The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
松田 誠
Profile
松田 誠(まつだ・まこと)
一般社団法人 日本2.5次元ミュージカル協会代表理事、ネルケプランニング代表取締役。演劇プロデューサー。代表作は、ミュージカル『テニスの王子様』、劇団EXILE、『ロミオ&ジュリエット』、『ロックオペラ モーツァルト』、ミュージカル「黒執事」、ミュージカル「美少女戦士セーラームーン」、ライブ・スペクタクル「NARUTO-ナルト-」他

一般社団法人 日本2.5次元ミュージカル協会
https://www.j25musical.jp
ミュージカル『テニスの王子様』3Rdシーズン 青学(せいがく)vs聖ルドルフ
(C) 許斐 剛/集英社・NAS・新テニスの王子様プロジェクト
(C) 許斐 剛/集英社・テニミュ製作委員会
テニスの王子様
ミュージカル「黒執事」– 地に燃えるリコリス 2015 –
(C) 2015 枢やな/ミュージカル黒執事プロジェクト
黒執事
なかよし60周年記念公演 ミュージカル
「美少女戦士セーラームーン」
– Un Nouveau Voyage –
(アン ヌーヴォー ヴォヤージュ)

(C) 武内直子・PNP/ミュージカル「美少女戦士セーラームーン」製作委員会2015
美少女戦士セーラームーン
ライブ・スペクタクル「NARUTO-ナルト-」
(C) 岸本斉史 スコット/集英社
(C) ライブ・スペクタクル「NARUTO-ナルト-」製作委員会2015
NARUTO
舞台『弱虫ペダル』IRREGULAR〜2つの頂上〜
(C) 渡辺航(週刊少年チャンピオン)2008/弱虫ペダルGr製作委員会
(C) 渡辺航(週刊少年チャンピオン)/マーベラス、東宝、セガ・ライブクリエイション
弱虫ペダル
デスノート The Musical
(C) 大場つぐみ・小畑健/集英社
deathnote
Presenter Interview
2015.11.20
The vision of Makoto Matsuda  The producer behind the “2.5-D Musicals” 
2.5次元ミュージカルの仕掛け人 松田誠のヴィジョンとは? 
漫画、アニメ、ゲームを舞台化した「2.5次元ミュージカル」が注目されている。名門中学のテニス部が全国大会団体戦で勝ち上がっていくマンガ『テニスの王子様』が2003年に初めてミュージカル化されたのをきっかけに、一世を風靡した少女マンガ『美少女戦士セーラームーン』、悪魔で完全無欠の執事が活躍する『黒執事』、超常的な能力をもった忍者が戦いを繰り広げる世界的ヒット作『NARUTO-ナルト-』などが次々に舞台化され、海外公演も行われている。昨年には出版社、放送局、興業会社などが参画し、オールジャパン体制で2.5次元ミュージカルを世界に通用するエンターテイメントとして普及することを目的とした「一般社団法人 日本2.5次元ミュージカル協会」が発足。また、今年3月には渋谷に専用劇場「AiiA 2.5 Theater Tokyo」がオープンするなどその動向から目が離せない。ネルケプランニングを率い、ミュージカル『テニスの王子様』を大ヒットさせた仕掛け人、松田誠のヴィジョンとは?
聞き手:神山典士[ノンフィクション作家]

──松田さんは学生時代に小劇場演劇の俳優をされていました。まず、演劇との出会いからお話いただけますか。
 中学生の頃に唐十郎さんの赤テントの芝居を観に行ってショックを受け、それがきっかけでアングラ演劇が大好きになりました。中学生だから変な大人がたくさんいるテントに行くのは恐かったのですが、でもすごく猥雑で格好いいなと憧れた。それで高校で演劇をやり、立教大学ではいくつかの学生劇団などに役者として参加しました。1年に10本ぐらい芝居をやっていました。小劇場のメッカである“下北沢命”のような生活で、本多劇場に出ることが最終目標みたいな青春でした。
 一番たくさん出演したのは、松本きょうじさんが率いていた「ランプティ・パンプティ」の舞台です。私は67年生まれですから、舞台に立っていたのは80年代から90年代前半にかけて。時代としては小劇場が元気良かったころですね。

