The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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梁丹丹
Profile
梁 丹丹氏
Ms. Liang Dandan

1983年生まれ。蓬蒿劇場の共同創設者兼クリエイティブ・ディレクター。首都経済貿易大学の広告学科を卒業後、広告会社勤務を経て、2008年に王翔と共同で蓬蒿劇場を設立。劇場を経営するとともに、舞台作品のプロデュース、演劇関連のフォーラム、芸術祭の企画やプロデュースを担当。プロデュースした主な舞台は『私はカモメ』『ソウル・キッチン』、主な芸術祭は「南鑼鼓巷演劇祭」「第1回北京国際一人芝居演劇祭」「中日現代舞踏フォーラム」など。

蓬蒿劇場
Penghao Theatre
http://penghaotheatre.com/
蓬蒿劇場
Presenter Interview
2013.8.23
Beijing’s experimental theater, the challenge undertaken by Penghao Theatre 
北京の実験劇場 蓬蒿劇場の挑戦 
共産党政権下の中国では文化芸術も政府の管理下に置かれ、政府系の芸術団体による活動が行われてきた。しかし、1990年代以降、改革開放政策により状況が大きく変化。特に北京オリンピックを目指した2000年頃からは国際文化都市を謳い、外国作品の上演が増えるとともに、インディペンデントのアーティストによる民間での演劇活動が盛んになる。「九個劇場」「繁星戯劇村」など一般に開放された小劇場も増え、学生による演劇や娯楽的な作品が数多く上演されている。その中で、実験的な演劇の拠点として注目されているのが、2008年にオープンした「蓬蒿(ポンハオ)劇場」だ。若者向けのカフェやショップが並び、北京の新名所になっている南鑼鼓巷。その路地を入ったところに民家をリニューアルした蓬蒿劇場はある。中国ではほとんど例がない個人経営の劇場であり、オーナーの王翔さん、梁丹丹さんが「実験演劇のゆりかご」とすべく運営。劇場のクリエイティブ・ディレクター兼プロデューサーの梁丹丹さんにお話をうかがった。
聞き手:多田麻美[ライター]

民家をリニューアル

──北京でほぼ唯一といっていい個人経営の小劇場ですが、どんなきっかけで劇場経営に興味をもたれたのですか。

 理由は簡単です。二人とも演劇に興味があり、演劇が好きだったからです。北京では劇場は増えていますが保守的な作品や娯楽的な作品ばかりで、真のクリエイターに残された空間はほとんどありません。このことは、北京の現代舞台芸術界にとってとても重要な問題になっています。それで、劇場をつくって、創造するための空間の不足を少しでも解消できればと思いました。
 以前、王翔は「劇場をつくったのは心の恐怖と虚しさに抗うためだ」と話していたことがあります。つまり、蓬蒿劇場のような場所や空間をつくることによって、彼は多くの人と言葉を交わすことができ、その存在を感じることができる。彼は、劇場が交流や情報交換の場になることで満足できるのだと思います。そこが、私との劇場に求めているものの違いで、彼は、劇場、演劇、社会の三者の関係に重きを置いています。つまり演劇を通じ、どのように社会のさまざまな人に影響を与え、彼らを感化し、彼らに演劇を通じて心が洗われたような体験をさせるか、ということに関心があるのだと思います。

──王翔さんは歯科医師として仕事をしながら、同時に劇場経営もされているそうですね。
 ええ、診療所を3つ抱えています。彼は中国大陸で初めての、デンタル・インプラント専門の大学院生でした。大学の外国語の授業で日本語を学んでいたので、日本にも深い思い入れがあります。

──蓬蒿劇場についてご紹介ください。建物は民家をリニューアルしたもので、ゆったりと座れば80席、最大でも100席の小劇場の他に、喫茶店、屋上スペースなどがあります。
 全体をまとめて一つの空間です。ここは、かつて民家、つまり人が住む家でした。なので、他の劇場と違ってみんなの「家」という感じがあります。「家」とは、テーブルや椅子、そして食べ物や飲み物があって、人が正常に生活できる場所のことです。普通の「家」との違いは、中にパフォーマンス空間がある点ですが、それもここの生活空間としての根本的な特性を変えるものではありません。この大前提さえ守れば、創作するにせよ、仕事やおしゃべりをするにせよ、リラックスするにせよ、どんなスタイルで利用しても構わないのです。この特性は参加者が劇場で活動するときの大前提になっています。そのことが、公共の空間で合作パートナーなどの他者とどのように関係を持てばいいかのヒントになっています。

