The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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Helen Medland
ヘレン・メドランド
Helen Medland

Tim Harrison
ティム・ハリソン
Tim Harrison



SICK! フェスティバル
http://www.sickfestival.com
SICK! フェスティバル
ジェローム・ベル Jerome Bel
1964年フランス生まれ。先鋭的な作品で知られるコンテンポラリーダンスの振付家。フランス国立現代舞踊センター・アンジェ(CNDC)で学んだ後、ダンサーとして活躍。94年から振付作品を発表。代表作は、ノン・ダンスとして物議をかもした『The show must go on』(2001年)。また、2012年には知的障害をもつ俳優たちが出演する『Disabled Theater』を発表。

ミロ・ラウ Milo Rau
1977年スイス生まれ。演出家、劇作家、ジャーナリスト、研究者、コンセプチュアル・アーティスト、映画制作者として多彩な才能を発揮。2007年にさまざまなアートの手法を介して歴史的事件を再現する「International Institute of Political Murder(IIPM)」を設立。作品に、1994年のルワンダ虐殺の一翼を担ったラジオ局の内部を詳細に再現した『Hate Radio』、中東やアフリカから地中海ルートでヨーロッパに移動する多くの難民達が命を落としている現状を検証した『Mitleid. Die Geschichte des Maschinengewehrs(同情─マシンガンの話)』など。
Presenter Interview
2016.5.9
SICK! Festival  Addressing the sicknesses we suffer from in today’s world 
現代社会に潜む病理に迫るSICK! フェスティバル 
現代社会に潜む病理やタブーに対して芸術的にアプローチすることを目的に2013年に創設された「SICK! フェスティバル」。隔年で開催され、医療関係者、社会学者、心理学者など専門家のアドバイザリー・グループと連携し、“SICK!”をテーマにした演劇、ダンス、映画、インスタレーション、ディベートなど多彩な催しを展開している。創設者は、実験的アート空間として過去20年以上にわたり重要な役割を果たしてきたブライトンの「The Basement」を立ち上げたヘレン・メドランド(SICK! フェスティバル芸術監督)とティム・ハリソン(同企画開発ディレクター)の二人だ。2016年3月に開催された「SICK! LAB」(フェスティバルが開催されない偶数年に開かれている実験的な催し)を取材するとともに、フェスティバルを立ち上げた思いについて二人にインタビューした。
聞き手:岩城京子[ジャーナリスト]

──取材を始めるにあたり、おふたりの主な職務について教えてください。

ヘレン・メドランド(以下、HM):雑務からプログラミングに至るまで、フェスティバルのあらゆることを私とティムと、もうひとりのシオバン・ハーウッドという若い女性で回しています。なので、職務配分はあってないようなものです、ただざっくりとした配分はあって、演劇、ダンス、ビジュアル・アート、ライブ・パフォーマンスなどの作品を世界各地で見て、芸術関連プログラムを決定するのは私の責任。ディスカッションやディベート、レクチャーなど、よりアカデミックな人たちに関わるイベントはティムが担当しています。

ティム・ハリソン(以下、TH):ヘレンとは7年ほどの付きあいになります。頭のつくりが全く違うけれど、互いに足りないところをうまく補完しあえているように思えます。また同じような作品を好む傾向があるので、うまくやっていけるのだと思います。

HM:私はノーフォークの小さな海辺の町に生まれて、14歳で家を追い出されて、教育システムから落ちこぼれた。看護婦や清掃員としても働いたこともあって、ティムとは育ちが違う。

TH:私は穏やかで快適であたたかな中流階級の家庭で育ち、その後、芸術史の勉強のために大学に入学しました。19世紀の芸術、宗教、科学分野にまたがる博士号を取得しました。恵まれた環境で育ったことは自覚していますし、感謝しています。