──2.5次元ミュージカルの制作を手がけるようになったのはいつからですか。
 転機が来たのは25歳前後です。劇団の先輩を見ていると、アルバイト先でどんどん偉くなりながらも芝居をやっている。アルバイトが本職なのか役者が本職なのかわからない。これはおかしな構造だと思いました。このまま役者を続けるべきなのか考えた末、演劇の制作会社であるネルケプランニングを設立しました。設立当初は当時盛んだったイベントの演出などをやるのが主な仕事でしたが、徐々に演劇の制作も引き受けるようになりました。あの頃は小劇場に制作者がいなかったので、プロデュースや事務的な仕事を引き受けながら相変わらず演劇に関わっていました。
 そういうことを続ける中で、漫画原作のミュージカルの制作を手伝って欲しいと頼まれた。それが『聖闘士星矢』(91年)です。ほんの末端で関わっただけですが、これが2.5次元ミュージカルとの出会いでした。もちろん当時はまだ「2.5次元」という名前はなく、単にマンガミュージカル、アニメミュージカルという言い方をしていたと思います。漫画の原作はもちろん知っていましたが、振付家をブロードウェイから招くなどすごく面白いなと思いました。それまでミュージカルを見たことのなかった私にとって、とても新鮮で感動しました。
 この舞台がきっかけで色々なアニメミュージカルを手がけることになりました。例えば、少女漫画雑誌に連載されていた作品でアニメにもなった『姫ちゃんのリボン』『赤ずきんチャチャ』『水色時代』を「女児もの」と呼ばれる少女向けのミュージカルにしました。それほどヒットはしませんでしたが、良い作品がたくさんありました。制作は委員会形式で様々なジャンルの企業が参加していました。
 2.5次元ミュージカルとして最初にブレイクしたのが『HUNTER×HUNTER』(00年)です。この舞台が画期的だったのは、アニメで声優をやっている人が舞台でもそのキャラクターを演じたことです。たとえば主役のゴンの声優として人気のあった竹内順子さんが目の前でゴンを演じるということで、アニメファンにも訴求し、大ヒットにつながりました。元々役者出身の声優さんは多かったので、こういうキャスティングが無理なくできました。

──「アニメ(漫画)とミュージカルは相性がいい」というのを松田さんが実感された、節目となった作品はありますか。
 ラサール石井さんの脚本・演出・主演で行った『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(通称:こち亀)(99年)です。この作品がめちゃくちゃ面白かった。下駄でタップを踏んで商店街の歌をみんなで歌うという、下町ミュージカルです。泣けて、笑えて、映画『男はつらいよ』みたいな人情喜劇でした。ラサールさんはお笑い芸人ですが、早稲田大学のミュージカル研究会の出身です。私はこの作品を見て、こういうミュージカルが日本でもつくれるんだと目からウロコが落ちました。
 日本で上演されているミュージカルは『ミス・サイゴン』『レ・ミゼラブル』『ライオンキング』とか、ほとんど欧米のものです。欧米のものを日本人が演じることに、私にはどこか違和感があった。ところが『こち亀』には自然に感情移入できました。日本にもかつて、日本の喜劇王と呼ばれるエノケンさんが活躍した浅草オペラや、美空ひばりさんなどが歌って演じる映画『狸御殿』シリーズ(オペレッタ喜劇と呼ばれる)などのミュージカル映画があった。こういう歌って踊る作品を普通に受け取れるDNAが日本人の中にはあります。だから『こち亀』でお巡りさんたちが歌を歌っても、泥棒とお巡りさんが追いかけっこする歌があっても全く違和感がない。そのことに気づいたのは、アニメミュージカルを始めて10年くらい経った、2000年頃のことでした。

