du théâtre de Nancy)とアムステルダムのミクリ劇場(Mickery Theater)で開催されていたフェスティバルには大きな影響を受けています。ナンシー演劇祭ではラテン・アメリカ、ミクリではスカンディナヴィアのアーティストによる、これまで見たこともないような作品や美学に接して、本当に自分の根本から揺るがされる経験をしました。それが私の原点になっています。
 その一方で、リスクを負った作品だけでなく、安定した集客を見込める作品と組み合わせることも重要です。バルタバス/ジンガロ、アンジュラン・プレルジョカージュ、ロメオ・カステルッチの作品を上演すれば、客席がいっぱいになることは予想できます。それと同時に、まだ一般の観客には知られていない新進のアーティストを支援し、彼らの作品を観客に見てもらうことは、それ以上に重要です。これから表舞台に登場しようとしているアーティストは、経済的にもまだ不安定な独特の状態に置かれていることをよく考えなければなりません。
 演劇は、映画と比べても金のかからない、手工業的な芸術です。映画の場合には、完全な失敗は大きな痛手ですが、演劇であればそれほどではありません。演劇の方がリスクを引き受けやすい、実験を試みやすいのです。演劇であるからこそ、リスクを負うことを恐れてはなりません。

──ラ・ヴィレットの理事長に就任するにあたり、フランスのメディアによるインタビューに答えて、いくつかの大きな野心を述べておられましたが、国全体に責任を負う公設法人だからこそ可能になる全国的な展開について話されていました。ミクロ=フォリーがそれにあたるのでしょうか。

D・F:そうです。「欧州文化首都リール2004」に合わせて、メゾン・フォリーという名前の文化施設をリール市内と近郊に複数整備しました。このメゾン・フォリーとラ・ヴィレットに存在していたフォリーを融合させてモデルとした、より小規模なミクロ=フォリーを国に提案してきました。これは仮想現実(VR)を活用した展示施設(註:ヴァーチャル・ミュージアムとしてパリの国立美術館のコレクションを体験できる)、上演施設(註:展示施設は容易に上演施設・稽古場に衣替えできるようになっている)、ワークショップ施設(註:3Dプリンタやデジタル・ミシンなどを備える)、カフェ(註:飲食だけでなく、コンサート、映画上映会、舞踏会を開催できる)を併設した比較的小規模な複合文化施設で、すべての催しは無料で一般に公開されることになっています。すでに複数のミクロ=フォリーが国内だけでなく、アンスティチュ・フランセの協力も得て、国外、たとえばヤンゴンにもオープンしています。文化に接する機会に特に恵まれてこなかった地区に重点的に整備される予定です。2018年3月には、フランス文化省が全国に200のミクロ=フォリーを展開する方針を発表しました。ラ・ヴィレットがその計画の実施を主導することになっています。200施設というのは目眩を起こすような数です!

──リトル・ヴィレットも有意義な取り組みだと思います。ラ・ヴィレットはパリの19区にあり、パリ郊外のセーヌ=サン・ドゥニ県に隣接するという、やや特殊な場所に立地しています(註:パリはフランスの中でも最も平均所得の高い県にして市であるが、隣接するセーヌ=サン・ドゥニ県はフランス本土の中でも平均所得が低い県のひとつであり、様々な困難を抱えている)。こうした地域の人々に対する取り組みは他にありますか。

D・F:リトル・ヴィレットには、昨年、19万人の子どもが訪れました。リトル・ヴィレットは週末無料であることを原則としており、予約も不要です。分かっていただけると思うのですが、小さい子どもがいるときには、数カ月前から予定を立てられるものではないからです。
 私は公共サービスの理念を信じています。公共サービスとは、公衆に奉仕するものです。そうである以上は入場料金を低い水準に設定するのは当然のことで、パリにあるほかの国立劇場に比べても低い水準に抑えています。ラ・ヴィレットの公園自体が無料で常時開放されて、大勢の人が訪れる場所ですし、ほかにも夏には映画の野外上映を無料で行ってもいます。

C・P:地元の市民に向けた取り組みとしては、他に学校との連携が挙げられます。学校の子どもたちの団体(最大20人)には100ユーロのパッケージ料金(一人あたり5ユーロ)を設定しています。どんなに人気のあるアーティストの作品で、すぐに完売になることが予想できても、学校向けの座席は確保しています。学校からの予約は年間予約や一般予約よりもずっと早い段階で受け付けますから、完売必至の人気公演でも見ることができます。ほかにも、経済的に恵まれない人々のために活動している団体と連携し、劇場に足を運んでもらう機会を設けるようにしています。

──ラ・ヴィレットの予算や人員についても教えてください。

D・F:働いているスタッフの人数は210人です。公園の維持・管理にあたるスタッフも含めての数字なので、この規模に対して決して多くはないと思います。年間予算は4200万ユーロほどで、そのうち文化省からの助成金が2000万ユーロを占めます。

──以前に比べても活動の幅も広がり、量も増え、支出も増えていると思いますが、同時に金融危機以降の緊縮財政の中、助成金の増加は見込めない状況だと思います。入場料は相対的に低い水準ですし、どのようにして収支のバランスをとっているのでしょうか。

D・F:確かに予算は以前から大きく変わっていませんが、財政的に苦しいのはラ・ヴィレットだけではありません。どの文化施設でもそうです。幸いにもグランド・アールは客席数が多いので、客席稼働率を上げることで収入を増やすことは可能です。そして、今回の国際交流基金のような外部のパートナーを見つけることが重要です。

C・P:企業メセナもそうですし、グランド・アールを見本市などのイベントに貸し出して、得られる収入も無視できません。

──お忙しいところありがとうございました。 個人的な思い出ですが、最初にフランスに留学した1995年にクレテイユのメゾン・デ・ザールでダムタイプの『S/N』、96年にはロベール・ルパージュの『太田川七つの流れ』(Les Sept Branches de la rivière Ota)を見ました。どちらも大いなる感動を与えてくれた、その後の私の原点ともいえる作品です。クレテイユには何度となく通いましたし、「リール2004」と「リール3000」にも 足を運びました。そうした機会をこれまでつくってくださったことに感謝しています。
 
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