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ペーター・アタナソフ
©aufBruch Gefängnistheater
Profile
ペーター・アタナソフ
Peter Atanassow

1968年ドレスデン生まれ。コンラード・ヴォルフ映画テレビ大学で演技を学び、卒業後はベルリーナ・アンサンブルをはじめ多くの公立劇場やテレビで俳優として活躍。98年、学生とホームレスによる舞台作品で初めて演出を手がける。2001年からアウフブルッフに俳優、ボイストレーナーとして参加し、翌年から専属演出家。

アウフブルッフ(aufBruch)
http://www.gefaengnistheater.de/aufbruch/
*1 ドイツの刑務所
ドイツでは、民主的なワイマール共和国時代(1919年〜33年)に“受刑者の社会復帰”を掲げたゲアデン刑務所において先駆的な行刑が行われていたが、ナチス・ドイツにより崩壊。第二次大戦後、非人道的なナチス時代の行刑を撤廃し、改革が行われ、77年には受刑者の社会復帰を明記したドイツ連邦の行刑法が施行された。
ドイツでは死刑が廃止され、自由刑(例外的に無期あり)の刑期(長くて15年。例外的に25年)を終えれば社会復帰する。刑務所では、そのための治療措置(アルコール依存が原因となった犯罪者には依存症に対する治療、ドイツ語ができない外国人受刑者にはドイツ語教育など)が受刑者毎にプログラムされ、賃金を受けとれる労働作業も行われている。また、自由時間のための活動が提供され、演劇活動もそのプログラムのひとつに位置づけられている。

*2 芸術と刑務所(KUNST & KNAST)
ベルリン在住のアーティストと受刑者の交流を図り、さまざまな芸術活動を通じて受刑者と社会の繋がりが切れないように州政府に働きかけることを目的に活動している団体。
*3 アウフブルッフの主な上演作品
『カッコーの巣の上で』
(1998年、ケン・キージー原作)
『テーゲルーアレクサンダー広場』
(1998年、アルフレード・デブリンの小説『ベルリン・アレクサンダー広場』原作)
『勝負の終わり』
(2000年、サミュエル・ベケット原作)
『観客罵倒』
(2002年、ペーター・ハントケ原作)
『ニーベルンゲン』
(2006年、ドイツの国民的英雄叙事詩原作)
『ハンニバル』
(2009年、クリスティアン・D・グラッペ原作)
『ペンテジレーアとアキレス』
(2010年、ハインリヒ・フォン・クライスト原作)
『ヴァレンシュタインの陣営』 (2013年、フリードリヒ・フォン・シラー原作)


『ハンニバル』(2009年)
Photo: Thomas Aurin
ハンニバル

『ヴァレンシュタインの陣営』(2013年)
Photo: Thomas Aurin
ヴァレンシュタインの陣営
Presenter Interview
2014.12.4
Promoting “prison theater”
Berlin’s aufBruch theater project 
刑務所演劇を推進するベルリンのアウフブルッフ 
イタリアの刑務所での受刑者による演劇公演を映画化した『塀の中のジュリアス・シーザー』(監督:パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ兄弟)。こうした刑務所演劇をドイツにおいて推進しているのが、ベルリンのアウフブルッフ(aufBruch)だ。ドイツの刑務所では、ワイマール共和国時代の流れを汲む“受刑者の社会復帰”を図る積極的な取り組みが行われている(*1)。犯罪を犯した原因を矯正する「治療措置」(アルコール依存者には依存症に対するプログラム、ドイツ語ができないことに起因する場合は語学教育など)、賃金を得て働く労働作業・職業訓練に加えて、自由時間のためのさまざまな活動が提供されている。その中のひとつが1997年に設立されたアウフブルッフによる演劇活動だ。専属演出家として受刑者との演劇プロジェクトを推進しているペーター・アタナソフに活動について聞いた。
聞き手:山下秋子[ジャーナリスト]