──松田さんの初めてのプロデュース作品は何ですか。
 私の発案で始めたのはミュージカル『テニスの王子様』(通称:テニミュ)(03年)です。当時はまだ2.5次元ミュージカル作品の本数は少なかったので、本業という感覚はなかったのですが、やるならこの作品だと閃いた。当時原作は漫画もアニメもヒットしていました。
 この時の最大のチャレンジが、キャスティングです。全員オーディションで男性の役者だけでやりました。もう一つ、演出家に振付家を据えました。男性ダンサーの振付に定評がある上島雪夫さんのことを思い出して、お願いに行きました。
 原作の単行本を渡して、「これをミュージカルにしたいのですが、やってくれませんか?」と単刀直入に言いました。上島さんは「舞台の演出はやったことない」と言われましたが、私は上島さんがやってくれないならこの企画はないものと考えていたのでその思いを伝えました。上島さんは本をぱらぱら捲りながら「これほとんどテニスの試合だけど、何か演出プランはあるの?」と質問されましたが、私はノーアイデアですと(笑)。しかし、上島さんは受けてくださった。そこから企画がはじまりました。
 しばらくして上島さんに「なぜ演出を受けてくださったんですか?」と聞いたら、「テニスをしているキャラクターを見ていたら踊っているみたいに見えたので、これなら自分でも演出できると思った」と。もちろん私もミュージカルなんだから歌と踊りはあるとは思っていましたが、試合全部を踊りで見せるというアイデアはなかった。上島さんから「ボールはどうするの?」と聞かれて、「どうしましょうね?」と答えたほどです。棒にボールをつけて行ったり来たりさせようかと思ったくらい、作戦も勝算もない状態でした。
 上島さんも私もテニスなんてやったことない。役者もテニスの経験者は一人だけ。1カ月半の稽古の間、試行錯誤しました。一つよかったのは、上演会場にした東京芸術劇場中ホールにはセリがあったこと。役者たちがテニスのスイングをして歌いながら舞台がセリあがってくる。それがカッコよくて面白い。半分コンサートのような作品になりました。

──公演の様子はいかがでしたか。
 一般的に知名度の高いキャストではなかったのに、5,000人規模の公演を組んだので、初日はチケットがあまり売れていなくて埋まったのは客席の半分くらい。ところが初日の一幕が終わったときに「異変」が起こった。いい舞台の時は休息になって客電がつくと客席がザワザワするんですが、ザワザワしたんです!お客さんがロビーに出て、当時はまだSNSもなかったので女の子たちが高揚して友だちに携帯で電話していた。「これはいける」と直感しました。
 その場で再演を決めました。その日は終演後にロビーで翌日からのチケットを売ったし、チケットの予約も伸びていきました。これはいままでにないヒットになると感じて、劇場を無理やり押さえてその年のうちに再演しました。それまでにも作品として手応えのあるものはありましたが、興行としての手応えで言うと『テニミュ』が一番です。これは大波になるという実感がありました。

──お客さんはどんな人たちでしたか。
 初演当時は原作のファンが一人で来るパターンが多く、劇場に来たこともミュージカルを観たこともない人が多かったと思います。有名な役者は出ていないわけですから、役者のファンはいませんでした。そういう原作ファンが受け入れてくれたわけです。
 でも想像しないことも起きました。お客さんが舞台の見方を知らなくて、キャラクターのファンだから例えば手塚が出てくると「手塚!」と叫んだり、名前を書いたボードを振りかざしたり。好きなキャラクターのコスプレもしてくる。コスプレは気が散るとか、ボードで舞台が見えにくいとか、ミュージカルなんだから声をかけるなとか、ファン同士で論争になった。役者もやりづらいというので、ホームページを使ってルールを周知しました。
 コスプレ禁止、声かけ禁止、ボード禁止。静かに見ましょう、と。みんないいお客さんですから、約束を守ってくれたのですが、それを見ていたらなんだか可哀相になって。これも不健全だと感じたので、舞台に出演している役者たちによるコンサートを始めました。ミュージカルで言うガラコンサートです。舞台を春と冬にやるとしたら秋にコンサートを開く。この時は「手塚〜」「リョーマ〜」と叫んでいいので、思いの丈を伝えて発散してくださいと。
 でもそれを最初から1万3,000人も入る代々木第一体育館で開いてしまったので、この時も客席が半分くらいしか埋まらなかった。出演者も少なく、曲数も足らないし、歌もうまいとは言えない状態だったから無理もない(笑)。さすがに反省して次からは会場をパシフィコ横浜にして、これは4,000人で満席でした。お客さんは嬉しそうで、ペンライトをもってキャーキャー言っている。普段は比較的家に籠もっているようなタイプの子たちが飛び跳ねて楽しんでいる。そのキラキラしている様子が見ていて気持ちよかったです。

──『テニミュ』のキャスティングはどんな基準で行ったのですか。
 漫画のキャラクターをなるべく崩さないように、ビジュアルやフォルム以外に、キャラクターの本質にあっているかどうかを重要視して、キャスティングしました。いまでも、その役者が演じるキャラクターの「種」を持っているかどうかを基準にしています。お客さんのイメージしているキャラクター像を崩してしまうと、それだけで拒否反応が起きて、2時間見ている間、違和感があるからです。