──SICK! フェスティバルを立ち上げるまえから、お二人は共に仕事をされてきました。02年には、ブライトンにザ・ベースメントという劇場施設を共同創設されています。ここは当初はフリンジ作品を紹介する小規模な地元組織として運営されていましたが、急速に発展し、国内のみならず国際的にも評価を得るクリエイション・センターとしての地位を確立しました。

HM:ザ・ベースメントでやりたかったことはただひとつ。ブライトンに高品質な実演芸術を提供する空間をつくりたかった。初志貫徹して、9年にわたり、私たちは国内外の作家を招聘し、地元作家たちを40人ほど支援することに成功しました。後者に関しては、ザ・ベースメントに事務所スペースを提供し、作品制作から上演に至るまで、創作に必要なあらゆる工程をバックアップしました。建物の150年間の借用権を獲得したので、こうした支援ができる施設を長期間にわたって物理的に確保することはできましたが、欠点がひとつあって、施設がとても小さかったんです。かつて地元新聞の印刷所として利用されていた廃屋ビルの地下を改装してつくったので、天井高が2.5メートルしかなくて、収容人数も100人ほどだった。それでも私たちのプログラミングはとても野心的でした。
 年々、私たちはより規模の大きな演目を上演したいと思うようになっていたものの、限られたスペースであらゆることを賄っていました。2010年頃から、SICK!のもとになるようなプログラミングをはじめてもいました。また2011年頃からは、ザ・ベースメント以外にも空間を借りてプログラミングを始めるようになりました。ちなみに私たちは空間の狭さとともに、客層の狭さにも窮屈さを感じるようになっていました。ザ・ベースメントに来てくれるお客さんの多くは、中流階級の教育された人たち。どのイベントにも同じ知り合いがいる。私たちは社会を構成する他の層の人びととも対話したいと思うようになっていきました。

TH:ザ・ベースメントを通して素晴らしいネットワークを築けたことは事実です。でも私たちは小さなアート業界よりも大きな世界で生きているはずです! 作品的にも、かなり自分本意なものが多いことに私たちは気づいていました。芸術界で生きていくために必要な本は全部読みました、という作品が多かった。でもそのような作品は、現実問題に切り込んでいくことができなかった。

HM:これはブライトンだけにとどまる問題ではありません。たとえば横浜のTPAMにも参加しましたが、そこでも同じ現象を目にしました。ものすごい閉鎖社会。「他の人たちはどこにいるの?」「なぜ私が育ってきたような環境で暮らす人たちはいないの?」と。どこでも同じような性質の人ばかりに会うことに、私は本当に息苦しくなっていきました。私たちを心底ワクワクさせてくれたのは、この世界で本当に大事な、逼迫した事態について迫る作品群なんです。

──それで2013年にブライトンでSICK!フェスティバルのパイロット版を始めたのですね。

HM:そうです。私のなかではもはや芸術界から身を引くか、この閉鎖社会の突破口になるような何かを始めるか、二者択一の問題だった。ですからフェスティバル設立の動機は、とても個人的なものであると同時にとても切迫したものでした。
 その頃、私がプライベートで経験したできごとも、キャリア選択に大きな影響を及ぼしたと思います。2010年から14年にかけて、とても多くの死を目の当たりにしました。まず母が亡くなり、それによって家族にまつわる隠された事実が明らかになった。加えて自分と同年代の近しい男友達が立て続けに4人も自殺した。その頃ずっと、ティムと「なんでアートではこういうことが話される機会が少ないの」「生き死にの問題について、もっとアートは踏み込むべきじゃないの」と話していました。

TH:そうした辛い体験を何も味わわずに生きてける人なんていない。程度の差こそあれ、誰しもそういう経験はある。そのためか、たったの予算2万5,000ポンド(約400万円)で2013年に立ち上げたザ・ベースメントでの小規模なパイロット版フェスティバルでは観客が爆発的に増えました。「コンテンポラリーダンスをやります」、「現代演劇を上演します」ではなく、「こうした問題や、ああした社会事象について語ります」と宣伝した途端、信じられないほど多くの様々な背景の人びとが、私たちがやっていることに興味を持ってくれた。その変化はポスト・パフォーマンストークに顕著に表れていました。かなりの人が個人的なコメントや質問を携えてディスカッションに参加してくれた。

