The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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ダニエル・ジャンヌトー
Photo: Sylvain Lefeuvre
ダニエル・ジャンヌトー
Daniel Jeanneteau
ジュヌヴィリエ劇場
Théâtre de Gennevilliers
http://www.theatre2gennevilliers.com
ジュヌヴィリエ劇場
*1 90才を超えてなお現役の演出家で、SPACで日本人俳優を起用して演出したメーテルリンク作『室内』などによって日本でも知られる。

*2 1960年代、近隣に住んでいた演出家ジャック・ラサールが演劇のワークショップを定期的に開いたことがきっかけとなり、市の支援を受けてつくられた公共文化施設。1972年にジャン・ヴィラール劇場が同じヴィトリー市にオープンしたこともあり、上演を主たる目的としていない。
*3 貧困、低学歴、失業、暴力、スラム化、差別、不満の負の連鎖は深刻で、2005年にはフランス全土の「郊外」で暴動が起こったことは記憶に新しい。

*4 芸術に対して強くコミットし、普遍的な芸術の質の追求を放棄することなく、民衆教育運動などの市民団体との連携を通じた、文化の民主化を目指してきた。

*5 舞台芸術、テレビ、映画など視聴覚産業の業界でフリーランスで働く失業保険の受給資格をもった労働者のこと。
*6 ジュヌヴィリエ劇場は1983年に国立演劇センターとなったが、その前身となるジュヌヴィリエ演劇アンサンブル(Ensemble théâtral de Gennevilliers)はソベルによって1964年に創設された。
*7 ジュヌヴィリエと同じくパリ郊外にあるボビニーに立地し、ヴァンサン・ボードリエとともにアヴィニョン演劇祭のディレクターを2013年まで務めたオルタンス・アルシャンボーがディレクターに就任してきわめて意欲的なプログラムを展開している。
Presenter Interview
2017.4.17
Théâtre de Gennevilliers A bridge to Contemporary Japanese Theater 
日本の現代演劇との架け橋 ジュヌヴィリエ劇場 
 ダニエル・ジャンヌトーは、フランス現代演劇を代表する演出家のひとり。セノグラフィ(舞台美術)や照明によるすぐれて美的な造形性、それを支えるテクスト(戯曲)の厳密な読解によって高い評価を得ている。日本においても日本人俳優を起用してSPACで演出した『ブラスティッド』『ガラスの動物園』『盲点たち』によって知られ、多くの来日経験をもつフランス演劇界きっての日本通でもある。2017年1月にこばまアゴラ劇場との関係が深いパスカル・ランベールの後任として、ジュヌヴィリエ劇場の新ディレクターに就任。就任直前の2016年12月、「ジャポニスム 2018」の準備のために来日した彼に、ジュヌヴィリエ劇場の今後のプロジェクト、日本との関係についてインタビューした。
聞き手:藤井慎太郎[早稲田大学]

──ジャンヌトーさんのこれまでの経歴についてまず教えてください。
 子どもの頃から本を読むことと絵を描くことが好きでした。ストラスブールの装飾美術学校でイラストレーションやバンド・デシネ(漫画)などを学んだ後、1987年にストラスブール国立劇場付属演劇学校に入り直し、セノグラフィ(舞台美術)を学びました。演劇学校に入って2年目に演出家クロード・レジ(*1)と出会ったのですが、これが決定的な出会いとなりました。その後、15年にわたって彼の作品のセノグラフィを手がけるようになったのです。ほかの演出家のセノグラフィも並行して担当していましたが。
 その後、自分でも演出を手がけるようになりました。最初に演出した作品は2001年にストラスブール国立劇場(Théâtre national de Strasbourg)が制作したラシーヌ(Racine)の『イフィジェニー Iphigénie』です。その後にストリンドベリの『幽霊ソナタ Sonate des spectres』やサラ・ケインの『ブラスティッド Anéantis(Blasted)』を演出しました。2008年にフレデリック・フィスバック(Frédéric Fisbach)の後任としてステュディオ・テアトル・ドゥ・ヴィトリー(Studio-Théâtre de Vitry)のアーティスティック・ディレクター(芸術監督)に就任しました。2016年12月末にその職を離れて、2017年1月からジュヌヴィリエ劇場のディレクターに就任します。