──キャラクターの造形をどのように考えていますか。
 とにかくお客さんが違和感を感じないという事を第一に考えています。たとえば『少女革命ウテナ』では宝塚歌劇団の男役で活躍した大輝ゆうさんが主役のウテナを演じたのですが、原作のウテナは派手なピンクの髪でミニスカートで闘う。でも、大輝さんにピンクの髪は違和感があると思い、黒髪にピンクのチークを入れました。心配したのですが、原作の記号をキチンと残していたので、お客さんに受け入れてもらえました。こういうやり方をすることもありますが、できる限り原作に近づけるのが基本です。そのためにできることは全てやった方がいい。似せるために、原作の髪形のツンツンの数を数えたこともあります。当初は超が付くほどのコスプレでした。
 お客さんが違和感を抱かないよう衣装、カツラ、台詞を考えました。『テニミュ』の時は、原作にある言葉しか使っていません。それを構成して物語をつくっている。そういうふうにしてくれと原作者に言われたわけではないのですが、上島さんのポリシーもあって、原作にない言葉は使わない。だからお客さんには「本当に漫画から飛び出したようだ」と言っていただけた。本当に舞台に手塚がいた、リョーマがいたと感じてもらうこと。私たちが狙っていたのはそこでした。

──『テニミュ』は大ヒットして、シリーズ化されます。
 大ヒットしたのはいいんですが、千秋楽のチケットが人気沸騰して抽選制になるなど演劇の仕事では経験のない嬉しい悲鳴を上げることになりました。初期でも15回公演で1万人程度は動員していました。そんな状況が続き、2年くらいたって考えないといけなくなったのが、初代メンバーの年齢です。人気役者も生まれていたのですが、当時、すでに27歳になっていた役者もいたし、あまりに年齢が高くなると学園ものではなくなってしまう。
 そこで、苦肉の策としてメンバーを卒業させようということになりました。ところがそれを発表したら、ファンからは「なんで辞めさせるんだ」と大ブーイングです。2代目のメンバーをお披露目しても逆風は納まらない。アンケートには「〇〇君は〇〇ではない」「直ちに初代に戻して」といった声ばかり。でも公演を重ねるうちに城田優、瀬戸康史、荒木宏文たちに人気がでて、徐々にファンにも認められるようになっていきました。3代目が誕生するころには「卒業」というシステムも定着してきました。
 ちなみに2.5次元ミュージカルという名前も、ファンから自然発生的に生まれたものです。ファンの間では相当前からそう呼ばれていたようなのですが、私たちが気づいたのは3年ほど前です。それまではアニメミュージカルと言っていましたが、原作は漫画なのにちょっと変だなと。「2.5次元」というのは良い言葉だと思って、そこから2.5次元ミュージカルと呼ぶようになりました。