HM:例えば、一昨日、「SICK! ラボ」(2016年よりフェスティバルの開催されない偶数年に開催されている、より小規模な4日間のイベント)の一環として上演されたブライオニー・キミングスによる鬱病にまつわるパフォーマンス『Fake it Till You Make It』の後には、7割を超える観客が残ってくれて、しかもそのうちの7割は男性だった。かなり熱心に、1時間以上、出演者であるブライオニー・キミングスとティム・グレイバーン、そしてサセックス大学の上級講師ベン・フィンチャムと共にトークに参加してくれました。

TH:しかもSICK!のポスト・パフォーマンス・トークは、アーティストが一方的にしゃべるだけじゃない。全員対等にトークに参加し、観客の体験談をみんなで分かちあっているんです。

HM:そうです。だから涙ながらに話す人もいるし、励ましの言葉があちこちで交わされる。私自身、“生存者(サバイバー)”だからわかりますが……。サバイバーという言葉は日本でも使いますか?

──意味は伝わりますが、“経験者”“体験者”という言葉の方を使う方が多いかもしれません。

HM:こういう言葉は、その国の皮膚感覚によって表現が違うので繊細に扱うべきかもしれませんが、いずれにせよ、私自身がサバイバーだから、同じようなことをくぐり抜けてきた人の話を聞くことがどれだけ心の支えになるかよくわかっている。「私は普通なんだ」と思うことができる。同じようなことをくぐり抜けて、私を理解し、サポートしてくれる人がいるということを実感できるんです。

TH:2013年のパイロット版フェスティバルを開催したとき、特に印象に残っているのは、トーク終了後に劇場のバーにまで降りてきて、私たちに話しかけてきてくれる人が多かったこと。それに、観客同士も熱心に話し合っていて、お互いに泣いたり、ハグしたりしていました。間違いなく、そこにはある種の“コミュニティ(共同体)”が誕生していました。

──昨夜、私が見たリア・ハーリー作・演出による『アンタッチャブル』というワーク・イン・プログレスでも、同じような共同体が誕生していたように思います。家庭内暴力を受けたことがありますか、性的暴力を受けたことがありますか、アルコール中毒者が家族にいたことはありますか、薬物中毒者が身近にいたことはありますか、という言葉を舞台上の彼女が淡々と放つ。そして一つひとつの言葉の後、間を置いて、彼女が手を挙げる。そうすると、別に観客に対して挙手を促しているわけではないのに、客席にいる人たちが率先して手を挙げていった。相当、人前で表明するのが難しい内容であるにもかかわらず、ほとんどの人が臆さずに参加していたことに驚かされました。

HM:まさにあれがSICK!の共同体感覚です。リアの言葉に、観客が率先して応える。一人、また一人と手を挙げていくことで、その場でなんらかの“絆”が生まれていく。全員がそこにいる全員に対して「あなたは大丈夫だから!」と、励ましの言葉をかけている感覚が生まれるんです。

──ロンドンや東京のいわゆる商業劇場では、あまり体験できない感覚でした。普通の演劇の客層とは違う人たちが、あそこには集っていたように思えました。

HM:ええ。SICK!の客層は、他の多くの芸術フェスティバルとはかなり違うと思います。アンケート調査によると、観客の半分はアートへの興味から、もう半分は健康福祉への興味から集まってきています。また、このフェスティバルに参加する人たちは、皆なにがしかの個人的体験を携えて劇場に足を運んでくれています。私たちが掲げるフェスティバルの主題に、何らかのかたちで共鳴できる人たちが来てくれる。そうすると、面白いことにアーティストも観客も対等な関係になるんです。全員、そこにいる誰かを支えたい、助けたい、と思って参加しているからです。
 例えば、一昨日行われた「SICK! Couch(ソファ)」という自由参加型のトークイベントでは、ある鬱病の娘を抱えたお母さんが、その悩みについて話されていました。それに対して、話しを聞いていた人たちが自分たちの知識や経験をシェアしてくれた。学者や医療関係者などの専門家だけでなく「私にも同じような娘がいる」という一般の人まで、話し合いに積極的に参加してくれた。こういう対話って本当にいいな、と思いましたね。商業劇場ではあまり体験できない共同体がそこにはありました。