──アウフブルッフ(aufBruch)が誕生したのは17年前ですが、設立の経緯について話していただけますか。
 1992年、ベルリンのフォルクスビューネでイギリス人演出家のジェルミー・ウエラーがカミュの小説『ペスト』を舞台化しました。この作品にはフォルクスビューネ専属の俳優だけでなく、ホームレスの人たちも出演していたのですが、彼らが演劇活動を継続したいと劇団「ねずみ07」を結成しました。1995年にフォルクスビューネの演出家だったローラント・ブルースがこの劇団と『ヴォイツェック』を制作した際、参加したホームレスが制作期間中に刑務所に拘束されることが何度かありました。その都度、ブルースは刑務所に足を運び、拘束されたホームレスが現場に戻れるように交渉しました。刑務所と接点をもつようになったブルースは、そこに隠されていた芸術的可能性に気づき、刑務所での演劇プロジェクトを提案し、1997年にアウフブルッフ(ドイツ語で出発、決起の意)を設立しました。

──ドイツの場合、刑務所は各州の法務省が管轄しています。刑務所演劇を実現するためには、まずはベルリン州法務省との交渉が必要だったのではないかと思いますが、どのような状況だったのですか。
 その頃、私はまだプロジェクトに関わっていなかったので、当時の記録や関係者の話でしか知らないのですが、96年にほぼ1年にわたってベルリンにあるテーゲル刑務所および州法務省との話し合いが重ねられたそうです。州法務省と我々の間の仲介をしたのが、「芸術と刑務所(KUNST & KNAST)(*2)という団体でした。ベルリンにはいくつもの刑務所がありますが、テーゲル刑務所というのは、ドイツで最も大きな刑務所の一つで、既決囚を収容しています。1996年末、何度も話し合いを重ねた結果、州法務省が刑務所での演劇プロジェクトを認め、支援してくれることが決まりました。
 アウフブルッフの最初の取り組みは、1997年にベルリンの太鼓演奏グループとともに数回にわたってテーゲル刑務所で行われました。このパフォーマンスを見た受刑者たち20名が演劇グループを結成し、週2回のリハーサルが実施されることになりました。そして同年7月に、テーゲル刑務所で21人の受刑者とプロの俳優4人が参加したはじめての刑務所演劇公演が実現したのです。この公演を外部の観客も見る事が許可されました。以来、毎年ほぼ3作品のペースで、テーゲル刑務所をはじめ、ベルリン市内の刑務所、新たに建設されたブランデンブルグ州にあるハイデリング刑務所などで公演を実施しています。

──ハイデリング刑務所は昨年1月に建物が完成し、6月から受刑者の収容が始まった新しい施設ですね。
 はい。所長がとても積極的で、すぐにアウフブルッフの活動を受け入れてくれました。ブランデンブルグ州にありますが、ベルリン州の刑務所です。実は、ブランデンブルグ州にはワイマール時代に建設されたゲアデン刑務所があります。旧東ドイツの首相であったエーリヒ・ホーネッカーがナチスに抵抗して収容されていたところです。この由緒ある刑務所でアウフブルッフのプロジェクトをやろうとしたのですが、結局うまくいきませんでした。刑務所の管轄は州毎に異なるので、ベルリンでできたからと言って、他の州でできるとは限りません。

──アフフブルッフの体制と活動資金について教えてください。
 現在、アウフブルッフの専属メンバーは、私と、全作品の制作を担当し、演出助手やドラマトゥルクを務めるジビレ・アルント、舞台美術を担当するホルガー・ジルベの3名です。それに加えて、公演毎に外部のプロの芸術家(ドラマトゥルク、音楽家、振付家、衣裳家、舞台美術家、音響・照明プランナー、俳優など)が多数参加しています。アウフブルッフの活動はこうした芸術家たちの情熱によって支えられています。
 活動資金は、ベルリン州をはじめ連邦政府や民間の財団の助成金、個人的な寄付などで、年間約7万ユーロです。公的な機関や財団には、可能なかぎり申請を出して助成金を得る努力を続けています。2009年から、ベルリン州政府はフリーの芸術活動団体に対して2年間の活動を助成する「基礎助成」を始めました。アウフブルッフは2009年からこの基礎助成をずっと受けています。金額は変わりませんが、継続的に助成が認められているということは州政府から信頼を得ている証だと思っています。また、ここ3年間は「ヨーロッパ社会基金」からの助成を受けて青少年刑務所でのプロジェクトも実施しているため、比較的ゆとりがありましたが、2014年で終了してしまいます。財源の安定的な確保は、アウフブルッフの活動を続ける上で、大きな課題になっています。