──ステュディオ・テアトル・ドゥ・ヴィトリーは、フランスの公共劇場の中でもかなりユニークな場所ですよね。
 そうですね。フランスで唯一といってもよいユニークなモデルを提供しています。劇場ともいえないような劇場です。ステュディオ・テアトルは第一に創造、探求、実験のための場所であり、作品の上演・普及を目的としてはいません(*2)。きわめて幸せな9年間をそこで過ごすことができました。たくさんのアーティストとカンパニーをレジデントとして迎えました。私とはまったく美学や思想も異なるアーティストも受け入れましたが、そのおかげでさらに豊かな経験ができたと思います。

──現在では、国立演劇センターのディレクター(監督)は最大でも任期は10年までと定められたのですよね。
 ええ、そうです。ただ、ジュヌヴィリエ劇場は国立演劇センター(Centre dramatique national これに準じる施設も含めて全国に39存在する)のひとつですが、ステュディオ・テアトルは国立演劇センターではないので規則が異なり、10年を超えてディレクターにとどまろうと思えばそれも可能でした。ですが、そろそろ場所を変える時期、他の人に場を譲る時期だと思ったのです。これまでフランスではディレクターがあまりに長く居座って、全体にとって害となるようなケースもありましたから、10年に任期が制限されたのはとてもよいことだと思っています。

──ジュヌヴィリエ劇場はどんな劇場なのでしょうか。
 舞台美術家としてキャリアを始めた私にとって、建築学的に見てジュヌヴィリエ劇場はパリ圏で最もおもしろい劇場空間を持っています。ホールは350席の大ホール、200席の小ホールの2つ(「プラトー 1」と「プラトー 2」)がありますが、両者は、間の仕切り壁を取り払って、ひとつの巨大なホールとして使うこともできるんです。ほかに80人程度の観客を収容する劇場としても使用できる稽古場と、純粋な稽古場があります。
 劇場がパリ市外にあることも私には重要です。フランスでは都市の郊外はさまざまな問題(*3)を抱えているのはご存じだと思いますが、私自身、パリ郊外のサン=ドゥニ市にあるジェラール・フィリップ劇場(Théâtre Gérard Philipe)のアソシエート・アーティストとして長い間、仕事をしてきましたし、今もそのサン=ドゥニ市に住んでいます。ヴィトリー市はもちろんのこと、ナンテール市、ボビニー市、モントルイユ市など、パリ郊外の自治体にある劇場でもたくさんの仕事をしました。パリの北にあるほかの周辺自治体もそうですが、ジュヌヴィリエ市では共産党市政が長く続き、独自の文化政策(*4)を発展させてきました。

──劇場の運営体制についても教えてください。
 ヴィトリーのときには常勤職員は私を含めて4人でしたが、ジュヌヴィリエには20人の常勤職員がいます。常勤の技術スタッフは4人と少なく、ほかの技術スタッフはフリーランスで働くアンテルミタン(intermittents *5)です。清掃担当3人や電話応対の職員も含んでいます。広報担当が4人、残りが制作や総務担当です。この規模の大きな劇場としては少ない方です。ディレクターの私と、副ディレクターほか数人からなる集団による意思決定を図っています。
 ヴィトリーが受けとっていた公的助成金はおよそ50万ユーロで、予算の半分程度が事業予算でした。小規模なカンパニーには大きな意味を持つ金額でした。ジュヌヴィリエの助成金については記憶が定かではありませんが、200万から250万ユーロだったと思います。こちらは規模が大きいので固定費の負担も大きく、3分の1程度が事業予算にあてられていたと思います。