──海外への展開はいつから始まりましたか。
 2008年に『テニミュ』で初めて韓国と台湾に行きました。日本からもファンがきてくれて、客席は現地の人と日本人で半々くらいだったでしょうか。入りは半分程度だったと思います。ところが盛り上がりがすごかった。海外にもこんなファンがいるんだとわかって、楽しくなりました。男の子が「手塚!」と声をかけてくれたり、字幕で決めゼリフが流れるとものすごく湧くんです。なんて素直なお客さんなんだろうと驚きました。でも、興行的には大赤字だったので、海外へのチャレンジは続きませんでした。でもまたいつか絶対にやりたいと思っていました。
 2013年に韓国からミュージカルの視察団(演出家、プロデューサー、舞台監督等約30名)が来日して、弊社にも視察にいらした。統計的に言うと、日本のミュージカル市場はアメリカに次いで世界第2位だそうです。宝塚歌劇団や劇団四季があるからだと思いますが、私は韓国の方がずっと盛んだと思っていたので驚きました。ソウルの大学路には200の小劇場があってその70%がオリジナルミュージカルを上演していて、出演者5人くらいの作品が5年間ロングランしているケースもあるんですから。
 その視察団に「日本のオリジナルミュージカルで一番いいものは?」と質問された時に、私は思わず「日本に皆さんにオススメするようなオリジナルミュージカルはない」と答えてしまった。その後、彼らはいろいろな舞台を見て回ったようなのですが、帰国前のサヨナラパーティーで彼らに再会した時に「松田さんはなぜ嘘をつくんだ。日本にも素晴らしいオリジナル作品があるじゃないか」と言われた。何を見たのですかと聞いたらミュージカル『黒執事』だと。この時私は、頭を殴られたような気がしました。
 ずっと2.5次元ミュージカル作品を手がけながら、演劇出身なのでどこかでこれは別のものという意識があった。今思うととても恥ずかしくて愚かなことですが、韓国の視察団の人に「あれこそ日本のオリジナル」と言われて、目が覚めました。『黒執事』は衣装もセットも音楽も素晴らしかったと言ってくれました。歌はうまくなかったけどと言われましたけどね(笑)。歌唱力不足は認識していたのでその通りだと思いましたが、それより何より私自身がもっと2.5次元ミュージカルを積極的に打ち出していかないとダメだと思い知りました。そして、これこそが世界で戦えるジャンルなのだと‥‥。
 これまで日本でヒットしたミュージカルは、全て欧米からの輸入作品です。つまり日本は欧米作品をせっせとつくって、ロイヤリティを払い続けている。それはそれで素晴らしいけれど、日本のオリジナルミュージカルをつくって輸出もしたいじゃないですか。なかなか日本オリジナルのストレートプレイを輸出するのは難しいけれど、日本の漫画やアニメはこれだけ世界に浸透して愛されているんですから、これをきっちり舞台化したら勝てるんじゃないか。改めてそう思いました。

──海外の人たちはどうやってアニメを見ているのでしょうか。
 今はインターネットです。今までは、海外のファンが日本のアニメを見るためにはテレビしかありませんでした。インターネットの普及によりユーチューブなどで誰でも簡単に見られるようになりました。違法アップなど色々問題はありますし、アニメ業界にとっては大きな問題です。でも最近はこうしたことに向きあうためにも、テレビ局やアニメ制作会社などがオフィシャルに作品のネット配信も始めているし、今や、日本以外の国でも特にアジアなどでは、ほぼリアルタイムで見ているようです。日本のカルチャーが好きな人は日本語も聞きたいから吹き替えよりも字幕を好むようで、アニメで日本語を覚えたという若者も多い。アニメのキャラクターが食べているラーメンが好きになったという人もいます。そうやって、日本のアニメは世界に浸透しているわけです。
 だからこそ、原作が漫画やアニメ、ゲームの2.5次元ミュージカルは、海外でも十分に戦えると確信できました。