──アタナソフさんがアウフブルッフと関わるようになったきっかけは何ですか。略歴によると、ドイツで最も古い映画大学であるコンラート・ヴォルフ映画テレビ大学で演技を学んでいらっしゃいます。
 大学を卒業した後、俳優としてテレビ・ドラマや舞台に出演していました。卒業するまでは、俳優としてのバラ色の将来が開けるだろうと思っていたのですが、実際はそんなに単純ではありません。私の場合、幸運にもエージェントがつき、テレビの仕事は順調に来ていました。ただ、私のエージェントは映画方面には弱く、映画の仕事もしたいと思っていたので不満もありました。俳優として年月を重ね、ある程度経験を積んでくると、何か新しいことをやってみたくなるもので、私の俳優仲間たちも演じる側から演出へ、あるいは作家へと転身していきました。私が映画にチャレンジしたいと思いながら果たせずにいた頃、アウフブルッフから受刑者との演劇に俳優として参加しないかと誘われました。2001年のことです。ここではじめて刑務所や受刑者と出会ったのですが、これが私にとってとても大きな出来事になりました。

──テレビ俳優としてのキャリアを捨てても良いほどの出来事とは、具体的にどのような事だったのですか。
 受刑者たちの身振り、手振りに特定の型があることに気づきました。彼らに共通な型というのは、実は私が兵役義務で軍隊にいたときのジェスチャーに通じるものだったのです。西ドイツと同じように、東ドイツの青年にも兵役が課せられていました。兵役に就いたとき、生まれて初めて家を離れ、全く知らない人と集団生活する経験をしました。これは私にとってとても辛い体験でした。それは兵役から想像するような身体的な辛さではなく、家を離れ、今まで全く関わりを持ったことのない人との集団生活、兵舎という閉じられた空間、そしてそこには全く自由がないという精神的な辛さです。兵舎は私にとって、刑務所と同じだったことに気づきました。
 受刑者に共通のジェスチャー、それは兵役についていた自分自身が、見ず知らずの人と当り障りのないコミュニケーションをしていたときのジェスチャーだったんです。テレビ俳優としての行き詰まりを感じていた私は、それをきっかけに刑務所という空間で受刑者とともに演劇を作りたいと考えるようになりました。そして、2002年、最初の演出をしました。

──それから10年以上、アウフブルッフの仕事を続け、2002年にはブルースの後を受けて専属演出家に就任されました。テレビ俳優のキャリアを捨てて、後悔したことはありませんか。
 全くありません。受刑者たちの持っているポテンシャルはとても高く、飽きることがありません。彼らとの作業を通して、次から次へと新しいアイデアが生まれてきます。かつてハインリヒ・ハイネが言ったように、「アイデアが私を突き動かしている」ように思います。

──アウフブルッフの上演作品(*3)についてお尋ねします。書下ろしではなく、原作を脚色されています。どのような作品を選び、どのように脚色されているのですか。
 ベルリン州政府の基礎助成を受けるためには、2年間の計画を立てなければなりません。それで2年間の重点テーマを決めています。テーマはアウフブルッフのメンバーとドラマトゥルグが中心になって話し合い、それに沿った作品を選んでいます。シラーやゲーテ、シェイクスピア、ベケットなどの戯曲を原作にする場合は、セリフをそのまま用いるのではなく、長いセリフをカットして公演用の台本を作ります。上演時間の短縮、出演者が覚えられる長さにするといった技術的な理由もありますが、登場人物と設定された状況に明確な輪郭を与えるという目的もあります。テーマにふさわしい戯曲が見つからない場合、小説を舞台化することもあります。
 東ドイツ出身の私は20歳代前半で国家の崩壊、喪失という体験をしました。東西ベルリンの壁が崩壊した直後は、今までとは全く違った新しいことが起きて、多くの自由を手にした高揚があったのですが、2、3年後には自分が生まれ育った国が無くなったことを実感するようになりました。決して東ドイツが良かったというのではありません。ただ、何か大切なもの、過去を失ったという喪失感を感じ始めたのです。多分、それがきっかけになったのだと思いますが、同時代のものより過去の作品に惹かれるようになりました。アウフブルッフでもそういう作品を選び、作品を通じて過去と対話するようになりました。例えば、シラーの『群盗』も犯罪者、ゲーテの『ファウスト』も未成年の少女を誘惑しているのですから今でいえば犯罪者です。これらの古典作品の中に描かれた犯罪者、あるいは社会的規範の限界を越えようとする人物と受刑者が演劇を通して対話できればという思いを持っています。