──ジュヌヴィリエ劇場のディレクターに応募されたときには、どういうプロジェクトを提案されたのですか。
 私が提案したことは、前任者のパスカル・ランベールの活動の延長線上にあったといえます。パスカルはとてもよい仕事を成し遂げたと思います。かつてジュヌヴィリエ劇場はベルナール・ソベル(Bernard Sobel)が40年以上にわたってディレクターを務めていましたが(*6)、パスカルはその劇場を現代化し、世界に対して開き、ダンス、音楽、美術など演劇以外の領域にも開き、現代的創造と結びつけました。ホールを改装して非常に興味深い空間へと生まれ変わらせました。
 私のプロジェクトも、現在という時間、複数領域性、世界との関係を重視するものです。プロジェクトの中心はなんといっても創造であって、充分な時間をかけて作品を創造することです。例えばナンテール・アマンディエ劇場(Nanterre-Amandiers)はほかの国やほかの劇場でつくられた作品をたくさん招聘して、まるで年間を通じてフェスティバルが開催されているみたいですが、ジュヌヴィリエではそうした作品の上演・普及はそれほど重視していません。
 創造する作品には私自身のものももちろん含まれますが、アソシエート・アーティスト、そして外部から招いたアーティストにも創造してもらいたいと考えています。都市におけるゲットー(スラム地区)の問題、人を排除するメカニズムをテーマに作品をつくってきたヨアン・トムレル(Yoann Thommerel)とソニア・キアンブレト(Sonia Chiambretto)をアソシエート・アーティストに迎えるほか、MC93(*7)も強く支援しているラザール(Lazare)、若手の演出家であるアドリアン・ベアル(Adrien Béal)やセヴリーヌ・シャヴリエ(Séverine Chavrier)とも仕事をする予定です。
 国際的な側面についてはSPAC(静岡県舞台芸術センター)との提携が大きな柱となる予定です。SPACの宮城聰さんにはこれまでの協力関係、協働作業をさらに発展させたいと提案しています。日本の若手の演出家をジュヌヴィリエ劇場に迎えて作品を創造してもらいたいと思っています。

──地元の観客に向けた取り組みとしては、どのようなことを考えているのですか。
 劇場が「ちょっと不便な場所にあるパリの劇場」であってはいけないと思っています。観客としてパリの市民をあてにするのではなく、ジュヌヴィリエに住む市民と新しい関係を築かなければいけません。フランスでは、大都市郊外にある国立演劇センターは地元市民との乖離、インパクトの不足をしばしば批判され、その存在意義が問われています。劇場が、威圧感とともに町の中にそびえ立ち、作品が上演されるときだけ扉が開かれるような芸術の殿堂となってはいけないのです。作品を見に来るだけでなく、レストランに食事に来るのでも、無料WiFiを目当てにして来るのでもかまいません。地元の人たちが劇場に足を運ぶことを習慣にしてほしいと思っています。劇場の近くに、精神障がい者の支援にあたる大きな組織があるのですが、すでに文化的なプログラムをたくさん実施しています。そこには劇場ではまず見かけることがないような多様な人々が集まっています。その団体と協働してイベントを開催することを考えています。

──国立演劇センターのディレクター選定のプロセスについても教えてください。
 書類による事前選考を通過したのは3人の男性──うち2人は移民出身でした──と3人の女性、全部で6人でした。私はこの段階では優先順位は高くなかったと思います。ディレクターの人事のレベルでも多様性を反映させるべく、文化省は女性や移民出身の演出家を優先する政策を掲げていますから。ですが、最後に選んだのは普通のフランス人の男であった(笑)。書類選考の後に面接があって、審査委員を前にして自分のプロジェクトを説明するのですが、そこで私の提案の具体性や芸術性が肯定的に評価されて、逆転につながったのだと思います。
 ヴィトリーでは私はアーティスティック・ディレクター(芸術監督)でしたが、ジュヌヴィリエではディレクター(監督)です。この両者には違いがあって、私はジュヌヴィリエでは劇場組織と運営の全体に責任を負っています。ヴィトリーでは不可能でしたが、ジュヌヴィリエでは私の名前で小切手を切ることもできるんです!