──予算について教えていただけますか。
 劇場の運営費は毎年異なりますが、年間200万元(日本円で約3,300万円)前後です。ここで上演される規模の公演なら製作費は1本4万から8万元ほどでしょうか。もっと少なくてもできますが、やや凝ったつくりの演劇ならだいたいそれくらいかかります。ここで活動しているのは主にインディペンデントの小さな演劇団体で、芝居の数は50本ほど、上演回数は計240回前後です。
 しかし、運営費の3分の1は、王翔の持ち出しに頼っている状況です。中国では文化芸術を振興するための法整備が進んでおらず、劇場とは社会の多くの人が擁護してこそ存在できるものだという認識がないため、自力でやるしかありません。でも王翔はすでに60歳で体調も万全ではありません。資金の問題を解決するため、彼は家を1軒売り、もう1軒も抵当に入れました。私費を使い果たすまで続けるという覚悟はありますが、健全な運営スタイルとは言えません。しかし、この劇場の規模では商業的に公演を成立させることは不可能です。公のサポートがなければそもそも無理なことをしているので、常に危機感があります。
 今年は劇場をオープンして4年目ですが、今後は若い世代のパワーでこの劇場を維持していかねば、と考え始めているところです。


国際的な交流の場に

──蓬蒿劇場の主催により2010年から毎年開催されているのが、演劇フェスティバル「南鑼鼓巷演劇祭」です。南鑼鼓巷周辺の8つの劇場を会場にしていて、今年も5月頭から7月末にかけて行われました。その一環として日本からはコンテンポラリーダンスの山田うん、インストゥルメンタル・バンドのサンガツ、演出家の佐藤信が公演やワークショップを行いました。

 このフェスティバルは、少しでも多くの人々を劇場に誘い芸術に触れてもらうこと、北京で創造性の高い活動を広く展開することを目的にスタートしました。中国国内はもちろん、海外の作品を紹介することで国内外の演劇関係者の多元的な交流を図っています。
 今年は、実験演劇、ダンス、伝統劇、音楽、詩の朗読などを含む39演目を上演しました。演劇が6〜7割で、その他、ワークショップ、レクチャー、会議、フォーラム、フィルム上映など、幅広いプログラムです。劇団が劇場を有料で借りて上演するものと、チケットの売り上げをシェアするものがありますが、基本的に蓬蒿劇場が無償で芸術家をサポートしている形です。オーガナイズの面でやや問題があるので、今後は、どうすればもっと独立した形でこの演劇祭を運営できるようになるか、試行錯誤していくことになるでしょう。

──山田さんやサンガツの公演はいかがでしたか。
 山田さんについては、病による強い激痛を身体に抱えながら上演されていて、たいへんな意志の強さを感じました。サンガツについては、15年近くも日曜日ごとに練習をしてグループ活動を続けているとのことで、とても団結力があると思いました。いずれも演じられた世界観は、日本人だから分かるというものではなく、非常に開かれたものです。日本のアーティストには自分たちなりの価値観、世界観、人生観があり、どのように生き、自らの創作を行うかを自分で決定できる。この点について、中国のアーティストはもっと考えてみる必要があると思いました。
 また、中国は経済的にはどんどんと強大になっているようなのに、なぜか、暮らす人々は少しも幸福そうに見えない。商業社会の中で、人はみな疎外されているのです。その点に関して、芸術、あるいは劇場にできることがあるかもしれない。これについても中国のアーティストは考えてみるべきだと思います。

──フェスティバル以外でも日本のアーティストの公演は行われていますか。
 桂勘さんもワークショップに来ています。私たちが意図したわけではありませんが、劇場が出来てから自然に日本のアーティストが来る機会が増えました。彼らからは、全体的に「粛然と襟を正したくなるような」アーティストだという印象を受けます。そのことが、彼らを日本から呼ぶ際の基本的な理由になっています。というのは、彼らの個人的な行為や芸術に対する一種の態度を通じて、私は中国のクリエイターや観衆に影響を与えたいと考えているのです。公演を観たあらゆる人が、程度に差こそあれ、何かを学びとって欲しいと思っています。
 日本のアーティストを呼ぶもう一つの理由は、どこで生活していても芸術活動を行うのは楽ではないということを、中国の人々に理解してもらいたいからです。日本人のアーティストにもとても大きな生活のプレッシャーがあり、ほとんどの人が仕事をしながら芸術活動を行っていますが、それでも実に驚異的な作品を作り出しています。また、彼らがここに来て、私たちのスタッフと交流することにより、日本社会の安定ぶりや、アーティストとしての教養に触れて欲しいとも思っています。そして、最終的には中日の交流によってお互いが刺激しあえるようになれば素晴らしいです。西洋のアーティストとも交流していますが、やはり日本の方が精神面で通じ合うものがあるので、もっと強い興味があります。