──海外展開の本格化を睨んで「一般社団法人 日本2.5次元ミュージカル協会」を設立されたわけですか。
 そうです。海外展開は、一作一作、一社一社で挑戦しようと思っても現実的には荷が重い。それよりも、オールジャパン体制の協会をつくって海外に発信した方がいい。そういう協会なら、制作会社、テレビ局、出版社の壁を越えられる。そう考えて色々なところに相談にいきました。
 当時、2.5次元ミュージカルの制作本数では一番多かった、自分の会社であるネルケプランニングで進めればいいじゃないかという意見もありましたが、私は持っているノウハウは全て出しますと公言しました。今までやってきた経験知もコツも全て提供します。よい作品を生み出すために、皆さんでやりましょうと。これは今も言い続けていることです。
 最初に相談したのは、舞台公演にも力を入れている大手芸能事務所ホリプロの堀義貴さんでした。堀さんも「海外から買ってばかりじゃダメだ」と考えていたので、「やりましょう」と。もともと2.5次元ミュージカルもやりたいと思っていたそうなのです。それから『テニミュ』を一緒につくっている映像やゲームソフトの企画・制作・販売会社マーベラスの中山晴喜さんなど、同じ志を持つ人たちにどんどん声をかけていきました。
 海外展開で問題となるのは作品のクオリティです。でも、日本はミュージカルにおいては後発なわけですから最初はうまくいかなくても怖れることはありません。日本人は丁寧にものをつくるし、アレンジ力がある。本気で頑張れば、絶対に勝てると思います。今はとにかく、みんなで力を合わせてどんどん良いタイトルをつくる、そういう時期だと思います。
 そのために協会が行う業務は、ひとつは啓蒙活動です。まずは国内で2.5次元ミュージカルというものをブームではなくジャンルとして確立すること。観客動員が増えているとは言っても、まだまだ一般には認知されていませんから、もっと広めていくことが課題です。ジャンルを確立するために、協会の中で情報を共有し、協会の公式サイトで情報を発信し(http://www.j25musical.jp/)、「2.5フレンズ」というサポーター会員を募集するなどして、国内での地位をしっかり確立したいと思っています。また、海外に普及するサポートも行っていきたいと思っています。
 現状では、設立1年で個人会員を入れて75団体が加盟しています。メンバーには漫画を出版している出版社、アニメを放送している放送局、舞台制作を行っている興業会社などの日本を代表するエンタテインメント系企業が揃っているだけではなく、旅行業者のような異業種からの参加もあります。今も毎月何社かずつ増えている状況です。会員向けには外部から色々な人をお呼びして、2カ月に1回セミナーや勉強会を開いています。まだ赤ん坊ですから、勉強が必要なんです。
 今年の3月には、渋谷に専用劇場「AiiA 2.5 Theater Tokyo」(客席数824席)をオープンさせました。日本初の2.5次元ミュージカル専用劇場で、協会として運用をしています。劇場のある渋谷区の観光協会とタイアップして海外からのお客さんに向けた宣伝もしています。日本語がわからない人のためには最大4カ国語対応が可能な「字幕メガネ」も常備しています。海外の自国からチケット予約ができるようにサイトもオープンしました。協会が作品の著作権管理団体になることはありませんが、2.5次元ミュージカルの商標については協会で所有しています。
 また海外での認知度アップのために協会を設立してから各種イベントにも出展しています。たとえばパリのJAPAN EXPO 2014には36万人が集まりました。日本のカルチャーに興味がある人がそれだけいるんです。CCG EXPO上海でも25万人、ジャカルタで開催された日本イベント「縁日祭」でも20万人です。そこに訪れる多くの人が漫画やアニメのファンです。海外から帰って来て思うのは、漫画やアニメの地位は日本国内が一番低いということ。欧米では文化としてリスペクトされていて、私が2.5次元ミュージカルのチラシを見せると海外では「凄いですね」と目が輝くのに、日本では「変わったことをやっていますね」と言われます。
 パリのJAPAN EXPOにミュージカル『美少女戦士セーラームーン』(通称:セラミュー)の役者たちを連れて行ったのですが、300人くらいのスペースに2,000人ものファンが押しかけて大盛況でした。写真を撮って握手したら泣きだすファンもいた。海外公演も増え、『ライブ・スペクタクル NARUTO-ナルト-』はマカオ、マレーシア、シンガポールと回りました。どの公演も盛り上がるし、コスプレで見に来る人、家族連れなど、日本より幅広い層のお客さんが来てくれました。グッズもとても好評で、劇場の人も驚いていました。こうした状況を見るにつけ、2.5次元ミュージカルは真剣に海外展開を視野にいれるべきだと思いました。待っている人がいてくれるのですから。

──これまでの演劇とは異なるビジネスチャンスがありそうですね。
 マーチャンダイジングは他の演劇と違うかもしれませんね。キャラクターがあることによって色々なグッズが販売できて大きな収入源になっています。これは従来の演劇にはない現象です。『ライブ・スペクタクル NARUTO-ナルト-』や『セラミュー』などグッズ売り場には長蛇の列ができます。主役だけでなく、脇役のキャラクターのファンもいるから、セットで買ってくれたり。舞台におけるグッズの権利は製作委員会が持つので、ビジネスとしても広がりがありますよね。
 もう一つ大きいのは、DVD等のパッケージが売れることです。演劇だと舞台は生だからDVDがそれほど売れるわけではありません。でも2.5次元ミュージカルではアップでも見たいとか、何度も見たいと言ってDVDも買ってくれる。舞台『弱虫ペダル』のDVDはオリコンのウィークリーチャートで1位になり、1万7,000枚近く売れました。『テニミュ』のナンバーは、カラオケでもたくさん歌われていて、リクエストランキングの上位にランクインしているそうです。
 また、最近は舞台の千秋楽は全国の映画館でのライブビューイングを実施しています。国内だけでなくアジアの映画館でもやっていて、国内外合わせて80館くらいで上映している作品もあります。『弱虫ペダル』はライブビューイングだけで1日2万人入りました。
 つまり、今や、漫画やアニメが好きじゃないというと、変わってるねと言われてしまう。世界的にもそうだし、風は明らかにこちらに吹いています。