TH:過去数年のSICK!を介して、どれだけ多くの「専門家」と呼ばれる人たちが、かつては病気の当事者だったかということを知りました。専門家はこっち側にいて、被験者や患者はあっち側というように単純な線引きはできないんです。

──SICK! フェスティバルの予算について教えてください。

HM:2013年のパイロット版フェスティバルの予算は、先ほどもお伝えしたようにたった2万5,000ポンドでした。その成功を踏まえて、翌年度の予算額は桁が一つ増えて、22万ポンド(約3,400万円)になりました。2015年度にはマンチェスターにフェスティバルが拡大したこともあり、さらに予算が増えて40万ポンド(約6,400万円)を確保しました。あくまでも一例ですが、2015年度の総予算はウェルカム・トラスト、英国アーツ・カウンシル、ブライトン&ホヴ市議会、ブライトン大学CUPP(コミュニティ大学パートナーシップ・プログラム)、マンチェスター大学、ロディック・ファンデーション、フィルム・ハブ・サウスイースト、から助成金を得ました。ちなみにこの予算額の上昇線に比例するように、当初2,200人だった観客動員も、2015年度には3万2,000人にまで拡大しました。

──昨晩の「SICK! ラボ」では、植物状態の患者の死を「いつ、いかに認定すべきか」という議題について、演劇作家であり、マンチェスター大学中央病院NHSセンターで終末医療に携わるトゥヒーン・フダがディスカッションしていました。普通に劇場運営しているだけでは、ターミナル・ケアの医師や学者、医療関係者、慈善団体関係者に接する機会はほぼありません。フェスティバル設立当初、どのようにしてこのような専門家と知り合っていったのでしょうか。

TH:まずは膨大な量のリサ―チをしました。そのリサーチをもとに、フェスティバルのテーマに関与すると思えるスペシャリストにコンタクトをとり、そこから徐々にネットワークが広がっていきました。あらゆるグループの人びとに、私たちは紹介されました。また自分たちが扱う主題が広がるに連れて、人脈も自ずと広がっていきました。医療から始まり、心理学者、社会学者、遺伝学というように……。

HM:今ではマンチェスター大学メディア・カルチュラルスタディーズ学部教授ジャッキー・ステーシーと、ブライトン&サッセックス・メディカル・スクール臨床生物医療倫理学教授ボビー・ファーサイズが、フェスティバルに関わってくれるようになりました。彼女たちはすばらしい学者であり、講演者であり、膨大な知識によって私たちを支えてくれています。

TH:2013年度のテーマは「思春期、心の病、老い、死」でした。そのとき私たちは、全トピックをカバーできる学者をまずひとり探しました。論点が分散しないという意味で、これはこれで良かったのですが、最終的にはそのひとりの学者の友人、知人によって参加者が固められることになり、少しばかり議論が多様性に欠けた。
 そこで「セックス&セクシャリティ、暴力、自殺」というテーマを掲げた2015年度では、性医療関係者、元性産業労働者、そして心理学、ジェンダー・スタディーズ、社会学など異なる分野の学者からなるアドバイザリー・グループを編成しました。異なる観点からテーマに切り込んでいくことができて、この試みは成功しました。そこからネットワークがどんどん広がっていきました。また2015年にはフェスティバルがブライトンとマンチェスターの2拠点に発展したこともあり、さらに人脈が広がりました。ですから今では、法学、心理学、社会学などの教授から、生物学医療関係者まで、有り難いことにあらゆる必要な専門家と交流が持てています。