──梁さんのように日本の舞台芸術の紹介に熱心で、実際にアクションを起こしている人は他にいらっしゃいますか。
 私が知らないだけかもしれませんが、実際に目にする日本関連のイベントも少ないのであまりいないのではないでしょうか。実は、今年の山田うんさんの公演は、日中の政治的関係が悪化してから初めて上演許可が下りたものでした。解禁されたような感じがして、北京の関係者も興奮していました。
 そもそも芸術は政治とは切り離して扱うべきで、アーティストや劇場も政治と距離を置くべきだと思います。まったく関係を断つというのは無理かもしれませんが、芸術表現は時勢で変わる政治より高みにあるべきです。本当の芸術に、国の違いによる溝や隔たりがあってはなりません。仮にそうなったとしても、いずれは正常な状態に戻らなければならないのですから、そんなものは時間の無駄です。私は、自分の活動を通じて、そうした芸術に携わっているアーティストとは何かを一般の人々に知ってもらいたいと願っています。

──フェスティバル以外で、海外のアーティストと共同制作するような国際プログラムはありますか。
 スウェーデンの演出家マティアス・ラフォリー(Mathias Lafolie)と行っています。彼は中央戯劇学院(注:舞台芸術全般に関わる人材を育てるための演劇芸術大学)の客員教授なので、毎年、北京滞在中に演劇作品を共同制作しています。この前は、彼が中国人俳優を演出し、ヨハン・アウグスト・ストリンドベリの戯曲『ペリカン』を上演しました。スタッフはスウェーデンと中国で手分けしました。日本のアーティストと共同制作したことはまだありませんが、資金面の問題がクリアーできれば、ぜひ試してみたいです。

──中国では世界の舞台芸術に触れられる機会が少ないように思います。そういう意味でも海外に開かれた蓬蒿劇場の取り組みは貴重です。
 劇場は絶対に海外に開かれた存在でなくてはなりません。歴史も証明しているように、閉ざしてしまうと、自ずと保守的になり、あらゆる硬直化を招きます。自ら活動の範囲を狭め、旧い殻の中に閉じこもり、新しいことに消極的になってしまいます。
 中国ではまだまだ、天下は台湾からチベットまでだと思われていて、中国人の世界をめぐる認識はとても限られています。つまり西洋の価値観に対する系統的な判断をしてきていなくて、それが中国の現代アーティストの弱さになっていると思います。飛行機ができて容易に西洋と接触できるようになったからといって、真の意味で理解できるようになったわけではありません。でも、西洋やその他の世界は、わざわざ自ら訪れて、自分たちを理解するよう私たちを刺激してはくれません。ですから今は、誰もが不安で気もそぞろな状態にあります。だからこそ、劇場を海外に開くことはとても重要だと思っています。

──現在の中国の舞台芸術家にはどんな印象をお持ちですか。
 大多数が保守的な人たちで、心が沸き立つアーティストはあまりいませんが、北京オリンピックの開幕式を指導したダンサーで振付家の侯莹(Hou Ying)は面白いと思います。
 中国では、残念ながら演劇は本来持っていた力や精神を失ってしまっています。やっていることは娯楽に過ぎず、探求心が薄れ、やるべきことを放棄しています。娯楽なら他にいくらでもあります。このままでは、劇場の滅亡、演劇の滅亡を招きかねません。


新たな価値観を育む民間の挑戦

──個人経営によるインディペンデントな劇場の先駆けともいえるのが、2002年から05年まで活躍した北京北兵馬司劇場(通称:北劇場)です。当時30代前半、民主化世代の袁鴻(Yuan Hong)がプロデューサーでした。

 北劇場は倒産してしまいました。その後、中央戯劇学院の所有となり、現在は一般開放されていません。経営者の袁鴻は、中国と日本、そして大陸と台湾や香港など、アジアの国や地区同士の合作に取り組んだ草分けです。流山児祥さんの『人形の家』をはじめとする一連の作品や、台湾の頼声川の『暗恋桃花源』、林兆華の『桜の園』などの伝説的作品はすべてあそこで演じられました。公演の内容も素晴らしいものでした。
 しかし、当時の社会環境は今ほど多元的でなく、実験的な演劇について知る人も今以上に少なかった。その上、大量の無料チケットの問題がありました。ああいった実験的な演劇を観る人はみな業界の人で、習慣としてチケットを買いたがらなかったのです。そうしたことも経営の打撃になりました。