──原作の脚色はアタナソフさんがされるのですか。
 ドラマトゥルグと私が協力して行います。また、原作の意図を踏まえ、他の作品の一部を説明あるいはコメントとして加えることもあります。例えば、ある作品で絶望からアルコールを飲み、身ごもった子どもを死産しようとする主人公について、ギリシャ悲劇『王女メディア』のコロスの引用を通して、子殺しへのコメントを付け加えるようなこともあります。

──脚色の過程で、出演する受刑者のバックグラウンドを反映させることはありますか。
 自分から進んでバックグラウンドを話す人もいれば、全く何も語りたがらない人もいます。受刑者が語るまで、私たちは彼らの経歴を一切知りません。受刑者との作業が始まる時点では台本がもう出来上がっていますから、彼らのバックグラウンドを台本に反映することはありません。台本が出来上がり、配役をある程度決めた時点で、ある受刑者が長いセリフを全く覚えられないために配役の変更が必要になることもあります。また、刑務所内の規律に違反して、演劇プロジェクトに参加できなくなる受刑者が出ることもあります。刑務所での活動には、このような予期せぬ事態を覚悟しておく必要があります。

──公演に至るまでの過程はどのようになっていますか。稽古の内容や時間などはどうなっているのでしょうか。
 上演する作品が決まると、公演の趣旨や作品内容を説明した出演者募集のチラシを作り、刑務所内で受刑者が集まる場所に出向いて募集の宣伝をします。作品によって出演者の数は若干異なりますが、通常20名から30名を募集します。学生寮に行って宣伝するようなものです。数がそろった時点で、公演に向けた活動が始まります。決められた治療措置や作業が終了したあとの自由時間が、この活動のために充てられます。原則として1日4時間の稽古が週に5日行われます。稽古には専門家によるボイストレーニングが毎日行われるほか、プロの振付家による身体の動かし方の訓練もあります。稽古の期間は、作品や刑務所の状況によって異なりますが、4〜6週間続き、本番を迎えます。
 せっかくの自由時間を演劇のために割くので、受刑者にとってもかなりハードな作業になります。そのため、参加者の募集はかなり難しいのが実情です。公演は、2週にまたがり最低4回、多ければ10回実施されます。観客の数は刑務所によって異なりますが、アウフブルッフのいわば本拠地であるテーゲル刑務所は約220名の客席が用意されています。戸外に客席が設けられるため、入場者数は天候によって左右されます。

──ベルリンにはテーゲル刑務所以外にもいくつかの刑務所がありますが、そこでも活動が行われていますか。
 アウフブルッフが最初に演劇プロジェクトを行なったのがテーゲル刑務所ですが、プレッツェンゼー刑務所でも活動が行われるようになりました。また、先ほどもお話しましたが、2013年6月から新しく受刑者の収容を始めたハイデリング刑務所でも活動しています。
 ハイデリング刑務所の場合は、ロマの人たちが多く、演劇公演を見たことのない人たちがたくさん参加しました。今までの刑務所とは全く違う条件での制作になりましたが、ロマの人たちの音楽や踊りを取り入れることで、彼らの文化的アイデンティティを生かすことができました。公演に関しても、ベルリン州法務省は非常に協力的だと言えるでしょう。一般の観客に公開しているのはベルリン州だけではないでしょうか。そういう意味で、私たちはとてもラッキーだと思います。