──それほど多彩な背景を持つ専門家が、ひとつのテーブルを囲むという議論は、学会でもあまり見られません。

HM:ええ、ですから何が面白かったって、アドバイザリー・グループの十数名が初めて集まった日、大学教授からアーティストに至るまで誰もが平等にワクワクしていると同時に不安を感じていたこと(笑)。いつも自分が付きあう業界にはいない、全く異なるフィールドの人間と話さなければいけないわけですから。全員、とても緊張していました。

TH:同時に、誰もが謙虚に、寛容に他者に対してふるまっていました。たいがいの学会では「この分野の権威は私です」という人が中心に鎮座していて、他の人はあまり自由に発言できない事態に陥ってしまうことが多い。でも、SICK!では、昨年のクリスマス頃、2017年度のフェスティバルに向けたミーティングを開きましたが、そこに参加した社会学者、人類学者、哲学者、遺伝学者、精神分析医、アーティストなどは誰もが平等に意見し、民主的に他者の意見に耳を傾けていました。その自由な話し合いの場から、次第にトピックがまとまり、2017年度のフェスティバルはアイデンティティとトラウマにフォーカスする「私を私にするのは、何か?」というテーマで開催することが決定しました。

HM:こうした専門家が集まる場で、私は常にあるひとつのルールを遵守するようにしています。そのルールとは“ひらたい言葉で喋ること”。確かにアドバイザリー・グループに参加する人たちは、各々の専門性によってその場に呼ばれています。けれど、私たちは学者ではありません。私たちが知りたいのは専門的知識だけじゃないし、個人的体験談も聞きたい。そこで、そこにいる人が誰も「除け者にされている」と感じないで済むよう、「これ以上ないくらい、簡素な言葉でしゃべってください」とお願いしました。私のようにアカデミズムの蚊帳の外にいる人間からすると、学者の話すことは、大抵ちんぷんかんぷん。「ぎゃー、何を言ってるの!」と叫びたくなる(笑)。でもこのルールを適応した途端、誰もが平等な立場で話し合いに参加できるようになります。

──身体的、心理的、社会的な病についてのフェスティバルを開催する際、付随して浮上してくる「倫理問題」についても伺いたいと思います。例えばレイプについてのパフォーマンスやトークを行うとき、その表現がある種の倫理基準を満たしていないと、被害者にセカンド・レイプのような体験をさせてしまう恐れがあります。こうしたかなりデリケートな対応を要する問題については、専門家の意見を仰いだりするのでしょうか。

TH:ええ、もちろんです。あらゆる専門家と話し合い、どのように観客をサポートできるかを考えます。アドバイザリー・グループの話し合いは、テーマを深く追求するためだけでなく、そのようなデリケートな問題をすべてクリアにしておくためにも行われているのです。

HM:例えば「自殺」について話すと決めたなら、自殺専門のアドバイザリー・グループを組み、どのような言葉遣いをするべきかという問題から取り組んでいきます。またイベント当日には、自殺にまつわる慈善団体の人たちにも協力を仰ぎ、不安に感じた参加者がいつでもその慈善団体のTシャツを着た人たちに話しかけられるようにしました。フラッシュバックするような事態になっても、きちんとサポートできる人が常に会場にいるようにしたんです。ただ、ひとつ断っておく必要がありますが、実際のプログラミングには彼ら専門家は関与していません。どのようなアーティストを呼び、ディスカッションを行うかということに関しては、私とティムが部屋に缶詰になり、ふたりで決めています。

──年度ごとのテーマは、どのように決定されるのでしょうか。
TH:すでにテーマを決めた上で、人に会いに行ったり、フェスティバルの視察に向かったりするわけではありません。いろいろ見て回ってる間になんらかのテーマが浮き彫りになってくるという感じです。