──外国企業や各国大使館が集中している朝陽区の文化会館「九個劇場」(大小9つの劇場を有するコミュニティセンター)や「繁星戯劇村」(約5,000平方メートルの敷地内に5つの小劇場、小さな美術館、図書館などがある複合施設)など、近年、北京には新しい劇場も出来ています。
 2004年から「青年演出家演劇探求」「アジア現代演劇祭」「アマチュア演劇祭」を開催している九個劇場はいい活動をしています。蓬蒿劇場の近くに、北京現代舞踊団(北京市の指導によって設立されたが、2004年に民営化)が古い工場をリニューアルした「方家胡同46号劇場」を意欲的に運営していたのですが、取り壊されてしまいました。

──中国で公演を行う場合、どのような手続きが必要なのですか。民間と政府系で差がありますか。また、民間の劇団を結成することはできますか。
 まず、無料で上演するだけなら劇団はつくれます。でもチケットを売りたい場合はチェックを受ける必要があります。それは民間も政府系も同じです。北京なら監察の部門に3ランクあり、まずは区の文化委員会、次に北京市文化局、最後に文化部(日本の文部省に相当)のチェックがあります。国内の公演なら、区の許可だけでいいのですが、国際的な公演はこの3ランクを必ずパスしなければならないので、繁多な事務手続きが必要になります。過程も複雑で、とても効率的とは言えません。

──劇場の閉鎖を命じられる可能性はあるのでしょうか。
 それはないでしょう。なぜなら蓬蒿劇場のある東城区は、歴史的に全中国の演劇文化の中心地だったところですから。中国の古典的な演劇形式である雑劇で、元代に興隆した元曲の発祥地の一つが大都、つまり現在の北京です。明代には著名な戯曲作家、湯顕祖もいました。

──確かに南鑼鼓巷は元代の都のメインストリートの一つだったといわれています。
 ただ残念ながら、中国の伝統演劇に、シェークスピアを超えるものはないように思います。それは西洋の演劇が宇宙へと開かれた世界観をもっているのに対し、中国の演劇は「天は円く、地は方形」(正方形の大地の上を半球体の天が覆っている)という古代中国の天円地方という世界観のままでいるからではないでしょうか。
 中国では個人や個体、つまり「individual」の重要性について、普遍的に意識されることはありません。個人とは利己であり、個人主義とは利己主義だと誤解されています。それが原因で、今日、一連の社会問題が発生しているのです。でも実際は全く違います。個人主義とは最大限度個人の力を発揮し、自己実現をすることです。ですから、私たちは多くのことを学び直さなくてはなりません。自己の再教育をすることで、やっと私たちは西洋と対等になれるのです。これこそが、希望を抱ける道だと思います。

──舞台芸術において、そうした新しい価値観を育むような挑戦は行われていますか。
 ワークショップ、レクチャー、実験的なパフォーマンスなどには、とても啓発されています。この3つは、蓬蒿劇場が今後ずっと力を入れていきたいことでもあります。劇場が追い求める方向に沿いつつ、3つのバランスを保ちながら、スタイルや内容の面で多様化していければと思っています。そうすれば、経験や学識のある芸術家や文化人が、人類の精神において重要だと考えるものを分かち合いに来てくれるでしょう。精神的なもので物質的なものに対抗することにより、人はバランスがとれるのです。家庭や仕事において人がバランスを保ててこそ、社会もバランスがとれます。そして人と人の間にも、かつてあったような人情が回復するのです。

──同じような努力をしている人は他にいますか。
 たくさんいます。しかし、彼らはオーガナイズされ、励まされる必要があります。彼らに「ここでできる」、あるいは「こうすればできる」と伝えなければなりません。なぜなら、何らかのアイディアをもち、創作の才能も持ちあわせていながら、難題山積で勇気を失い、アイディアの実現を諦めてしまう人がとても多いからです。

──有名な演出家の多くが、優れた戯曲を探すのに苦労しているという話しも耳にします。
 そうです。これはとても大きな空白です。演劇を刷新する能力に問題があるのです。でも自国の創作劇であることが、必ずしも演劇の創造力を高められる直接の道であるとは限りません。翻訳劇もしばしば大きな刺激になります。西洋のものにせよ日本のものにせよ、新しい手法で書かれた現代の優れた翻訳劇を紹介できれば、国内の人はまずそれを見て、「そうか、こうもできるんだ」と感じるでしょう。そしてすぐに、「現実的ではないと諦めていた自分のアイディアも試せるのではないか」と悟ります。それがある種の激励となり、創作につながる。これはつまり内と外のエネルギーの交換です。
 芸術家とはインスピレーションに頼るもので、そのインスピレーションとは、ただそこに座っていればすぐにひらめくものではありません。やはり多くの刺激と接触が必要です。

──その意味でも、国内外の実験的でバラエティ豊かな演目を数多く舞台に載せいている蓬蒿劇場は、とても貴重な存在ですね。
 これからも実験的であり、学校であり、そして前衛的なパフォーマンス・アーティストのゆりかごであり続けたいです。
 
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