──2.5次元を舞台化するクリエイターについてはどのように考えていますか。
 歴史を振り返れば、宝塚歌劇団が1974年に『ベルサイユのばら』を舞台化して以来、漫画やアニメを題材にした2.5次元ミュージカルの道が開けたように思います。女性だけで演じる宝塚歌劇団はその存在自体がファンタジーなので、どんなにリアルな世界を描いてもファンタジーになる2.5次元と相性がいいのではないでしょうか。その後も『ブラックジャック』『ルパン三世』『るろうに剣心』とアグレッシブに舞台化しています。その他、蜷川幸雄さんもミュージカルではありませんが『ガラスの仮面』を舞台化しているし、栗山民也さんも『デスノート The Musical』を演出されています。演劇界における名だたる人たちが今は、2.5次元ミュージカルのジャンルの作品を手がけていて、これらは演劇として面白い作品になっています。でもこれからはもっと、漫画やアニメの原体験がある若いクリエイターに活躍してもらいたいと思っています。たとえば今度ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!」の脚本を書いてもらう中屋敷法仁さんは漫画やアニメが大好きで、この作品をやれることを勲章をもらったような感覚で取り組んでくれています。私自身は原作により造詣が深く、リスペクトしている若いクリエイターと取り組んでいきたいと思っています。
 ただ、2.5次元ミュージカルをジャンルとして確立するためには、様々なアプローチがあっていいとも思っています。

──舞台化に向くのはどのような作品ですか。
 漫画やアニメを舞台化するには、何らかのアイデアが必要です。そのアイデアを思いついて原作からの「変換」がうまくいった舞台化は成功すると考えています。たとえば『テニミュ』ではテニスの試合をダンスや歌に変換し、『弱虫ペダル』では自転車は出さないでハンドルだけを使って人間のパワーマイムに変換しました。漫画で読んだ臨場感をそのまま舞台で表現しようとしても難しいけど、原作を見たときにその変換のアイデアが思い浮かべば勝算が出てくる。若いプロデューサーには、そのまんまやったら負ける、変換のギミックが自分の中になかったら負けるよ、と言っています。そこが2.5次元ミュージカルの醍醐味だと思います。

──今後の展開があれば聞かせてください。
 すでにホリプロさんが『デスノート The Musical』でやっていますが、舞台化した内容を権利として海外に売るというシステムを確立したいですね。たとえば日本で欧米の作品を上演する際にロイヤリティを払って上演しているように、今度はこちらがミュージカルの上演権を世界に売る。『ライオンキング』は世界7カ国で上演されているそうですが、版元には毎日ロイヤリティが入ってきます。同じように韓国版『デスノート』、フランス版『セラミュー』など日本の2.5次元ミュージカルがいろいろなところで上演されるようになる。たとえばラスベガスでシルク・ド・ソレイユ版『NARUTO-ナルト-』が開幕したら、メチャクチャ沢山のお客さんが入っている絵が私には浮かびます。シルク・ド・ソレイユの素晴らしい技術に、『NARUTO-ナルト-』の物語と忍者というキャラクターが加わればヒットしないわけがない。
 日本の演劇の問題点は、劇場の数の問題もあり、千秋楽が決まっていることなのですが、作品が上演権という形で海外展開できた瞬間にロングランが可能になります。ブロードウェイやウエストエンドのように、そうなった瞬間に演劇はビックビジネスになる。2.5次元ミュージカルは日本のショービジネスを変える大きな挑戦になると思います。
 海外の人によく言われるのは、「日本にはあんなにお宝があるのになぜ使わないのか」「日本はコンテンツ大国だ」ということです。小説も映画も漫画も面白いものがたくさんあるのに、箱にしまったままで使わない。漫画やアニメは世界中で愛されているんですから、もっと広めないとダメなんです。今は、世界中でライブコンテンツが元気なんだから、強力な漫画やアニメ、ゲームといった原作と合わせれば負けるわけがない。あとは知恵と勇気です。日本語の問題だって、コンプレックスに思う必要はなくて、いまや漫画を通して日本語を学ぶ人も増えている。
 ショービジネスの世界は、2.5次元ミュージカルが成長することによって、これから本当に変わると思います。誇りを持ってチャレンジすべきだと思っています。
 
TOP