HM:あと、旅先で出逢う人たちと交わす会話も大切です。例えば、このあいだ日本に行って、初めて自殺率が非常に高いことを知りました。そうしたことは、日々のニュースから知ることはできない。実際に現地に赴いて、いろいろな人と話すうちにわかってくること。芸術関係者だけではなく、タクシーの運転手さんであったり、飲食店で働く人だったり。そういう“生身の人間の声”をすくい上げて、フェスティバルのテーマを決めることが、私のような生い立ちの人間にとっては大切なんです。

──冒頭で、お二人の育ちはずいぶん異なるというお話がありました。SICK!フェスティバルの設立契機とも深く関わっていると思うので、それぞれの生い立ちについて、もう少し詳しくお話しいただけますでしょうか。

HM:難題ですねえ……。なるべく簡単に私の半生について説明すると、すべては私が11カ月のときに両親が離婚したことから始まります。父は、母の大親友と駆け落ちしたんです。その後、看護婦だった母は、幾人かのパートナーを経て、私と4人の姉妹の父親となる男性と再婚しました。後にわかることですが、義父はアルコール中毒で、日常的に母と私に暴力をふるっていました。その後、最初に話したように、私は14歳のときに家から追い出された。それで薬物に手を出してしまったんです。その頃、6人の友達をヘロインの過剰摂取と乱用で亡くしました。それで、19歳頃だと思いますが、看護の仕事を始めました。特別な理由はありません。母も姉妹もみんな看護師だったからです。ただ働きはじめてわかったのは、当時の私は人の世話をする仕事が全く向いていなかったということ。私自身、いろいろと心の病を抱えていたこともあるでしょう。とにかく、看護師は私にとっての良いキャリアパスではなかった。
 どんな仕事であれ、好きでなければ上手くならない、というのは誰でも知っている事実です。そこで約2年半後、看護の仕事を辞めて、私の人生で最も美しい存在である娘を授かりました。彼女の父親との関係は長続きしませんでしたね。母から受け継いだ遺伝でしょうか。それで……5〜6年前に、長年、認知症と鬱病を患っていた母が亡くなりました。母の葬儀で親族と話すうち、義父は性的虐待を私だけではなく母にも繰り返していたことが判明した。以後、私も鬱病に悩まされるようになりました。また、これはそれまでの人生で全くなかったことですが、自殺を考えるようになりました。その頃、友人が何人も自殺したことも関わっていると思います。ただ私は素晴らしいカウンセラーに出会ったことで救われた。今でも苦しんではいますが、鬱病との付き合い方を学んだ。昼間、こうして仕事をしているときは、隅っこの小さな箱のなかにいなさい。夜になったら、飛び出してきて私を食いちぎっていいから(笑)、ってコントロールできるようになった。
 そんな人生のなかで、私は音楽業界にも携わるようになっていました。無政府主義インディー・パンクっていうんですか。「何か叫びたいことがある」人たちが集まるレコーディング・スタジオで仕事を始めました。70年代のイギリスですから、誰もがなにかに怒っていた(笑)。特に音楽に興味があったか、と聞かれると正直わかりません。ただ、私は子供の頃からいつも政治に興味を持っていて、いつも社会で起こることについて問い続けていた。自分の人生で起こった様々な苦難が、私をアートに向かわせたのだと思います。次はティムの番ね。私とは全然違う、アカデミックな生い立ちだから面白いわよ。