──アタナソフさんはアウフブルッフの演出家として、1年にほぼ3作品を演出していらっしゃいます。演劇との出会いが彼らの生活に変化をもたらしたと言えますか。
 今年は4本でしたが、ほぼ毎年3作品を演出しています。2本は刑務所内で受刑者と制作、1本は社会復帰した受刑者と所外受刑者(決められた時間に刑務所に戻るという条件で、通常の社会生活を送っている受刑者)およびプロの俳優、一般の人たちとの作品です。刑務所にいたときにアウフブルッフの活動に参加した受刑者たちが、その後も演劇に関心を持ち続け、刑務所外での公演に参加してくれるのは嬉しいことです。中には、実際に役者の仕事に就いた人もいます。演劇公演を見たり、テレビでの中継を見たりして、「自分だったらこうやるのに」という視点を持つようになったと話してくれた受刑者もいます。

──刑務所演劇を10年以上経験されて、その可能性についてどのように考えていらっしゃいますか。
 受刑者にはそれぞれの歴史、背景があります。また能力もそれぞれ違います。通常の演劇制作とは全く違った対応をしなければならないのは、参加する芸術家にとって大きなチャレンジになります。受刑者が持っているポテンシャルを発掘することで、受刑者にとっても芸術家にとっても新しい展望が開けてくるように思います。もちろん、演劇活動をすることで、ある受刑者たちにとっては今まで身に着けることができなかった社会的規律、例えば時間を守るとか、他の人々と協調するといった社会生活における基本的ルールを学ぶことはあります。しかし、アウフブルッフの活動はそうしたことを目的とした社会活動ではなく、あくまで芸術活動です。
 それにしても、仕事というのはどんなものであれ、一度始めてしまうと、終わることがありません。ときどき自分が回転し始めた車輪の中に入ってしまったハムスターになったように思えます(笑)。

──今後の展開について、考えていらっしゃることがありますか。
 ドイツに限らず、ヨーロッパ内で、国、地方自治体、芸術家がそれぞれ独自の切り口で、刑務所での活動をしています。こうしたグループとの協力関係がとても大切だと考えています。他の国ではどんな活動をしているのか、刑務所や管轄の行政部門との間にどのような問題があり、どのようにして解決しているのかなど、それぞれの経験やアイデアを交換し、交流を重ねています。私自身が関わっているヨーロッパレベルでのプロジェクトとして、芸術家が刑務所で受刑者と芸術活動を始めるために必要なことをまとめる作業を行っています。イギリスには刑務所での芸術活動の伝統がありますし、フランスでは刑務所の所在地の市長がそこの運営責任者です。刑務所に関する法制度、刑務所での実践について、国による違いがたくさんあります。これらの違いや多様性を越えて、芸術家が刑務所で活動できる共通の可能性をまとめることは、国際的にも意義のあることだと思います。

──次回、11月に行われるアウフブルッフのプロジェクトでは、受刑者がテキストを書くという新しい試みが行われるそうですね。
 はい。これはアウフブルッフにとっても、また受刑者にとっても初めての試みです。フランスの作家ルイ=フェルディナン・セリーヌの『僕の猫ベベールへの手紙』にヒントを得て、受刑者たちに自分の大切な人に宛てた手紙を書いてもらい、その手紙をテレビのトークショーのような形で発表するというプロジェクトです。若い芸術家たちのアイデアによるもので、アウフブルッフにとっての新しい活動のオプションだと位置づけています。今後も若い芸術家たちが刑務所で自分たちのやりたい活動ができるように、支援していきたいと考えています。

──今までの経験の中で、とくに印象に残ったことがあれば教えてください。
 私を引きつけ、ずっとこの仕事を続けさせているのは、人間は変わることができるというその瞬間を目の当たりにできるからです。作品の中のあるセリフあるいは文章、観客との交流、あるいは私たち芸術家との交流から、受刑者が今までの視点や考えをがらりと変える、あるいは今後の生き方への勇気を得る瞬間があります。この変化はずっと続くものではありませんが、変化の瞬間を見られるのはとても印象的です。受刑者が、今までとは違った生活をする勇気を演劇から得る瞬間に居合わせることは、何ごとにも代えがたいものです。
 
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