──審査委員はどんな人たちですか。
 劇場の運営にお金を出すしている人たち、と思えばいいと思います。国と自治体の代表です。国の代表には文化コミュニケーション省の芸術創造総局(DGCA : Direction générale de la Création artistique)、および地域圏文化問題局(DRAC : Direction régionale des Affaires culturelles)の代表が、自治体の代表には市と県の代表が含まれます。審査委員はその4人でした。

──ジュヌヴィリエ劇場の今後の活動の柱のひとつとなる、日本、とりわけSPACとの関係について教えてください。
 SPACとは最初に仕事をした2009年以来、ほかにはありえないような緊密な関係を築いています。日本人俳優を起用して『ブラスティッド』『ガラスの動物園』『盲点たち』の3作品(いずれも、フランス人俳優を起用して演出したフランス語版も存在する)を演出しましたが、ほんとうに幸福な時間を過ごしました。演出家として迷いが生じた時期に、出口を見出すきっかけが得られたこともありました。まるで自分の家に帰ってくるような気持ちになります。日本以外の国との交流ももちろん展開することになるでしょうが、日本とのこのような“ラブ・ストーリー”は私個人にとってほんとうに重要なものなのです。

──日仏間の国交が開かれてから160年となる2018年には、フランスで「ジャポニスム 2018(Japonismes 2018)」という日本文化を紹介する大規模なイベントが開かれます。その中ではジュヌヴィリエ劇場も重要な役割を演じることになるのでしょうか。
 具体的なことはまだ未定ですが、ジュヌヴィリエ劇場も参加して、若手演出家にフォーカスしたかたちで5、6本の作品を上演することになると思います。演出家のタニノクロウさんには独特の美学と魅力を感じるので、ぜひ一緒に仕事をしたいと思っています。資金的に可能であれば、日仏両国の俳優を起用した共同制作作品もつくることができたらいいですね。平田オリザさんもパスカルの時代にジュヌヴィリエ劇場ですでにそうした作品を演出していますし。

──ジャンヌトーさんはフランス演劇界きっての日本通として知られていますが、最初のきっかけは何だったのでしょう。
 最初は小津安二郎、溝口健二、黒澤明、成瀬巳喜男らの日本映画との出会いが大きかったと思います。今では、現代の小説、漫画、アートから、フランスで漠然と「zen(禅)」と呼ばれている美学に至るまで、その中にある様々な矛盾まで含めて、日本の文化の全体に魅力を感じています。日本とフランスは同じような先進国で、日本人とフランス人は似たような水準の現代的な生活をしていますが、同時に根本から異なってもいます。そのちがいこそが魅力なんです。何度滞在しても、すべてを知ったような気持ちにはまったくなりません。最初の来日は1998年にヴィラ九条山のレジデント・アーティストとして4か月間京都に滞在したときでした。今回の滞在が21回目か22回目の来日になります。余所者にとどまりたいという思いもあって、あえて日本語は学ばないことにしていますが、日本は第二の自分の国だと思っています。

──50回以上の来日を重ねたシラク元大統領に匹敵しますね! ステュディオ・テアトルにおけるジャンヌトーさんの前任者のフレデリック・フィスバックも世田谷パブリックシアターで複数の作品を演出しましたし、ジュヌヴィリエ劇場の前任者のパスカル・ランベールもこまばアゴラ劇場を介して日本との交流をたいへん精力的に展開しました。そこには偶然以上の何かを感じずにはいられません。今後の活動に期待しています。ありがとうございました。
 
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