TH:確かに自分の人生は、ヘレンとは全然違う。まず二十代前半のとき、大学院で19世紀の宗教、芸術、科学を科学と人文学の双方から分析する博士号を取得しました。その頃、僕も心を患い4年間カウンセラーなどに通っていましたが、ヘレンがくぐり抜けてきたこととは比べものにならない(笑)。意志薄弱なせいで酒浸りになり、うまくいかない人間関係に悩んでいたわけですから、全部、自分のせいです。確かに人は誰しも大なり小なり心の病を抱えています。心の病のグラデーションのどこかに位置づけられて生きている。でもヘレンの話を聞く度に、とてつもなく巨大な悲劇に見舞われた人間については、全く別問題として考えるべきだと思います。
 その後、当時付き合っていた女性の影響でパフォーミングアートに興味を持つようになり、卒業後、その関係の仕事に就きます。05年から08年までは、ブリストルで当時かなり実験的なプログラムを組んでいたアーノルフィーニという施設でライブ・アート&ダンス・コーディネーターとして働きました。08年から09年まではアーツ・カウンシルで、ライブ・アート&ダンス・オフィサーとして働いたりもしていました。そして2009年にヘレンと出逢いザ・ベースメントに参加しました。ヘレンと僕は、確かに違います。ただ好きなものは一緒。表現の仕方が違うだけです。

──そんなお二人がプログラムを組む際に、採用している評価基準があったら教えてください。

HM:まず、質が高いこと。そして素晴らしい作品ならではの深度があること。
TH:フェスティバルが掲げるテーマを取り除いて考えても、作品が芸術的に国際基準を満たしていること。この国では、いわゆる「セラピー・アート」と呼ばれる芸術表現が盛んです。でもこれらの表現は基本的に芸術性よりも行為そのものの意義に重きが置かれる。それは素晴らしい試みだと思いますが、私たちは少し違うスタンスを取っています。つまり幅広い観客が納得できる一流芸術作品を選んでいるのです。

HM:例えば、「私を私にするのは、何か?」という主題で開催される2017年のフェスティバルには、ジェローム・ベル、ミロ・ラウ、イ・ヨンジンが参加することが決まっています。

──2014年にはベルリンを拠点に活動するGob Squadの『Before Your Very Eyes』を招聘しました。ここでは8歳から14歳の子供たちがマジックミラーで四方を仕切られた舞台空間に上がり、早回しで老人になっていくさまを描きます。なぜこの作品を「Sick(病)」に特化したフェスティバルで取り上げようと思ったのでしょうか。

TH:あの作品を招聘するかどうかでは、かなりヘレンと議論になりました。最終的に、ヘレンの強い思いに私も同意しました。

HM:あの作品は、老い、社会、思春期といった問題について語っています。つっけんどんな社会派演劇としてではなく、芸術的な質を保ったままで。だから絶対に呼ぶべきだと思いました。
TH:あの作品以後、私たちの考えるSICK!フェスティバルの概念は、間違いなく拡張されました。

──最後の質問です。ショッピングから政治まで、あらゆることが「病的である」と表現することができる現代で、どのように「Sick(病)」の概念を規定しているのでしょうか。

TH:私たちは「Sick」という単語の曖昧さが気に入っています。ただ、一つ言えるのは、あらゆる病は個人と社会との関連性で生まれてくるということ。二つの領域は不可分です。例えば家庭内暴力によって引き起こされる心の病は、貧困という社会的な病と明らかに繋がっています。また「Sick」という単語は、ある意味、社会の道徳観念も規定します。少し前までこの国では同性愛は病だと見なされていました。つまり私たちが病だと規定するものの多くは、自分たちが健全な社会から排除したいものなんです。

HM:私たちは意図的に、私たちが社会から排除しよう、見ないでいよう、話さないでいようとするものをプログラムに選びます。怖がらないで自分たちで「問題の舵を取りましょう」と提案している。現代人は、あらゆることを怖がって生きています。環境、病気、食べものが怖い……人工甘味料が施されたピーナッツを食べたら死ぬんじゃないか、と本気で怖がっている(笑)。でもその怖いと思って排除しているものの根幹を見つめて、愛してみたら、少しは人生が楽になるかもしれない。

TH:フェスティバルには、悦びに満ちたハレの日という意味がありますよね。そんな言葉に私たちは「病」という単語をくっつけた。つまり「SICK! フェスティバル」という概念自体がパラドックス(矛盾)なんです(笑)。

HM:そう。そして矛盾しているからこそ、面白いんです。
 
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